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テクスト論と他者の“語り方”

最近、いろいろ思いつき、ノートに書くことで考えをまとめているが、引き続き「他者の語り方」である。
先日の『“絡まり合い”がやっとわかった』で、“他者”との関わりについては腑に落ちたところがある。
次に気になるのは“語り方”のことである。

写真の“語り方”といえば中平卓馬の『なぜ、植物図鑑か』である。
その植物図鑑=主体や作者を消去したテクスト主義=ポストモダン、を乗り越えた写真家の言葉を保坂は不勉強ながら知らない。
僕が再帰性文化人類学=ポストモダン、を乗り越えたマルチスピーシーズ文化人類学やマルチモーダル文化人類学を追いかけてるのは、表面しか写らない=実証主義にも、作者を消去したテクスト論写真批評にも、飽き足らなくなったからだった。

そんな今日この頃、

歴史を語る時は何らかの「思想=歴史観」が前提となるために「淡々と歴史を解説」は成立しない、という話

という話題が上がった。
それを受けて Fさん から、保苅実『ラディカルオーラルヒストリー』の歴史研究者受容についての、非常に面白い論文を紹介してもらったのだ。

実証主義とテクスト主義を超えて:歴史研究者は保苅実から何を得たか

保苅実は、オーギュスト・コントらの経験的事実に基づく実証主義≒モダン、ロラン・バルトらの文章それ自体を読むテクスト論≒ポストモダン、を超えた「歴史する」ことを提案した。
文化人類学の世界でも、再帰性文化人類学=ポストモダン、を超える“存在論的転回”があり、同時代的な動きがあちこちであったのだなと知った。

人類学の静かな革命では、調査地の現実をめぐる記述がフィクションであるかどうかという次元で扱われるのではない。調査地で現実に参与まさにその時点で、人類学者が自らの認識論を投入してきた次元が取り上げられる。調査地の現実の真っただ中に入り込んだ人類学者によって、そもそも自然と人間を切り分ける二元論的思考を含む西洋の認識論が持ち込まれていたのではないかという点が疑われることになる。
Lexicon:現代人類学

保坂はずっと、ポストモダンはモダンの延命だ。とクサクサして四十代だったが、実は時代を乗り越えていた方々はいたのだ。

実証主義とテクスト主義を超えて:歴史研究者は保苅実から何を得たか』に、歴史学者の大半には保苅実が目立った形ではほとんど影響を及ぼさなかった、のはなぜか?という筆者の意見がある。

実証主義史学よって立つ基盤を掘り崩した言語論的転回、ポスト構造主義的な議論に直面して守勢に回った歴史学者の多くからすると、仮に保苅の本を手に取ったとしても、同種の議論、あるいはそれをさらにラディカルに推し進める議論と受け止めざる得なかったのかもしれません。

<中略>

「経験」という言葉は、ポストモダン歴史学へのオールタナティブとして保苅が提起したコンセプトの一つでした。
実証主義とテクスト主義を超えて
歴史研究者は保苅実から何を得たか


写真をテクストとして切り込んだ批評家、対して「写真は表面しか写らない論」と“守勢に回った”写真家が、写真のポストモダンを超えた動きを見逃しているかもしれないと、保坂は思った。

それはなぜだろうか、というのが本日の主要な問いです。自己査察的な、自己批判的な話にもなるのですが、歴史学者一般は、オーラルヒストリーの研究者や文化人類学者に比べると、「研究対象との関係性」、それにはらまれる「暴力性」にあまり敏感でないことに、その理由の一端を求められるのではないかと思われます。
実は、保苅の本を読んで最初に感じたのは、「研究対象との関係性」を十二分に意識した彼の立ち位置で、その立ち位置かわ私たちの前に差し出されたのが、アボリジニの人々の豊かな歴史実践でした。
実証主義とテクスト主義を超えて
歴史研究者は保苅実から何を得たか

撮影=Shootの暴力性カメラによる“複数種の疎外”は昔から気になっていたところ。
ソニーによれば、2024年にスマホの写りがカメラに追いつくという。
暴力性や疎外を乗り越えるのが、次のカメラや写真のテーマかなとか保坂は考えてる。

2022/06/01 17:57

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