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Turnout「映画が開く、タゴール・ソングの100年」(20)タゴールの”聖地”巡礼③神奈川・大倉山編

[画像]夕日が差し込む、大倉精神文化研究所の正面玄関。(2021.02.07)

 映画『タゴール・ソングス』の世界にまつわる記事をお届けする、Turnout「映画が開く、タゴール・ソングの100年」。上映はいったん終了となりましたが、先日うれしいニュースがありました。

 なんと、日本映画ペンクラブの会員選出映画のベスト5「文化映画部門」に堂々のランクインを果たしたそうです!!


 

 波乱万丈な約1年にわたる上映期間でしたが、たしかに映画は人の心に届いたようです。
 
 本連載を書く100日あまりの日々は、道しるべにとって知られざるベンガル・南アジアの世界からの贈り物に触れる時間でした。

 ベンガル地方の魅力、タゴールという比類ない存在の大きさ、そして歌という芸術の奥深さー。その世界を表現するには私たちは微々たる表現力でしたが、大きな勇気が切り開いた100分に感謝を捧げたいと思います。

 そんな折、ある題材を記事にしたいと思い立ちました。本連載でまだ取り上げられずにいた、日本にあるタゴールゆかりの"聖地"のご紹介です。

 そこはタゴールの理想を日本で感じることができる、とっておきの場所の一つです。

 神奈川県横浜市の大倉精神文化研究所です。

◆聖地⑤ 「大倉山」の由来となった名建築―大倉精神文化研究所/大倉山記念館

 大倉精神文化研究所は、東急東横線の大倉山駅のほど近くにある施設です。現在は横浜市が保有する大倉山記念館として市民に開放されています。

 大倉精神文化研究所の創設者大倉邦彦は養父の大倉洋紙店の経営を切り盛りした実業家で、日本の思想・教育のあり方に強い関心を寄せた篤志家でした。私財を投げ打ち目黒には幼稚園を、故郷の佐賀には学校を建てるほどで、その集大成とも言えるのが1932年に開設されたこの大倉精神文化研究所でした。

 大倉はこの研究所を洋の東西を問わず精神文化を探求する拠点とし、一流の研究者を集め、各国の図書を収集するべく奔走します。その理想は大倉が二度目の来日の際に親交を深めたタゴールと共鳴するものでもありました

 東横線の各駅停車で大倉山駅を下車したら、住宅街のある坂道を上がっていきます。記念館の入り口に通じる階段が見えてきます。

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 大倉山記念館が横浜市有形文化財であることを示す看板を目印に階段を上がると、松林のある気持ちの良い公園が目の前に広がります。

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[画像]大倉山記念館前の松林にある公園。(2020.02.07道しるべスタッフ撮影)

 やがて視線の先に、ギリシア神殿を思い起こさせる建物が忽然と現れます。精神文化の一流の研究者を集めるべく創設された、大倉精神文化研究所の本館の威容が今もそこにあります。

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[画像]玄関前広場から望む大倉山記念館。住宅街を横目に、ギリシア神殿風の威容が夕日に映える。(2020.02.07道しるべスタッフ撮影)

 「大倉山」の地名が、この大倉精神文化研究所にちなむこともうなずける佇まいです。大倉山の人々が商店街をギリシア風の白い塗装や円柱を使うよう建築デザイン協定を作ったのも、アテネと姉妹都市提携を結んだのも、この名建築を街のシンボルとして大切にしてきたからです。

◆東西調和の建築に宿る、大倉とタゴールの理想

 大倉山記念館が名建築として名高いのは、ギリシア誕生以前の文明を理想とするプレヘレニック様式と日本古来の様式を調和させた類を見ない建築だからです。

 一見するとギリシアのパルテノン神殿のような外観の記念館には、随所にギリシア文明誕生以前の様式を見ることができます。

 メインエントランス正面の石造りが見事な階段には、至る所に三角形の意匠が見て取れます。ギリシア以前にエーゲ海で栄えたミケーネ文明でポピュラーなデザインです。
 石の柱が根元に向かって細くなるのも、プレヘレニック様式の特徴的なデザインです。

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[画像]大倉山記念館のメインエントランス正面に現れる、3階のホールへ続く石造りの階段。(2020.02.07道しるべスタッフ撮影)

 ギリシアや西洋からはあまり想像のつかないモチーフも目に入ります。ペディメント(*霧妻屋根下部と水平材の間の三角形の空間で、日本建築の破風/はふに相当)にあしらわれているのは、鳳凰八咫鏡(やたのかがみ)という日本古来のシンボルです。 

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[画像]大倉山記念館正面ペディメントの鳳凰と八咫鏡のレリーフ。(2020.02.07道しるべスタッフ撮影)

 西洋文明の起源に美の理想を見出す古典主義様式と日本の意匠を組み合わせたこの建物は、洋の東西の違いを超えて真理に迫ろうとする大倉の決意の表れです。それはタゴールの理想とも共鳴するものでした。

 大倉がタゴールと対面したのはタゴールの最後の来日となった1929年6月。当時、目黒にあった大倉邸に1か月ほど宿泊場所を提供します。一人の人間として現実に揺れ動きながらも、宗教、民族のくびきを越えた真理を見つめ続けたタゴールの思想は、大倉にも影響を与えたと言われています。大倉が大倉精神文化研究所を創建するのはこの3年後です。

 大倉とタゴールの友情はインド帰国後も続き、タゴールの死後もその足跡を伝えるべく尽力します。1959年には大倉は著名なインド研究者らとともにタゴール記念会タゴール研究所を作り、記念会の理事長に就任します。

 大倉精神文化研究所はタゴールの著作の数々を収蔵しており、「タゴール文庫」として国内有数のコレクションとなっています。現在はデジタルアーカイブも設けられ、タゴールやベンガル地方の研究の土壌を耕しています。

【大倉精神文化研究所 タゴール文庫URL】
   http://www.okuraken.or.jp/tagore/

 大倉の情熱を託した建物が、今もタゴールの足跡と理想を見守っています。

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[画像]大倉山記念館のエントランス天井。16体の獅子と鷲の像はどこから見ても視線が合うよう、微妙に向きを変えて配置されている。(2020.02.07道しるべスタッフ撮影)

 大倉が小高い丘にこの研究所を設けたのは、丘自体を"地球"に見立て"世界"を表現する構想を抱いていたからでした。

 かつての研究所前庭には、日本列島を模した芝生と、富士山に見立てた小塚を松林と砂利で囲った「地理曼荼羅」が設えられていたのだそうです。今もメインエントランス前の公園の松林にその名残を見ることができます。

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[画像]大倉山記念館の前庭に広がる松林。(2020.02.07道しるべスタッフ撮影)

 "世界"に囲まれた建物は"人間"を表しています。中央館の地下には大倉の建物への思いを込めた留魂礎碑が置かれ、人の"心"を表しています

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[画像]大倉山記念館の中央館地下にある留魂礎碑。(2020.02.07道しるべスタッフ撮影)

 
 それを取り巻く東館、西館、中央館は図書館、かつて瞑想のために用いられた回廊、殿堂で構成され、人間の"知性"を象徴しています

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[画像]大倉山記念館のエントランスから附属図書館へと続く入り口。3連出入口はミケーネが起源のデザイン。(2020.02.07道しるべスタッフ撮影)



 タゴールの理想が根付く場所が、今もこの日本にあります。映画『タゴール・ソングス』はそうした日本とタゴールのつながりに気づくきっかけを運んでくれました。

 かつてノーベル文学賞を受賞した詩集『ギタンジャリ』が「歌の捧げ物」の意味であったように、あなたにもタゴールからの贈り物が届きますように!

 次回以降、南アジア紀行、インド音楽にまつわる連載とともにタゴールの歩みにも迫り、旅の終着点へ向かっていきます。

【現地へのご案内】

[リンク]「アクセス」公益財団法人大倉精神文化研究所(Accesed February 17th, 2021)


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