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Turnout「映画が開く、タゴール・ソングの100年」(16)南アジア紀行(④アウランガバード編)

[画像]下から見上げたチャーンド・ミーナールの頂上部。(2020.02.15 道しるべサポーター撮影)

 映画『タゴール・ソングス』の世界にまつわる記事をお届けする、Turnout「映画が開く、タゴール・ソングの100年」。「南アジア紀行」ではベンガル地方を抱く南アジアの各スポットに、道しるべスタッフ、サポーターから寄せられた現地の画像とともに迫ってまいります。

 これまではインドの文明を育んだガンジス川をたどってきましたが、ここからは様々な表情を見せる東西南北各地の様子を取り上げてまいります。今回から3回ほどはインド西部、アジャンター・エローラー石窟のご紹介です。まずは石窟観光の起点となる都市アウランガバードのご紹介です。

石窟観光の基地・アウランガバード

 古代から、インドでは仏教が発達するとともに彫像をはじめとする芸術が発達し、その痕跡が今でも残っています。今に残る古代の芸術を目にすることができる最大の遺跡の一つが、石窟壁画と彫刻で名高いアジャンターエローラーです。

 この二つの石窟観光の玄関口となる街がアウランガバードです。街のあるマハーラーシュトラ州マラーティー語圏なので、デリーとは言葉が違って聞こえるはずです。外国人が珍しい街では、子どもたちに写真をせがまれるかもしれません。

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[画像]アウランガバードの街並み。住民と観光客がごった返すデリーなどよりも、人通りは少なめ。(2020.02.15道しるべサポーター撮影)

 エローラ―はこの街の北西約30キロ、アジャンターは北東約110キロに位置します。最も遠いアジャンターへはバスで2時間半ほどです。

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[画像]アウランガバードから石窟へ車で向かう道中。エローラ―は北西約30キロ、アジャンターは北東約110キロに位置する。(2020.02.15道しるべサポーター撮影)

 石窟観光の基地となるこの都市は、歴史的にはイスラーム王朝の征服と支配を繰り返してきた地点でした。

ムガル帝国の絶頂期を築いた皇帝の都

 アウランガバードの名前は、事実上インド全土を掌握していたムガル帝国の第6代皇帝アウラングゼーブが、かつてここにデカン太守として着任したことにちなんでいます。
 皇帝となった彼はこの地を南インド征服の拠点とし、彼の時代にムガル帝国は最大の領域を支配します。しかしアウラングゼーブ以降、帝国は宗教に厳格だった彼の統治に反発する諸勢力が台頭し、統一が徐々に崩れていきます。

 街の北部にある、彼の妃ラビア・ダウラーニを埋葬した霊廟にもそうした兆しを見て取れます。
 第5代皇帝が妻への愛を形とした有名なタージ・マハルを模した、ビービー・カ・マクバラー廟という霊廟です。「ミニタージ(ミニタージマハル)」の異名もあるのだとか。中央にドームをいただいた白亜の廟はまさにタージ・マハルのシルエットで、霊廟へ延びる水路の脇には4本の尖塔(ミナレット)が寄り添っています。
 しかし石材の違いで霊廟はやや青みがかった発色で、さらに正面から見ると横から圧迫されたようなプロポーションです。タージの高貴さを醸し出せなかったところに、帝国の文化的な衰退が垣間見えます。

 ちなみに、近郊のクルダバードという町にはアウラングゼーブの墓もあります。厳格なムスリム(イスラーム教徒)だった彼らしく、石の格子細工(ジャーリー)の塀で囲った非常に質素なお墓です。ムガル帝国の栄枯盛衰に思いを馳せてみたい方は訪れてはいかがでしょうか!

ビービー・カ・マクバラー廟(2)

[画像]ビービー・カ・マクバラー廟の全景。
(【出典】beetle_0042000"Mini taj"https://www.flickr.com/photos/59075198@N00/10895362894/in/photolist-hAMzNo-2jPyuaz-4qtZgj-2iunRPx-XxC6Bt-Tf7Xv1-85KjDX-2iuvkJg-2iUgyTF-EYxbEq-i9FxXj-2kfWY2x-2ex7Hcp-xTmXbG-2bhSpkQ-dbPAHj-2gz3BpU-4uEuvw-4uYYSR-4uooG1-4uQ3KS-23SuucD-2gdSfk5-2gdS1Y8-5nBr1G-2dc4kQe-sGj4U-sGmRd-Bd6qR-sGmic-x1yHb3-4qzNK5-sGjnz-sGiL5-sGiUG-sGmxR-AkXoPK-24WqiX6-2ey6qLz-sGjCH-sGjNb-sGkK3-2iUeSLc-86nqCe-rGH59c-2iUeZny-PYrxRE-2iwA2zn-2iwyMSd-f9YXnv(accessed January 11th,2020))

兵どもが夢の跡―ダウラターバード

 アウランガバードからエローラーへ進む途中、13kmほどの山がちな地点にダンジョンの舞台のような廃墟となった都市遺跡に出くわします。

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[画像]ダウラターバード付近の光景。トゥグルク朝はこの山一帯を要塞とし、デカン高原制覇を目論んだ。(2020.02.15道しるべサポーター撮影)

 かつてのイスラーム王朝の攻防の舞台だった遺跡ダウラターバード(富の町)です。

 アウラングゼーブの登場するはるか以前、14世紀半ばにヒマラヤからインド最南端コモリン岬までを支配したトゥグルク朝がデリーに代わる都を建設しようとしたことで有名です。ダウラターバード(富の町)の城郭都市の遺跡はその名残です。

チャーンドミーナール 遠望

[画像]ダウラターバードの遠望。中央にそびえるのはチャーンド・ミーナール。(2020.02.15 道しるべサポーター撮影)

 最大版図を実現したトゥグルク朝の王ムハンマド・ビン・トゥグルクは、デカン高原の交通の要衝であるこの地を高原支配の拠点として押さえ、180メートルある山に要塞を構えます。さらに、デリーよりこの地に都を遷して城下に住民を住まわせます。
 単なる遷都ではなく、第二の都を作ることに狙いがあった説も言われていますが、デリーから強制移住させた住民からは帰還希望者が後を絶たず、ついには都をデリーに正式に戻すこととなり、街は放棄されることとなりました。ダウラターバードは再び周辺勢力のせめぎ合いの中に取り残されました。

 ダウラターバードのランドマークとしてそびえたつ塔は、チャーンド・ミーナール(銀の塔)です。この塔を建てたのはトゥグルク朝ではなく、ダウラターバード建設の100年後に一帯を掌握したバフマニー朝です。ほかの王朝の征服記念塔であるこの塔は、土地の歴史を代弁しているかのようです。

チャーンドミーナール 下から

[画像]下から眺めるチャーンド・ミーナール。(2020.02.15 道しるべサポーター撮影)

 次回はいよいよアウランガバードを出発して、アジャンター石窟の荘厳な仏教壁画の世界に迫ります!

【参考文献】
・辛島昇他監修『南アジアを知る事典』平凡社 2005年 P.8,419
・辛島昇監修『世界の歴史と文化 インド』新潮社 2000年 P.297-298
・神谷武夫著『インド建築案内』TOTO出版 2003年 P.360-380

【映画公式HP】
1月8日(金)から、再び東京で上映されます!! 

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