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絵を描いていない15年がくれたもの

どうも。仕事が忙しくなると(大概忙しいんですけど)絵を描く気が、まっっったく無くなります。普段から大の面倒くさがりなので、気力体力を使うお絵描きなんてものは、出来れば避けたい(笑)。
ツイッターは、一応お絵描きアカウントなので、絵をメインにしたい。のに、半分以上は日常ネタな気が、、。まあ良いんですけど。

さて。歳をとると、昔話に花を咲かせがち。今日もそんな話です。
年齢バレしちゃいますが、20歳ぐらいまで毎日のように絵を描いて楽しんでいた私。
ところが、地元を離れて関西に移り、日々に終われ(主に仕事←昔から社畜でした)、どんどん絵から遠ざかっていきます。

他の理由としては、【辞める前に描いた漫画で描けなさすぎて撃沈した】【別に私が描かなくても世界はまわる】など、若者がいかにも考えそうな理由がありました。

コミックイラストを描く人も周りにおらず、どちらかというとそちらに嫌悪感があったりする人も…。でも好みは人それぞれですから。それは良しとして。そんな理由も加わって、更に絵から離れていきました。
や、厳密には、抽象的?な絵を描いたりした時期もありましたが。

絵を描かない私。他、特にこれといった特徴も特技もなく。気づいたら15年ぐらいたってました…。

えー!

いやいや、この15年の話をね。タイトルにしてるしね。色々なエピソードはあるけれど、その話はまた別の機会にするとして。

この15年。

・たくさんの人に会えた
・見る力をつけた
・絵がなくても愛される

要約するとこの3つ。

仕事上、毎日とにかくたくさんの人に会う、話すという状態だったので、これは今でも財産です。
今も付き合いの続いている友人も多いですね~。

というか、関西に住んでいた間で12ぐらいの職場経験…スカウト(仕事の)もされて、これが一般企業とかならキャリアウーマン街道だったんでしょうけど(笑)。
だいたい個人店とか、ブラックなとこだから(笑)。
その辺の話はまた今度!(こればっか)

見る力。
がついたかどーだか、はっきりは分かりませんが。大阪市内にいたおかげで、ギャラリーの展覧会や、美術館に行く機会もたくさんありました。
作家さんとお話することで、視点のおもしろさを得ることも。

あとライブ!(見る力関係ない)
週一でライブハウスやクラブイベント行ってました。若かったから体力あるねぇ。そしてお金がない(笑)。

脱線。
最後は重要です。
絵がなくても(それ以外に何もなくても)友達は出来るし、何も期待されないし、楽しく過ごすことができる。
そんな友人たちに巡りあえて、良かった。
まあだから、描かなかったという理由もあるけど…。

最近、ツイッター上で(これこそ絵のアカウントだからでしょうけど)、「絵を描かないと価値のない自分」と感じる方を見かけたりします。
え?描かなくても全然オッケーだが???と、思うんですが、こう思えるのは、そんな下地があるからなのかなあ。
なんにもない自分を手放しで喜んでくれる、そんな人がひとりでもいたら。

相変わらずまとまらない…。これも慣れかな。
そんな私がなぜ再びペンを持ったのか、のお話はまたどこかで。
毎回『はてしない物語』(ミヒャエル・エンデ作)の決まり文句状態ですね。
※分からない方はぜひ一読を…

では、また。

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