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深い人ほど軽やかになるという話。

こんにちは。ブログ始めたら、めちゃ喋り出してしまいました。とかって、いつ飽きるのか時間の問題。
ツイッターのアカウント同様、雑多な内容をただひたすら流していきます。

さて、今日は私が常日頃思っていて、かつ、ひとつの目標のようなものの話。
最初に言うと

偉大な人ほど軽やかに生きている。

一様にそうとは言えないでしょうが。少なくとも、私が出会って、すごいなあ~、と思った人はこうでした。
具体的な人をお2人ご紹介します。

美術家・永井 宏さん

丁寧な暮らし、ものづくり。
といったフレーズと、ナチュラルでおしゃれなものが溢れるいまの時代で、同じことを唱えているにも関わらず、どこか違う…。

永井宏さんは、80年代に雑誌BRUTUSの編集者としてバリキャリを経験し、はやくに会社勤めを引退してからは、葉山の海辺でギャラリーをオープン。
「だれにでも表現することはできる」「ネオフォークロア」を掲げ、さまざまな分野・人に影響を与え続けた人です。

永井さんは、希望と絶望と渇望の20代前半の私にとって、衝撃の人。
肩肘張らずに、フワッと自然で、色褪せたチューリップハットに白ひげのおじさん。見た目、ただの陽気でスケベなおじさん(笑)。

当時働いていたギャラリーで、カフェや本のコーナーがあって、永井さんの本(小さな出版社もされていました)を扱っていました。
出版社との直販がほとんどだったので、注文のときは、永井さんに電話します。

「あ、ハッシー、元気~?」(私の本名は橋本)
なんて、近所のおじさんみたいな声が聞こえてきて、気が抜けちゃうんですね。どーでもいい話ばっかりしちゃって。

そんな永井さんが書いた文章は、気取らず自然で、でもどこにもない永井さん節が効いてる。
ちょっとのんびりしてもいいんじゃないかなあ、と思えます。

書籍はほとんどが絶版のようですが、このサンライトはAmazonなどでもいま入手可能です。いつもの永井さんの写真もあり、アルバムのような1冊。

永井さんが亡くなって10年。ふと晴れた日に思い出して綴ってみました。


音楽家・青木隼人さん

音楽は好きだけど、全然詳しくないです。
楽譜も読めないし、ウクレレをちょこっとコード弾きするぐらい。

青木隼人さんも、ギャラリー時代に知り合った方で、年間のほとんどを全国を巡るライブで過ごしているような人。

ライブでは基本アコギ1本で、ソロだったり、だれかと組んだり、蕎麦屋さんでBGM的な演奏もしてたと思います。
インストで有名なharuka nakamuraさんとデュオを組んでいたり、いや、ほんとはすごい人なんです。

最近の超絶技巧みたいな感じでもなく、ひとつひとつの音が染み込むような、ゆったりとしたインストゥルメンタル。
何度かお邪魔したライブでは、100%寝ました(笑)。寝たり起きたりよ(笑)。

ものすごく音楽の知識があり、美術にも造詣が深く、頭の良い方なんだろな~という印象なんですが、青木さんとその方面の話をしたことは全くなく(笑)。
飲み会でも、毎回どーでもいい話しかしてないと思う…。
関西に滞在の間は、我が家(当時一軒家をシェアハウスにして、1階はたまに宿泊スペースにしてた※ただの和室)にも泊まっていかれたり、何かの折りには手紙をくださったり。

こんな素敵な男性が存在するんか…と、目から鱗でした(笑)。地元は変な、がつがつしたヤンキーしか居なかったもんで(笑)。

写真はギターソロの作品集で、guitar solo #1と#2があり、どちらも静かな朝に聴いていたいアルバム。
青木さんは、その場の空気や偶然性も音楽に取り入れて、それを楽しむ人。
画家のアトリエで録音された『atelier』には、周りの生活音なんかも入っています。

なかなかアルバムが手に入りにくいのですが、どこかでライブ情報を目にしたらぜひ。


いまいちまとまりなく、ダラダラ書いてみました。長い文章むずかしい。
そう、今回のタイトルの話に戻すとすれば。

何事も深く極めた人ほど、その人自身は軽やかで、自然と人が集まり(そういう人には似た人が集まってくる法則)、あたたかい空気になるものです。
決して派手ではないけれど、ずっと大事にしていきたいと思えるもの。
晴れた日のおふとんぐらい、日常的でしあわせな。

なお、サムネの写真は、今日のお昼です。
お気に入りのサンドイッチ屋。ここのフライドポテトが、今のところ生涯イチ美味しいです。幸せです。

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