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おすすめの【本】‐読書メモ

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仕事柄、日々いろいろな本を読んでいます。幸運にも出会えたおもしろい本をご紹介します。
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#人文学

「ある」の堅固さをふやかす食べ物の神様 -中沢新一著「哲学の後戸」を読む

中公文庫の一冊、中沢新一氏の『ミクロコスモスI 夜の知恵』。その中に「哲学の後戸」という論考が収められている。 なお中沢新一氏のミクロコスモスにはもう一冊ある。『ミクロコスモスII 耳のための小さな革命』である。 どちらもじっくりよみたい本である。 ◇ さて、「哲学の後戸」の冒頭はといえば、井筒俊彦氏から送られた手紙を中沢氏が読み返す話から始まる。 そこには「抜け出していく文体」とある。 言葉から言葉によって抜け出そうとする言葉。 言葉にはなりようもない事なのだ

シンボルとシグナルの間でハビトゥス(あるいは言語アラヤ識)を建立する 【2021年の読書まとめ】

2021年に印象に残った文献(の一部)をご紹介します。 『梵文和訳 華厳経入法界品』 まずこちら『梵文和訳 華厳経入法界品』三冊である。 梵文から和訳されたものを文庫本で読めるというのであるから、たいへんなことである。 例えば、「深く法性を洞察し、生存の海から超出して、如来の虚空の如き境界にあり、人を束縛する煩悩とその習慣性を抑止し、その拠り所や住居に執着することなく、虚空の如き静寂に住まい…」((上),p.38)であるとか、「牟尼たちは、法界の無区別の極みに安住して

意味分節理論とは(1) -深層意味論の奥深さ

(本記事は有料に設定していますが、最後まで立ち読みできます) ◇ 井筒俊彦氏の『意味の深みへ』に「意味分節理論と空海」という論考が収められている。全集の第八巻と岩波文庫版で読むことができる。 * 空海という方は、たいへんに偉大な人で、その偉大さはまさに「遍照」、至るところに多様に顕れるのだけれども、私のような一凡夫が個人的に特に驚異的だと思うところは、その「言語」についての思考である。 もちろん言語といっても通常の言語ではない。私たち人間が意識できる意味のある世界の

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言語とは一に一を憑けて一にする呪術である - 井筒俊彦著『言語と呪術』を読む

◇ しばらく前から安藤礼二氏の『熊楠 生命と霊性』を引き続き読んでいる。 今回の記事は前に書いた下記の記事の続きである。 もちろん前回を読んでいなくても、今回だけでお楽しみいただけます。 ◇ 安藤礼二氏の『熊楠 生命と霊性』の159ページに次のようにある。 生命、と、意味。 一方は生き物の話で、他方は人間の言葉や記号の話である。一見まったく無関係のことのように思われるこの二つの「母胎」が同じであるとはどういうことだろう? それはすなわち生命も意味もどちらも煎じ

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カルロ・ロヴェッリ『世界は「関係」でできている』に垣間見える"事事無礙"な深層意味論の世界

カルロ・ロヴェッリ氏による『世界は「関係」でできている』を引き続き読む。 前回の記事はこちら↓ (前回を読まずとも、今回だけでも面白いと思います) 『世界は「関係」でできている』の一冊を通じてロヴェッリ氏が読者に伝えようとしていることは、次の一節に凝縮されている。 この世界は、物理学の最も基礎的なレベルにおいて、 相互補完的な情報の網なのだ。[…] 宇宙は相互作用であり、生命は相対情報を組織する。私たちは、関係の網に縫い取られた繊細で複雑な模様であって、現在わかっている

意味分節理論とは(4) 中間的第三項を象徴するモノたち -中沢新一著『アースダイバー神社編』を読む

(本記事は有料に設定していますが、全文「立ち読み」できます!) ◇ 中沢新一氏の『アースダイバー神社編』を引き続き読む。 (前回、前前回の続きですが、今回だけでお楽しみいただけるはずです) 『アースダイバー神社編』には、諏訪大社、大神神社、出雲大社、そして伊勢神宮といった極めて古い歴史を持つ神社が登場する。 中沢氏はこれらの神社に今日にまで伝わる神話や儀礼やシンボル(象徴)たちを媒にして、その信仰の「古層」へと「ダイブ」する。 そうしていにしえの日本列島に暮らした

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素朴実在論を即「空」化する -井筒俊彦「事事無礙・理理無礙」を読む(2)

井筒俊彦氏の論考「事事無礙・理理無礙」を読む。 「事事無礙・理理無礙」は井筒俊彦氏の著書『コスモスとアンチコスモス』で読むことができます。 前回の記事はこちら↓ですが、前回を読んでいなくても今回だけでお楽しみいただけます。 * 事事無礙、理理無礙というのは、事と事が無礙、理と理が無礙であると言うこと。つまりある一つの事と他の事、ある理と他の理とがつながっており、二つの事と事の間に両者を隔てる境界のようなものがない、二者が二つでありながら一つである、ということである。

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井筒俊彦「事事無礙・理理無礙」を読む(1) -意味分節理論入門

本記事は有料に設定していますが、最後まで無料で読めます。 井筒俊彦氏の著書『コスモスとアンチコスモス』に収められている珠玉の論考「事事無礙・理理無礙」を読む。 『コスモスとアンチコスモス』は岩波文庫にも収められており、手が届きやすくなっている。 今回は「事事無礙・理理無礙」を、意味分節理論への入門編として読んでみることにする。 読むとは「読む」とは、井筒俊彦氏がさまざまなところで書かれているように、極めて創造的な営みである。 書物に刻まれた文字列は、何か「単一の意味

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「科学」と意味分節理論 - 分化と結合の科学(2)

以前、下記の記事で次のように書いた。 ここで産業革命「以来」と書いているが、実は産業革命「以前」から、おそらく人類が発生した当初から「分けつつつなぐ」ことは人類の存在の鍵だったと考えられる。 何より、人間の言語という意味(意味分節システム)を発生変容進化させることができるシステムが、この「分けつつつなぐ」を最も基本的な原理としているのである。これについて上の記事には次のように書いた。 このわけつつつなぐ(わけつつ結ぶ)「システム」が、変容しようとすると同時に安定的に持続

意味分節理論とは(3) 「始まり」への問いに答える思考と意味分節理論  -中沢新一著『アースダイバー神社編』を読む

「人間」はどこから来て、どこへ行くのか。 「私」はどこから来て、どこへ行くのか。 「宇宙」はどこから来て、どこへ行くのか。 このような、俗に「深い」と言われるような問いは、しばしば起源をたずねようとするものである。起源、すなわち、始まりである。 こうした疑問に答えようとすれば、現代の私たちなら科学的な知見と手法を総動員することになる。人間が人間ではない猿の仲間から区別できるようになるまでの経緯を太古の化石や遺伝情報から推定したり、「私」の始まりを卵細胞の分化に求めたり

意識は比喩である ジュリアン・ジェインズ著『神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡』を読む

ジュリアン ジェインズ著『神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡』を読む。 『神々の沈黙』というタイトルからして「神様」について論じる本かな?と思うのだけれども、中身を読んでみるとこれはわれわれ人類の「意識」をメインテーマとする本である。 英語のタイトルは"The Origin of Consciousness in the Breakdown of the Bicameral Mind"ということで、意識の起源、意識のはじまりである。 なるほど、意識! といったところで

言葉から出て行こうとする言葉 -小田龍哉著『ニニフニ』を読む

しばらく前から安藤礼二氏の『熊楠 生命と霊性』を読んでいる。 今回はこの熊楠繋がりで、小田龍哉氏の『ニニフニ 南方熊楠と土宜法龍の複数論理思考』を読む。 カタカナ四文字が並ぶ不思議なタイトル「ニニフニ」は、漢字で書くと「二而不二」である。 二而不二、ニニフニ「漢字で書けるなら、どうして漢字で書かず、わざわざカタカナにしたのだろう?」と問いたくなる方もいるのではないかと思われるが、著者の小田氏は、まさにわざわざカタカナにしているものと思われる。なぜなら、二而不二もまた言葉

見ることも触れることもできない世界へ -広井良典著『無と意識の人類史』を読む

広井良典氏の『無と意識の人類史』を読む。 人類の歴史は、人間たちの「意識」のあり方の歴史でもある。 広井氏は意識について、それが「"脳が見る共同の夢"」としての「現実」を作り出すものであると書かれている(『無と意識の人類史』p.24)。 これはユヴァル・ノア・ハラリ氏が『サピエンス全史』や『ホモ・デウス』で論じた「虚構の力」にも通じるところがある。 "脳が見る共同の夢"は「現実」であり、「有」の世界、「ある」ものたちの世界である。それに対して「無」とは、意識が、自ら作

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相即相入の思想が「多」であることを肯定する -梅原猛 著『空海の思想について』を読む

(このnoteは有料に設定していますが、全文無料で公開しています) ◇ 相即相入ということについて思いをめぐらせようというとき、梅原猛氏の『空海の思想について』も強力な導きの糸になる。 相即相入とは、他と区別されたある一つの物事の中に、それとは異なるものとして区別されたはずの他の全ての事物が入り込み、関係しているということである。 例えば、「自己」の中に無数の「他者」がつながっていること、今現に生きている他者から遠い過去を行きた他者まで、ありとあらゆる他者がつながって

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