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それが本当に自分のやりたいことか見極める基準①

その行いが社会的に悪の世界線に飛ばされたとしても変わらずやってしまうこと

これを書こーと思ったキッカケはヒロアカの最新巻(8/9発売)だけれど、今まで生きてきて何度も考えたことなので書こーと思う.

※この後ぜんぜん関係のない話しをして終わるけど、上の社会的悪だったとしても変わらない行い、というのは自分の行動基準の1つになってる

自分の周りには、俗にいう”ただのいい人”が結構いる.

さすがに27歳にもなってくると、皆人生の安定期(?)に入っているから、特に不安とかはないのだけれど、

10代の頃とか、20代前半の頃とか、

圧倒的に正しいことをしているのに、なんか損をしている、見えないカースト制度の下の方に引っ張られている、コストに対して得が釣り合ってない、みたいな景色をよく見ていた.

よく見ていたし、よくぶち壊してた.

wwwww

だって、いいコトしてるのに得してない景色をずっと見せられるの、すげーフラストレーション溜まるんだもんwww

それが知り合いだったら尚更そう.

と、まあ

ここまで言っておいてアレだけれど、

自分も昔、いい人だよね~ってよく言われる時期があった、というか人生の半分以上がそうだった.

なんだろ、

優しくしたコトない人に優しいねって言われるのめちゃくちゃ怖かった.
そしてその風評被害(悪口ではないけど)が膨らんだとき、めんどくさいことにならなかったことがない.

もう最悪だった.
最悪だけど、この最悪を招いたのは自分の行いのせいであることが最悪だった.

その結果思ったことは、優しくした人だけに優しいと思われればいいし、その行為を認知されるのは助けた人だけで、感謝されるのもその人だけでいい、というもの.

むしろ、そのような状況をつくろうとしないのは怠慢であり、奢りである.

というもの.

最近も、自分は助けてない、その人たちは余波で勝手に助かっただけ、ということをよく言っている.

まあ、その原点はこんな感じだろ.

そして、こういう状態になると、ただのいい人がめちゃくちゃ目につく.

優しさのミスみたいなものが目についてしまう.

それはその時は正しいけれど、長い目で見たときに自分の首を絞めることになっているぞ、と.

そして、そうなっていく.

人間関係の板挟みに悩んで、おれに相談してくる.

そんな相手に自分が言っていたのは、

優しくしたお前が悪い

という、悪魔なんか?というようなセリフ

それをとある友人に5年以上言い続けた.

他にもたくさんいる、なんでそこまで優しくできるん??みたいな人.

んで、ナニをきっかけに思ったのかは覚えていないけれど、

唐突に、この人たちは他人に優しくすることが社会的に悪だったとしても、同じように優しくするだろうな、というもの.

よくわからないけれど、
いい人には得をしてもらいたいし、

それが社会的に悪だったとしても他人に優しくしてしまうアホたちに未来をつくってもらいたい.


※今はまた色々あってここまでカチこちな考え方ではないです.

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コンテンツストック
・真実という強さと超管理社会の相性
・思考量/葛藤量が増え続ける地獄のサイクルから解脱してしまった噺
・オンラインとオフラインの境界への集約について
・突然文章を書きたくなってしまったキッカケ(不明)
・文章を書きたくなってしまったキッカケを睡眠ログから考察してみる
・Vtuberが面白すぎる
・サッカーとApexの仕掛ける判断の共通点
・途上国と先進国って表現が可愛くない
・人間強度について
✔︎去年の夏休みの自由研究
・今年の夏休みの自由研究
・小学生の頃の自由研究
・大学の研究内容
・社会人になってイマ受け持っている研究テーマ
・サマーデスクツアー2021
・秋に向けて一緒に頑張る人"募!"
・現場の粉塵マスクと飛散防止のヤッケ、夏しんどすぎてカジュアルに人が倒れていく件
・ゲームの材料集めから学んだコツコツのモチベーションの維持(長い目で計画する)

※アイデアや意見、気持ちなどは突然変わることがありますし、それが真実かはわかりません.
が、

その時、僕がそう思っていた、考えていた、ことはぜっっったいに間違いありません!!!!
これは、その刹那的な真実を記録するためのnoteです.

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