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戦車道の怪物③

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 西住まほはこれまで何一つ疑うことなく、西住流という一つの道を乱れなくまっすぐと進んできた。
 しかし、はたしてそれは正しかったのだろうか? かつては胸を張ってそうだと自負することが出来たが、今は自信がない。

 黒森峰10連覇がかかった試合で、妹のみほはフラッグ車の車長でありながら、河に転落した味方車両の救助を優先した。
 勝利を尊ぶ西住流にとって決してしてはならない行いだった。
 母はみほを厳しく叱責し、失望感を露わにしていたが、まほは妹の才能を信じていた。
 自分の副官として妹以上の人物はいないと思っていた。
 だから、母に叱られた妹が自室にこもってい待った時、まほは妹を励まそうとした。

「みほ、確かに今回の件は大きな失敗だったが、あまり落ち込むな。次からまた頑張ればいい。そうすればお前もいつかきっと、西住家にふさわしい、お母様のような立派な戦車乗りになれるはずだ」

 これでみほは奮い立ってくれるはずだ。この時のまほは本気でそう思っていた。
 だが実際は真逆だった。
 みほは奮い立つどころか、おぞましい怪物を目の当たりにしたかのような、恐怖に染まりきった表情を見せた。
 何事かと思って、まほはみほに近づくと、妹は恐怖心を更に強め、逃げるかのように離れようとした。

「こ、こないで」

 みほが発した拒絶の言葉は、矢のようにまほの心へ突き刺さった。

「……すまない」

 なにか大きな間違いをしてしまったと自覚したまほは、それ以上近づくことはせずに立ち去る。
 みほが大洗に行くと決めたのはそれからすぐのことだ。
 考えなすよう何度も説得した。しかし、そのたびに妹はまほに対する恐怖心を強めていき、まともに会話すらしなくなってしまった。
 そして、出発の日の朝。最後の望みを掛けて妹を説得しようとした。

「みほ、もう起きているか?」

 みほの部屋の扉を叩くが、返事はない。いつもならば起きている時間なのに。

「?」

 不審に思ったみほは扉を開ける。
 妹の姿はなかった。もう既に出て行ってしまったのだ。
 残っているのは、ノートの切れ端に殴り書きされた書き置きのみ。

『私はお母さんたちみたいな命をなんとも思わない、戦車道の怪物にならない』

 もしかしたらと期待する余地などもうなかったのだ。とっくの昔に絆が途切れてしまっている。

 怪物。

 みほは家族をそう呼んだ。
 自分の半身とも言える存在に拒絶されたことで、まほは自分が捨ててはならないものを捨ててしまっていたことに気がつく。

 筆舌に尽くしがたい喪失感がまほを襲う。毎朝の登校で、いつも隣りにいた妹がいない。それがこんなにも心細いものだったとは。死別したわけではないのに、それに等しい悲しみがまほを襲った。

 だが、まほは西住家の長女として問題なく振る舞うことが出来た。いや、出来てしまっていたといったほうが正しいか。
 みほを失ったにもかかわらず、こうも正気を保っているということは、自分は身も心も西住流に染まりきっていると思い知らされる。
 きっと、自分は一生このままだろう。ならば、二度と妹と同じ道を歩むことは出来ない。

 そう思っていたからこそ、今年の大会の開会式で妹が大洗代表として姿を見せたのは驚き以外の何物でもなかった。
 きっとあれから考えなおしてくれたのだろう。妹が戦車道に戻ってきてくれたことは嬉しかった。
 その後、副隊長の逸見エリカと共に喫茶店に立ち寄った時、偶然にも妹が友人たちと思しき者達といるのを目にした。

「あんなことがあったのに、まだ戦車道をやっているとは思わなかった」

 妹へ向けた自ら言葉に、まほはぞっとした。優しく微笑みかけ、戦車道に戻ってきてくれた嬉しさを伝えようとしたはずなのに、口から出た声は氷のように冷淡で、むしろ相手を責め立てるような色をしていた。
 まほは、自分の本音とは関係なしに、西住家の長女として振る舞うことが自然体になっていることに改めて気がついた。

 妹はまほの言葉に傷つき、顔を伏せて目をそらしてしまう。
 違う! 違うんだ! 弁解しようにもその言葉が口から出てこない。こびりついた西住流の心得がそれを許そうとしなかった。

「お言葉ですが、あの試合のみほさんの判断は間違っていませんでした!」

 くせっけの少女が立ち上がり、こちらを睨んでくる。彼女はエリカに睨み返されるとすぐにしゅんとして引き下がってしまった。
 その情けない姿を見て、エリカは鼻で笑っていたが、まほは違っていた。むしろくせっけの少女を羨ましいとすら思った。
 すごすごと引き下がってしまったものの、この少女は間違いなくみほにとっての「味方」であった。

 みほの最良の味方は姉である自分のはずなのに、どうして赤の他人であるお前がそこにいる。羨ましいという気持ちを超えて、嫉妬すらしていた。
 だが、まほの無表情の下にある嫉妬の炎はすぐに消えた。
 もし、あの時に自分がこのくせっけの少女のようにみほをかばっていたのならば、妹は自分のことを怪物と恐れることもなく、いまも隣りにいてくれたはずかもしれない。

 取り返しのつかないことしてしまったと、後悔の念が募る。
 妹はまほからすれば名前も知らない赤の他人達に囲まれている。だが、彼女達の中こそが、今のみほにとってふさわしい場所であるのだ。
 身も心も西住流に染まり、戦車道の怪物と成り果てた自分は、血を分けた姉といえども、もはやみほの味方としての資格を失い、ただただ害のある存在でしかない。

 悲しみがまほに襲いかかる。しかし、まほ自身の体は涙を流すどころか、その予兆すらも見せなかった。
 すぐに立ち去ろう。ここにいるべきではない。胸の中の感情が表に出ないまま、まほは無表情のまま足早にその場から離れていった。
 それからというもの、みほに対する未練は、消えるどころか日に日に大きくなっていった。

 第一回戦の大洗対サンダース戦を観戦するときも、副隊長のエリカに対してはサンダースに対する偵察とは言いつつも、実際は妹の戦いぶりを見たかったというのが本音だ。
 正直、大洗は一回戦で敗退すると思っていた。戦車道経験者はみほだけで残りは素人ばかり。保有戦車数も圧倒的に少ない。
 だが実際は違った。勝利したのは大洗だった。
 番狂わせ。そうとしか言いようのない結果だった。

「まさか……こんなまぐれが起こりうるなんて……」

 試合終了が高らかに宣言される中、隣りにいるエリカが唖然とした様子でつぶやいていた。
 いや、まぐれではない。まほはⅣ号戦車がサンダースのフラッグ車を撃破した射撃から、みほに統率者としての資質を見出した。
 あの時、Ⅳ号戦車の背後にはファイアフライが迫っており、また大洗フラッグ車は今にも撃破されるという状況だった。

 この一撃を外せは大洗は負ける。Ⅳ号戦車の砲手にかかるプレッシャーは相当なものだろう。
 仮にⅣ号戦車の砲手に才覚があったとしよう、それを鍛え上げた大洗の教官も優秀であるはずだ。その上で、砲手が持つ技量をしかるべき場面で、不備なく発揮させるのは統率者の力だ。

 追いつめられても冷静さを失わない。みほがいる大洗を弱小とみるのは、もはや油断となってしまうだろう。
 妹の資質に気づく事ができたという嬉しさがある判明、家族が変わっていく様を寂しくも感じていた。
 そのせいで、試合後にせめて妹の顔を一目見たいという気持ちが強まってしまった。

 みほはすぐに見つかった。なにやら問題が起こったようだ。
 仲間の家族が倒れて病院に担ぎ込まれたらしい。
 まほは黒森峰が保有するヘリにみほの仲間を載せて送り届けるようエリカに指示を出した。

 エリカには「これも戦車道」と説明にならない説明をしたが、真意は違う。
 自分は人であると、勝利のために良心を捨てた怪物ではないと、妹に示したかったのだ。
 ヘリが飛び立った後、みほはか細い声で言った。

「ありがとう」

 まほはみほの顔を見ずにそのまま立ち去る。自分自身でも呆れてしまうほどに無表情のままだが、ほんの僅かでも妹との絆を取り戻せたような気がして嬉しかった。
 続く二回戦のアンツィオ戦もまほは観戦しにいった。
 ただし、今回は一人だけだ。1回戦は相手がサンダースということもあって偵察という名目があったが、今回は弱小同士の試合ということで、黒森峰では偵察の必要なしと判断されていた。

 だから、まほは黒森峰の隊員たちに内緒で試合会場に訪れていた。
 試合の結果は大洗の勝利。
 みほたち大洗は一回戦よりも明らかに成長していた。
 ここまで急速に成長するチームが今まであっただろうかと、まほは驚嘆した。
 保有戦車の車種が全て異なっているいびつなチームを、みほは見事に動かしている。

 もし成長したみほが自分の元に戻ってきてくれたのならば、西住流はさらなる飛躍を遂げるだろうとまほは考えた。
 母のしほは反対するだろう。西住の名を持ちながら、西住流においての邪道に堕落しているとして、最悪の場合は大会中にみほを無理やり大洗から別の高校へと転校させ、戦車道が出来ないようにする危険すらある。

 だから、まほはみほのことを黙っていた。幸いにも、母は数年後のプロリーグ発足に向けて多忙な日々を送っており、高校大会は決勝戦以外に興味を示さないだろう。
 流石に大洗が決勝にまで進出すれば、母はみほのことを知ってしまうだろうが、弱小校をそこまで育て上げた実績ならば、あるい認めてくれるかもしれないという期待があった。
 だが、まほの予想よりも早い段階で、母はみほのことを知ってしまった。

 全国高校戦車道協会が発行している新聞にみほのことが掲載されていたのを、偶然目にしてしまったのだ。
 怒った母は準決勝の試合会場に向かい、試合後にみほへ勘当を言い渡すと言った。
 生き恥を晒していると母は言った。
 だが、仮にみほの行いが西住流にとっては恥だとしても、妹の才能は戦車道全体にとっては不可欠なものになりつつあるという予感がまほにはあった。

 準決勝で大洗と戦うのはプラウダ高校。西住流の膝下である黒森峰を持ってしても、決して油断してはならない強敵だ。
 プラウダ高に勝利し、そして決勝戦でまほが率いる黒森峰に互角の戦いをみせれば、さすがの母もみほを許してくれるかもしれない。
 準決勝当日、まほはみほの勝利を祈りながら観戦していた。

 一方で母は終始不機嫌であった。普段から笑顔をなど見せない人だが、今日は特にひどい。
 どうせ負けると思っているのだろう。みほが西住流の名誉に泥を塗ると思い込んでいる。
 戦力差は倍以上、そのうえ大洗は慣れない雪上戦を強いられる。
 試合開始直後、一気に攻め込んで相手のフラッグ車を狙う作戦に出た。

 戦力差がある以上、素速く切り込んでフラッグ車を撃破するというのは理解できる。しかし、いささか性急すぎのように感じる。
 まさか、増長しているのではないだろうか? これまで何度も格上を殺してきただけに、今回も出来ると思い込んでいる? 無表情の仮面の下に不安を募らせるまほの懸念は当たってしまった。

 大洗は集落エリアで待ち構えていたプラウダの罠にはまってしまった。
 大洗は集落の中で特に大きな建物の中へと逃げこむ。幸いにもまだ一両も撃破されてはいないが、攻撃を受けて破損している車両が出てしまった。
 包囲網を敷いたプラウダは大洗に対し三時間の猶予を与え、降伏するよう迫った。

「帰るわ。こんな試合を見るのは時間の無駄よ」

 怒りを露わにしながら母は立ち上がる。

「待ってください」

 まほは母を引き止める。

「まだ試合は終わっていません」

 勝ち目は限りなくゼロであることはもちろんまほも分かっていた。だが、みほはいつだって西住流の想像を超える戦いをしてきた。
 仮に負けてしまうとしても、みほが精一杯戦う姿を最後まで見て欲しかった。それを見ても母は無感動であるかもしれないが、もしかすると何かを感じ取ってくれるかもしれない。そんな風に期待してしまうのは、やはり西住しほという女性が自分の母親であるからなのだろう。

 西住という家が、戦車乗りという部品を製造する工場なのではなく、ちゃんと情と絆を持つ家族であるはずだとまほ信じたかった。
 観客席から戦況を俯瞰した限りでは、プラウダの包囲網は一部手薄な箇所があるが、罠という可能性がある。
 西住流ならば罠を承知で飛び込み、そして実力をもってその罠を正面から打ち破るのが正道だ。

 だがみほは逆だった。あえて層の厚い箇所から突破を試みたのだ。自分たちの誘いに大洗が乗ってくるという前提でいたプラウダは予想外の行動に動揺し、相手の突破を許してしまう。
 そして大洗は見事プラウダのフラッグ車を見つけ出し、これを撃破した。

「勝ったのは相手が油断していたからよ」
「いえ、実力があります」

 自分の口から出た言葉にまほは一瞬驚いたが、かろうじて無表情は保っていた。
 まさか母の言葉を否定しようとは……

「実力?」
「みほはマニュアルにとらわれず臨機応変に事態に対処する力があります。みほの判断と、心を合わせて戦ったチームの勝利です」

 西住家に長女にあるまじき危険な物言いだったが、幸いにもまほの無表情ぶりが冷静な分析であるかのような響きとなっていた。

「あんなものは邪道。決勝戦では王者の戦いを見せてやりなさい」

 妹を大事に思うあまり、手心を加えてやるな。母の声は暗にそう釘を刺すかのようだった。

「西住流の名にかけて、かならず叩き潰します」

 もとより手心を加えるつもりなど無い。
 自分が率いる黒森峰に、みほの大洗が十分に対抗できたと証明されれば、母は全てを許すとまでは行かないまでも、勘当を撤回してくれるかもしれない。
 サンダースのような自分を不利にするようなスポーツマンシップもなければ、プラウダのような猶予も与えない。掛け値なしの全力を持ってみほと戦う。それが、西住流にどす黒く染まり、戦車道の怪物と成り果てた自分が出来る唯一の愛情だった。


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