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戦車道の怪物⑥

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 負けた。
 まほはティーガーから登る白旗を観てその事実を受け入れた。
 負けたのはこれがはじめてではない。悔しいと思ったことは何度もある。。
 しかし、今は違う。

 直前まで胸の中で渦巻いていた、欲望混じりの汚泥のような闘志はウソのように消え去り、今は清らかなそよ風が吹いているかのような爽やかな気持ちだった。
 こんな気持ちになったのは、全力でみほと戦ったからだろう。
 こんなにも闘志を込めた戦いは初めてだった。圧倒的な戦力を緻密に統率して戦いに望む西住流は、勝って当たり前の戦いしかしない。

 みほとの戦いはスリルに満ちており、だからこそ全力にならざる得ない。
 今までの戦いで一度も手を抜いたつもりはないが、必死にもなっていなかった。
 自分が全力と思っていたものは、真の全力ではなかった。

「そうか、私は生まれて初めて全力を……いや、死力を尽くしたのか」

 まほは自分だけに聞こえるよう小さくつぶやいた。
 みほに勝つために、まほは持ちうる全てを振り絞った。だからこそ、自分を戦車道の怪物にしていた心の毒も吐き出したのだ。
 みほと戦った者たちが、なぜああも親しくなっていくのか分かった気がする。

 あの娘と戦う者達は、自然と戦車道の楽しさを実感する。大洗などしょせんは弱小。そう思っていざ戦ってみれば、想像もしないような試合を経験することになる。
 そして、そのような試合では油断する余裕も驕る余裕もなくなり、自然と死力を尽くすようになる。

 相手にそう思わせるのは、大洗もまた死力を尽くしていたからだ。そうせざる得ない逆境に、みほ達は常に置かれていた。
 お互いが死力を尽くす試合。楽しいに決まっている。
 それゆえに西住みほという人間と戦ったものは、彼女を愛しくおもうようになり、そこに友情が生まれる。
 試合後、会場から立ち去ろうとする時に、まほはみほに声をかけられた。

「お姉ちゃん、やっと見つけたよ! 私の戦車道!」

 嬉しそうに言う妹の顔を見ると、まほは自然を笑みを浮かべる事ができた。
 妹が西住の名にとらわれず、独自の道を切り開いたことは、姉として誇りに思った。
 そして、まほとみほは互いに健闘をたたえ合う握手を交わした。
 もう一度、妹と家族となれたことに、まほは大きな幸福を感じていた。

 高校戦車道協会が発行している新聞にみほの顔を見た時、西住しほは全身の血が沸騰するかのような怒りを覚えた。
 みほは大洗で隊長を務めていると記事には書かれている。大方、弱小校ならば自分でもトップに立てると思い上がったのだろう。

 戦車道は嫌だと言って転向したというのに、素知らぬ顔で再び戦車道を再開した厚顔無恥さは、母親として恥ずかしいとすら思った。
 大洗の次の対戦相手はプラウダ高だ。どうせ負けるだろう。しほはみほに勘当を言い渡すために大洗とプラウダの試合会場に赴いたが、そこで予定が狂ってしまった。
 信じられないことに大洗がプラウダに勝利したのだ。

「勝ったのは相手が油断していたからよ」

 しほは苛立ちを吐き出すかのように言った。

「いえ、実力があります」

 まほが反論する。
 いままで母の言いつけを素直に守ってきた長女の言葉に、しほは意外に思った。

「実力?」
「みほはマニュアルにとらわれず臨機応変に事態に対処する力があります。みほの判断と、心を合わせて戦ったチームの勝利です」

 まほからの指摘を受け、一理あるとしほは自らの考えを改める。
 プラウダが油断しきっていたのは間違いないが、油断をつくにしても相応の実力というものが必要だ。
 大洗にはその実力があった。それは認めよう。ただし、許容は出来ない。なぜならば、大洗の隊長は西住家の人間なのだ。

 ただの門下生ならば、邪道を使うのは100歩譲って黙認するとしよう。だが、西住家の次女たるみほは許されない。本来ならば、まほが家元となった際に、分家として支えねばならない立場にあるのだ。

 だからこそ、西住流の威厳を保つために、何としてでもみほを勘当しなければならないのだが、プラウダに勝利してしまった今は時期が悪い。
 敗北し、みほが間違いであると証明された上で勘当しなければ、西住流全体の示しが付かない。

「あんなものは邪道。決勝戦では王者の戦いを見せてやりなさい」

 しほはまほに厳しく命じる。

「西住流の名にかけて、かならず叩き潰します」

 考えてみれば、この方が都合がよいかもしれない。手塩にかけて育て上げたまほは、まさに西住流そのもの。邪道に堕落して家の名に泥を塗る、出来損ないの次女に罰を与える役割としては、これ以上相応しい人間はいない。。
 決勝戦の前夜、しほは勘当するにあたって実家に残っているみほの私物を事前に整理しようと、彼女の部屋に足を踏み入れる。

 その時、まっさきに目についたのが机の引き出しからはみ出している紙切れだった。
 何気なく手にとって見ると、それはみほが実家を出て行く際に残したのであろう書き置きだった。

『私はお母さんたちみたいな命をなんとも思わない、戦車道の怪物にならない』

 怪物……実の娘からそう思われていたと知ったしほは、血の気が失せていくのを自覚する。

 しほはまほの携帯電話に電話をかけ、この書き置きことを知っているかと問いただす。

「あなたはこれを見たの?」
「はい」
「なぜ私に伝えなかったの?」

 知っていれば、真っ先に母である自分に伝えるべきことなのに、なぜまほはそうしなかったのか分からなかった。

「申し訳ありません。お母様には不要であると判断しました」

 怪物と成り果てた者が見たとしても、心を突き動かされるはずもないということか。もはやまほからですら、西住しほという人間は情など持っていないと思われている。

「……そう。まあいいわ」

 しほは通話を着る。声は僅かに震えていた。
 私は今まで何をしてきたのだろうかと、しほは自らを省みる。
 子供の教育に妥協はしなかった。その成果ははっきりと出ている。長女のまほはもとより、次女のみほも戦車道のことに目をつぶれば、教養と品格を持つ娘に育っている。

 だが、子を教育する者としてではなく、愛を与える者としてはどうだろうか。自分は血を分けた娘達から、愛されるに値する母であっただろうか?
 その答えは、みほが残した書き置きが明らかにしている。
 結局のところ、西住しほという人間は西住流という仕組みを存続させるための人材でしかなく、母親としてはどうしようもない悪党だったのかもしれない。

 娘から怪物と呼ばれ、しほはようやく西住流に渦巻くどす黒さに気がついた。
 勝利がなければ、何もかもが先へと進まない。その考えは変わらないが、それに固執するにあまり盲目となっていたのではないか?
 本来人を育てるはずの戦車道において、あろうことか人の命を軽んじてしまっていたのだ。

「ああ、私はなんてことを……」

 気づいたところでもう遅い。怪物とまで恐れられてしまった以上、もはや娘から愛されることは未来永劫無いだろう。
 いまさら手のひらを返せるはずもなく、西住しほは戦車道の怪物としてその人生を全うする他にない。

 まほがみほを打ち負かした後、しほはみほに「邪道に堕するからだ。それみたことか」と勘当を言い渡そうと思っていたが、その意気込みは消え失せていた。
 自分は一体、どんな心持ちで決勝戦を見れば良いのか。それは試合が開始された時になっても分からなかった。

 試合中盤、大洗の戦車が横一列になって川を渡る最中に、その中のM3がエンジントラブルで停止した。
 それに対し、みほ味方を助けるため、横に並ぶ戦車を飛び移ってM3の元へと向かう。
 もたもたしていれば黒森峰が追いついてしまう上に、みほ自身にとっても河に転落する危険すらあった。

 だが、何があろうとも味方を見捨てないという断固たる意志を、その行動からしほは感じ取った。
 思えば去年の決勝戦もそうだった。荒れ狂う河に飛び込むことは、自らの命を危険に晒すというのに、それでも人を助けようとしたのだ。
 みほは大洗の全車両とM3をワイヤーで繋いで牽引して河を渡りきった。

 みほの行動に応えるかのように、M3は河を渡ったところで息を吹き返して再び走りだした。
 トラブルを引き起こした味方は見捨てなければ敗北するというのが西住流の考えだが、大洗は違った。
 その後、大洗はしほが考えもつかなかった方法で超重戦車マウスを撃破し、フラッグ車と一対一の状況に持ち込んで勝利した。

 ある視点では邪道であっても、信念を持って最後まで貫けば、それは正道になりうる。大洗の優勝をもって、みほはそれを証明した。
 気がつけば、しほはみほの勝利を称えるために拍手していた。
 西住みほという人間は、しほの思い通りには育たなかったが、それが悪いことであるとはもう思わなかった。

 親が整えた道を、迷うことなくまっすぐと突き進むのは、子としての孝行かもしれないが、それは数ある道の中の一つでしかない。
 みほは自らの力で新しい道を切り開くことができる、強い子に育ってくれた。しほは親としての幸福を感じていた。
 もう娘から愛される資格を失ってしまっているが、それでもみほの親になれたことを、しほは誇りに思っていた。

 大洗の存続をかけたあの戦いから一年がすぎた。
 再び開かれた高校戦車道の全国大会の開会式で、みほはトーナメント表を決めるくじ引きに望んでいた。
 前の大会ではどこと当たるのか不安で仕方がなかったが、今は真逆の気持ちだ。いったいどんな学校と対戦することが出来るのかとわくわくしている。

 くじ引きの結果、第一回戦は去年の大会では対戦したことがなかった相手だった。前の時のように、試合の後に友達になれたら良いなと、期待に胸をふくらませる。

「みほ」

 開会式の後、仲間たちと戦車喫茶に行こうとした時、黒森峰のエリカに呼び止められる。

「エリカさん」
「大洗と黒森峰、お互いに勝ち続けていけば、決勝戦で当たることになるわね」

 エリカが右手を差し出してきた。一瞬の間をおいて、握手を求められているとみほは悟る。
 みほはエリカの手を取る。

「黒森峰は前よりも強くなったわ。一度勝ったからって、油断しないことね」
「誰が相手でも私はいつだって全力だよ」
「そうね。お互い、いい勝負をしましょう」

 エリカが笑顔を浮かべる。
 その笑顔はかつてのものとはまるで違っていたが、みほの目にはとても素敵な笑顔に写っていた。

戦車道の怪物 完

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