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戦車道の怪物①

 戦車道は、はたして人を真っ当に育て上げるものであるのか?
 西住みほはその疑念を抱えていた。
 戦車道とは良き女性を育成するためにある。その謳い文句とは裏腹に、みほが知る戦車道に毒された者達は、勝つことに、他人を叩きのめすことに飢えていた。瞳はギラギラと輝いており、そこから人にあるべき良心を感じることはない。
 みほには逸見エリカという友人がいた。彼女は中学生になってから初めて出来た友人だった。

「一緒に頑張るわよ」

 戦車道を始めたばかりの頃、彼女はそういった。
 エリカは思ったことをづけづけと言ってしまうが、その代わりに誰かの陰口を言ったりはしないので、むしろ好感を持てる女の子だった。
 なによりも素敵な笑顔を浮かべる女の子だった。
 だが、それは戦車道によってかき消されてしまった。

 戦車道に長く関わるほどに、彼女は変わり果てていった。笑顔はとうの昔に失われ、代わりに獣のような顔を見せるようになる。
 恐ろしかった。
 負けた時は敗因を作ったチームメイトに口汚い罵声を浴びせていた。
 勝った時は、打ち負かされて涙を流す相手チームを「ざまあみろ」とあざ笑った。

 他人をけなしたり、不愉快にさせたりすることばかり言うようになり、むしろそれを楽しんでいる様子にも見え、その有様は目を覆うばかりだった。
 これが……これが戦車道の正体か。
 戦車道に対する失望感を持ちつつも、それでもなおみほ戦車道とは縁を切ることは出来なかった

 戦車道の名門である西住家に生まれたから、仕方なく続けているというのもあるが、完全に失望しきったわけではないというのもある。
 たった一粒の砂金程度のものであったが、まだ希望というものを持っていたからだ。
 戦車道が人の悪辣さを助長させるものならば、その一翼を担う西住家は悪党を育ている家となってしまう。

 みほは自らの血統が邪悪なものではないと信じたかった。。
 西住家が戦車道で掲げる流儀は何よりも勝利を尊ぶものだが、厳しいだけではないはずだ。仮にも人を育てるというお題目を掲げているのならば、厳しさの中にも愛と良心があるはずだ。
 みほはそう自分に言い聞かせながら戦車道を続けていたが、結局は醜い現実に目を背けいていただけだったのだと思い知らされた。

 それは高校一年の時に出場した戦車道全国大会の決勝戦の時だ。黒森峰の十連覇がかかった大事な試合だった。
 相手はプラウダ高校。ソ連製の戦車を得意とする強豪校だ。
 副隊長であるみほはフラッグ車の戦車長を隊長の姉から任されていた。ルールではどれほど味方が残っていても、フラッグ車を倒されてしまえば敗北となる。もっとも重要な役割だった。

 川沿いの道で敵チームと交戦状態にはいった時、味方車両の一つが河に転落してしまう。
 みほは自分の戦車から飛び出して、味方の救助を行った。
 幸いにも戦車内にいたチームメイトは全員助けだすことが出来た。あと少し救助が遅れていたら、溺死していたかもしれない。
 その代わり、みほが不在となったフラッグ車は相手チームになすすべもなく撃破されてしまう。

 それから、みほを待っていたのは罵声の嵐だった。
 お前のせいで負けた。お前が黒森峰の栄光に泥を塗った。
 みほにとっては、それは最初から分かっていたことだった。自分のせいで悲願である大会十連覇を逃したのだから。

「あんたが! よりのもよって副隊長のあんたが、なんであんな馬鹿なことをしたのよ! 役立たずを助けるなんてことさえしなければ、10連覇出来たのに!」

 罵声の中には当然エリカもいた。
 自分がフラッグ車を放り出してしまえば、負けるのは分かっていた。
 もし、あの場で味方の救助を行うのならば、フラッグ車の戦車長であるみほではなく、別の者が救助を行うべきだった。そうすれば、まだ勝ち目はあったかもしれないのだ。

 それが分かっていても、みほは自ら助けに向かったのは、おそらく誰も味方を助けようとしないだろうという予感があったからだ。
 そしてその予感は正しかった。こうして自分に浴びせられている無数の罵声がそれを証明している。
 チームメイトからの非難はまだ耐えられた。だが、同じように母からも罵声を浴びせられたのはみほの心に大きな傷跡を残した。

「あなたも西住流の名を継ぐ者なのよ。西住流は何があっても前へ進む流派。強きこと、勝つことを尊ぶのが伝統」
「で、でもお母さん……」

 あの時は人が死んでしまうかも知れなかったのよ。
 激しい叱責をぶつける母に、みほはそう反論しようとしたが、母は行き着くまもなく次の言葉を叩きつけた。

「犠牲なくして、大きな勝利を得ることは出来ないのです」

 ああ、やっぱり。
 母の言葉を聞いた瞬間、今までみほが戦車道と西住流に対して抱えていた失望感は決定的なものとなった。
 撃てば必中、守りは固く、進む姿は乱れ無し、鉄の掟、鋼の心、それが西住流。
 母が口癖のように言っていた西住流の姿勢を表す言葉だ。

 たった今、母が言ったように、勝利を至上とするのが西住流であり、そのためには味方を犠牲にしたりする。それが競技の中での上ならば、まだ理解できる。しかし、今回の件は人の命に関わる事だ。
 にも関わらず、母は命をまるで消耗品であるかのように言い放ったのだ。勝利に貢献できない役立たずなど、死んでしまえと。

 同席している姉は何も言わない。ただ、黙って見ているだけだ。そうしているということは、おそらく彼女も母と同じ考えなのだろう。
 母の叱責を受けた夜、一人で自室にこもっていた。
 ベッドに腰掛けていたみほは、自分の中にあった何かが途切れてしまっているかのような感覚があった。
 コンコンと、扉をノックする音が聞こえる。

「みほ、入るぞ」

 まほの声だ。
 みほは返事をしなかったが、相手はそれを了承と受け取ったようだ。
 扉が開かれ、姉の姿が現れる。

「どうしたの、お姉ちゃん」

 いままでなんとも思わなかったのに、今は目の前の人を姉と呼ぶことに驚くほどの違和感があった。
 それでこの喪失感の正体がわかった。目の前の人を、家族と思うことが出来なくなっているのだ。

「みほ、確かに今回の件は大きな失敗だったが、あまり落ち込むな。次からまた頑張ればいい。そうすればお前もいつかきっと、西住家にふさわしい、お母様のような立派な戦車乗りになれるはずだ」

 姉の言葉に、みほはおぞましさで背筋が凍りついた。自分が母と同じように? 試合に勝つためならば、仲間なんて死んでしまえと思うような人になるというのか。
 まほが一歩踏み出し、部屋に入ってくる。

「ひっ!」

 みほは短い悲鳴を上げながら、姉から離れようとする。その時、足がもつれて床に尻もちをついてしまった。

「ど、どうしたんだ、みほ?」

 まほが心配そうに近寄ってくるが、みほは怪物に襲われているかのような恐怖心にとらわれ、姉から更に離れようとする。

「こ、こないで……」
「……すまない」

 みほの拒絶の言葉に、まほは申し訳無さそうな顔で立ち去った。
 立ち去っていく姉の足音が聞こえなくなって、ようやくみほは安堵したが、それは一時のものでしかない。
 一刻でも早く、戦車道から逃げなければならない。このままでは自分も怪物にされてしまう。みほは戦車道がない大洗女子学園へと転校を決意した。

 大洗へ出発する日、みほはまだ朝日が昇らないうちに、誰にも見つからぬよう家を出て行った。
 まるで監獄から逃げ出す囚人のように家を出て行ったのは、ここで誰かに見つかってしまえば、もう二度と戦車道から逃げ出す機会はない恐怖があったからだ。
 特に姉には見つかりたくなかった。母と違って、みほに対する執着心のようなものを見せていたからだ。

 まほは大洗に転向すると決めた後も、再三にわたって思い直すように言って来た。みほにしてみれば、それは悪魔がお前を絶対に逃さないと脅しているのと変わらなかった。
 もう後がないこの状況で見つかってしまえば、まほは力ずくでも西住家にしばりつけてくるかもしれない。
 出て行く前、みほは書き置きを残していった。

『私はお母さんたちみたいな命をなんとも思わない、戦車道の怪物にならない』

 ノートの切れ端にボールペンで殴り書きしたその言葉が、みほが家族に伝えた最後の言葉だった。
 故郷を出た後も、大洗に到着した後も不安は消えなかった。
 大洗に来て最初の夜は眠ることすら恐ろしかった。次に目を覚ませば、大洗に来たことは夢で、現実は何も変わっていないとすら思った。
 だから、翌朝に目がさめて、そこ大洗であると分かった時、みほは心から嬉しかった。

「もう家じゃないんだ!」

 部屋のカーテンを開け、みほは朝日を全身に浴びる。ようやく陽のあたる場所にやってきたという実感を得た。
 大洗の町並みはさほど特徴的というものではない。日本ならばどこでも見ることが出来る平凡な風景だろう。しかし、みほにとっては今までとは全く違う世界だった。
 大洗にきてわずか数日で、五十鈴華と武部沙織という友人が出来た。来たばかりの新参者に親しくしてくれた彼女達に、みほは感謝した

 これが戦車道のない、真っ当な世界なのだ。
 ようやく希望が見え始めたが、現実というものは底意地が悪かった。
 よりにもよって、自分が転入した直後に、大洗は20年前に廃止した戦車道を復活させてしまったのだ。
 突然現れた生徒会長の角谷杏が悪魔のような笑みを浮かべながら言い放つ。

「必修選択科目なんだけどさあ、戦車道とってね。よろしく」

 全身からさっと血の気が失せていくのを感じる。
 どす黒い道が再び現れた。戦車道が自分を悪党に引きずり下ろすために、追いかけてきたのだ。
 目の前が真っ暗になった。
 戦車道再開を知らせるオリエンテーションで、五十鈴も武部も戦車道に強い興味を示し、いっしょにやろうと言ってきたが、例え友人からの誘いでも、みほは戦車道を拒絶した。

 驚いたことに、五十鈴と武部はみほが戦車道を選択肢ないとわかると、戦車道をやめてみほと同じ科目を選択してくれた。
 自分たちが戦車道を始めると、みほに辛い事を思い出させてしまうからというのが理由だった。
 こんなにも自分のことを思ってくれる他人は、家族ですらいなかった。

 それだけではなく、生徒会に呼ばれて戦車道を選択しろと脅迫された時も、二人は自分を守ってくれた。
 本当は戦車道をやりたいのに、二人は自分のために生徒会に対して抗議してくれている。
 生徒会を前にした時、みほの右手を五十鈴が、左手を武部が握ってくれていた。二人の手のひらからは、単なる体温とは違う温かさが伝わってきた。

 戦車道をやりたいという自分の気持ちを曲げてまで、みほのために行動してくれる。それは出会って数日ばかりの友情だけが理由ではない。彼女達は自らの良心に従って、みほを戦車道から守ろうとしているのだ。
 二人から伝わってくる温もりは、すなわち良心がもたらす温もりだ。

 自分たちに従わなければ退学させることをほのめかす生徒会に対しても、二人は一歩も引かなかった。戦車の装甲のごとく強靭な良心を持つ二人とならば、たとえ戦車道を進もうとも、母と姉のような怪物となる前に自分を引き止めてくれるかもしれないと、みほは思った。

「あの、私……! 戦車道、やります!」

 みほは再び戦車道に足を踏み入れる覚悟を決めた。
 その後、集まった戦車道履修者たちとともに、学園艦の各所に放置されていた戦車を回収して修理し、どうにかチームとしての体裁を整える。
 見つかった戦車は五両。Ⅳ号戦車D型、38t戦車B/C型、Ⅲ号突撃砲F型、八九式中戦車甲型、M3中戦車リー。個性的といえば聞こえは良いが、チームとして動くにはあまりに統一性がない。

 38tは生徒会チーム、Ⅲ号突撃砲は歴女チーム、八九式はバレー部チーム、M3には一年生チームが乗り込む。
 みほは武部と五十鈴と共に、Ⅳ号戦車に乗ることとなった。ドイツ製戦車は黒森峰で扱ったことがあるので、他の戦車よりはまともに動かせるはずだろう。
 Ⅳ号戦車には更に、秋山優花里と冷泉麻子も乗り込む。この二人もまた、みほとって良き友人となってくれた。

 秋山は戦車道の経験こそ無いが、戦車の知識は驚くほど豊富だった。
 冷泉はいつもけだるそうだが、マニュアルに目を通しただけで、戦車を手足のように動かすことができる操縦手としての天性の才覚がある。
 武部、五十鈴、秋山、冷泉。彼女達だけではない、大洗チームはみな戦車道の初心者だが、不思議と黒森峰では一度も味わったことのない一体感があった。

 チーム同士の練習試合の後、みほは一つの挑戦を胸に宿していた。
 自分以外の者は一度も戦車に触れたことのない初心者ばかり。しかし、だれも西住流に染まりきっていない。
 みなが無垢のままであるからこそ挑戦する価値がある。人の心に悪心を植え付けるどす黒い西住流とは違う道。良心を失わない白い道をみんなと一緒に探しだす。それがみほが胸に秘めた挑戦だった。

 その後、生徒会が聖グロリアーナ女学院との交流試合を行う段取りを整えた。
 はじめての対外試合は敗北こそしたが、実りのある一戦だった。初心者の仲間たちにとって大きな経験にもなったし、みほ自身も隊長としての改善点もあった。
 そして何よりもの成果は、聖グロリアーナの隊長であるダージリンとの出会いだった。

「あなたが隊長さんですわね?」

 試合後、ダージリンはみほ達の前に現れた。

「あなた、お名前は?」
「……西住みほです」

 ダージリンから名前を聞かれた時、みほ名乗ることを躊躇した。

「もしかして西住流の?」

 戦車道に身を置くもので、その名を知らないものはいない。

「随分、まほさんとは違うのね」

 その後は、嘲笑の言葉を浴びせられると思い、みほは身構えた。打ち負かした相手を徹底的に踏みにじる。それが戦車道に毒された者達の基本であるからだ。
 しかし、そんなみほの後ろ向きな想像は実現しなかった

「それでは、ごきげんよう」

 ダージリンは敗者を嘲笑することはなく、上品に微笑んで立ち去っていった。
 その後、ダージリンからティーカップと紅茶の贈り物が届く。
 それには手紙が添えられてあった。

『今日はありがとう。あなたのお姉様との試合より面白かったわ。また公式戦で戦いましょう』

 秋山によれば、聖グロリアーナは好敵手と認めた相手にしか紅茶を送らないという。
 みほにとってダージリンのような人が戦車道にいるとは想像も出来なかった。
 黒森峰にいた頃は、戦車道をするものといえば、勝利を絶対とし、それ以外を下等とみなす人ばかりだったからだ。
 戦車道は必ずしも人を悪党に育て上げるのではない。その事実は、良心を失わない道を目指すみほにとっての勇気となった。


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