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戦車道の怪物②

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 練習試合から数日後、みほ達は全国大会の開会式に参加する。
 全国大会はトーナメント形式で行われるので、開会式では組み合わせを決めるためのくじ引きが行われた。
 みほは大洗を代表してくじを引いた。結果、初戦の相手はサンダース大学付属高校となった。

 サンダースは全国一の戦車保有台数を誇る。物量において大洗では太刀打ちできない強豪校だ。
 大会のルールでは十両で参加できる。当然、向こうは最大数を投入してくるだろう。
 対して大洗は半分の五両しか保有していない。

 相手チームのフラッグ車さえ撃破できれば勝利とはいえ、何らかの作戦なしではまず負けてしまうだろう。
 開会式の後、みほは仲間たちとともに喫茶店で作戦会議をすることにした。
 だが、その喫茶店で思いもよらぬ人物と出会ってしまった。

「お姉ちゃん……」

 まほとエリカがそこにいた。

「あんなことがあったのに、まだ戦車道をやっているとは思わなかった」

 逃げ出したくせに、なぜのこのこと戻ってきた。そのような批判の色が姉の声から聞こえてきた。

「お言葉ですが、あの試合のみほさんの判断は間違っていませんでした!」

 その時、秋山が立ち上がり、二人を睨みつけるように言った。
 みほは秋山には自分の過去のことを何も話していないが、彼女は無類の戦車ファンだ。生中継されていた昨年の決勝戦を見ていてもおかしくはない。
 エリカから「部外者は口を出すな」と言われて、すごすごと下がってしまったものの、みほにとっては秋山がかばおうとしてくれたのは心強かった。

 母も姉も、誰一人としてみほの行いを失敗であると言った。大洗に来る以前は味方など一人としていなかった。だからこそ、秋山が自分の行動を認めてくれたことは、何事にも代えがたい幸福であった。
 立ち去り際、エリカはその表情を邪悪に歪ませ、恥ずかしげもなく嘲笑する。

「一回戦ではサンダース付属と当たるのでしょう? 無様な戦いをして、西住流の名を汚さない事ね」

 武部や五十鈴があまりにも失礼だと抗議するが、エリカは侮辱の言葉を止めなかった。

「あなた達こそ、戦車道に対して失礼じゃない? 無名校のくせに」

 自分たちは強くて、何度も勝ってきたのだから、やることなすことは全て正しい。それこそ、人を死なせるようなことになっても。
 そのようなエリカの態度に、まほは不愉快と思いつつも哀れだとも思っていた。彼女も西住流と出会わなければ、このような悪心を植え付けられることもなかったのに。
 エリカは言葉を続ける。

「この大会はね、戦車道のイメージダウンになるような学校は参加しないのが暗黙のルールよ」

 近年の戦車道全国大会は参加校の少なさから、予選を行ってこなかった。なぜ参加校が少ないのかはエリカが言ったとおりだ。

「強豪校が有利になるように、示し合わせて作った暗黙のルールとやらに負けたら恥ずかしいな」

 嘲笑の言葉に皮肉で打ち返したのは冷泉だった。
 テーブルの陰で、冷泉が自分の手をみほの手に重ねてくる。
 私はお前の味方だと、無言で示してくれた。
 彼女の言うとおりだ。負けたら恥だ。

 今の高校戦車道は閉ざされた環境にある。それは勝利に飢えた者たちが、自らの依存症を満たすために作られた密室であり、そこは悪心を育む温床と成り果てている。
 以前に試合を行った、聖グロリアーナのダージリンのような人こそが戦車道にふさわしいのだ。
 良心を持つ人が戦車道における「正」であるべきだと、みほは考えている。そのためにも、この大会において良心のある道を示さなければならない。

 しかし、それを声に出して姉やエリカにぶつけるだけの勇気は、まだみほには宿っていなかった。
 いずれにせよ、まずは1回戦のサンダースに勝たなければならない。勝利は人を悪党に変える恐ろしい毒を持っているが、同時に勝利なくして他人に自らの正しさを証明することも出来ないからだ。

 大洗に戻ってから、みほたちは最善を尽くした。秋山がサンダースに潜入して相手の編成も分かったので、それに合わせた練習もした。
 そして始まったサンダース戦。負けたらそこで終了。聖グロリアーナとの交流試合にはなかった緊張感が走る。
 試合前半、サンダースは大洗の行動をことごとく予測して追い詰めてきた。

 まるで未来予知が如く正確な先読みを不審に思ったみほは、相手が通信傍受機を使用していることを見ぬいた。
 ルールブックには通信傍受機は使用禁止とは書かれていない。単に物量の豊富さを誇るだけでなく、恐ろしい狡猾さをサンダースは持っていた。
 みほは相手が通信傍受機を使っていることを逆手に取った。戦車間の通信ではウソの指示を流し、本当の指示は私物の携帯電話を使って伝達したのだ。

 その後、本隊から離れて隠れていた敵フラッグ車をバレー部チームが発見する。
 大洗は全車両で敵フラッグ車を追いかける。敵本隊がやってくる前に倒せれば勝てる。
 だが、静止状態ならまだしも、逃げる敵を走行しながら射撃し、それを命中させるだけの技量を大洗は持っていなかった。
 フラッグ車を倒せないまま、敵本隊がやってきてしまった。

 動かせる車両の全てではなく、なぜか四両だけしか現れなかったのは不可解だったが、大洗は背後から攻撃される形となった。
 逃げる敵フラッグ車と、それを追いかける大洗を、更に追いかけるサンダース本隊。一両、また一両と撃破判定を受けて味方を失っていく大洗に諦念感が蔓延しようとする。
 みほは必死に仲間たちを励ました。

 強豪校と違い、大洗は全ての戦いにおいて苦境に立たされるとみほは理解していた。だからこそ、ここで逆境を跳ね返す力を身につかなければ先には進めない。
 西住流において、隊長とは冷徹でよどみのない指示を出すことを良しとする。
 冷静さと指示の正確さ。それが必須であるのはみほも認める。だが、それともう一つ、第三の必須があることを、みほは戦いの中で悟った。

 それは仲間たちに勇気を分け与えること。緻密な作戦も、高性能な戦車も全ては人が扱う。勇気だけでは何も出来ないが、勇気がなければ人は動けない。人が動けなければ、勝つために必須となる要素は正しく発揮することが出来ない。
 みほたちが乗るⅣ号戦車は味方車列から離れ、丘の上から敵フラッグ車を射撃することを選択する。

 丘の上に到達したⅣ号戦車は停車し、精密射撃の体制に入る。背後からは、サンダースのシャーマン・ファイアフライの姿があった。
 ファイアフライは直前に射撃していたので、すぐには次の射撃は来ない。相手が次弾の装填を終えるまでが許されたチャンスだった。
 撃てるのは一発だけ。フラッグ車である生徒会チームは追いつめられて風前の灯火ともいえる状況。当たれば勝ち、外せば負ける。砲手である五十鈴のプレッシャーは想像を絶するだろう。

 だが、五十鈴はプレッシャーを跳ね除け、見事敵フラッグ車を撃破した。
 五十鈴はみほが励ましてくれたからこそ出来たのだという。おもわずみほは謙遜してしまうが、自分の行いが間違っていなかったのは嬉しかった。
 そして試合後、なぜサンダースが4両のみしか合流させなかった理由が分かった。大洗の車両数と合わせるためだった。
 なぜそのような事をしたのか? それはサンダースの隊長であるケイがフェアプレーを望んでいたからだった。

「ザッツ、戦車道! これは戦争じゃない。道を外れたら戦車が泣くでしょ」

 通信傍受機の件はサンダースのチームメンバーが独断で行ったことであり、ケイ自身が望んだことではなかったという。

「それと、卑怯な真似をして本当にごめんなさい」
「そんな、私達もサンダースをこっそり偵察していましたし……」

 頭を下げるケイに対し、みほはお互い様だという。

「偵察はちゃんとルールブックに「やってもいい」と書いてあったでしょう。でも傍受機については何も書いていない。ダメと言われていなければ何をしてもかまわない、というのは私の良心が許さない」

 ダージリンだけでなく、ケイもまた戦車道の中において良心を失わない人だった。
 ケイという人物の出会いによって、みほはダージリンと出会った時のような、世界が広がる感覚を再び得ていた。
 これは黒森峰ではなかった経験だった。勝利が全てである黒森峰は他校との交流を全く行わず、ただ倒す相手としか見ていなかった。

 大洗の隊長という環境の変化が、みほにとって戦車道の見聞を広げる扉となってくれたのだ。
 その後、もう一つ驚くべきことがあった。
 冷泉の祖母が倒れて病院に搬送されたというのだ。
 しかし、試合会場と病院はあまりにも離れすぎていたため、普通の交通手段では何時間もかかってしまう。

 そんな時、助けとなってくれたのは意外にも姉のまほだった。彼女は今回の試合を見に来ていたのだ。
 まほは黒森峰が保有しているヘリコプターにまほをのせて病院へ送り届けてくれたのだ。
 みほは「ありがとう」と姉に礼を言いつつも、なぜ彼女がこのようなことをしてくれたのか理解できなかった。

 血を分けた姉妹とはいえ、今は別々の高校に籍をおく、いわば敵同士だ。西住流において、敵に塩を送るなど邪道中の邪道のはずだ。
 結局、姉は理由を話さなかったし、みほ自身も聞き出す勇気はなかった。
 その後、第二試合ではアンツィオ高校と戦う。
 この戦いにおいても、みほは戦車道への希望を見出した。

 アンツィオ隊長のアンチョビは、ダージリンやケイのように戦車道の中でも良心を保つ気持ちの良い人物で、試合後に大洗を親睦パーティーに招待する懐の深さもあった。
 西住流においては隊長とは何よりも威厳を持つべきだとされているが、みほにしてみればアンチョビのような隊長像のほうが自分にあっている気がした。
 第二試合の後、準決勝の相手はプラウダ高校。昨年の優勝校だ。

 準決勝は参加出来る戦車の上限が引き上げられ、15両となる。
 大洗は新たにルノーB1bisを手に入れ、風紀委員チームが参加してくれるが、不利であることに変わりない。
 試合前、チームは積極的に相手をせめて一気にフラッグ車を撃破しようと言う空気に包まれていた。

 みほはもう少し慎重に行動すべきかと思ったが、大洗が勢いにのっているのを見て、この勢いは武器になると考えた。
 だが、その考えは失敗だった。大洗はまんまと敵の罠にハマり、集落エリアで敵に包囲されてしまう。
 集落内にあった廃墟の中へ逃げ込み、相手の猛攻をひとまず凌いだが、追い詰められた状況にあった。

 プラウダは追い詰めた大洗に対し、「三時間以内に土下座して負けを認めろ」と通告してくる。
 人の尊厳を踏みにじることに快感を得るような悪辣さがなければ、まず出てこない発想だ。
 これまでの対戦相手と違い、プラウダ高校の隊長であるカチューシャは、戦車道に毒されているとすぐに分かった。

 彼女は驚くほど小柄であったが、その自尊心は本人の身の丈以上に肥大化していた。西住流とは違った形で、戦車道の怪物に成り果てた姿がそこにあった。
 怪物に負けるわけにはいかない。何よりも、ここで敗北してしまえば、大洗は廃校となってしまうのだ。

 この試合中に知ったことだが、大洗は廃校が予定されている。それを取り消すには、戦車道の全国大会に優勝するという実績を示さなければならない。生徒会が無理にでもみほに戦車道をやらせようとしたのは、そういった理由があったのだ。
 大洗が廃校となってしまえば、仲間達と離ればなれになるだろう。ようやく出会うことが出来た真っ当な世界をみほは守らなければならなかった。

 3時間の間、大洗は周囲の偵察を行い、敵の配置を調べあげた。
 敵の包囲網を突破し、フラッグ車を倒す。それがこの戦いにおけるみほの方針であったが、包囲網の薄い場所から突破するのではなく、あえて分厚い場所からの突破を選択した。
 相手は昨年の優勝校だ。理由も無しに包囲網に弱点を作るとは思えない。薄い箇所は罠だ。

 敵は大洗が包囲網の薄い箇所に飛び込む前提で待ち構えているだろう。ならば、あえて厚い箇所から突破を試みて相手を動揺させる。
 たとえ相手を動揺させたとしても、戦力の層が厚いことには変わりない。突破できる保証はない。だが、挑戦する価値はある。そう思えるだけの技量が仲間たちにはあった。
 そして、大洗はプラウダの包囲網を突破し、敵フラッグ車を撃破した。

 もし母ならばこの戦い方は邪道と切り捨てるだろう。しょせんはまぐれで手に入れた勝利でしかないと断じるはずだ。
 運が味方をしてくれたことは認めよう。しかし、幸運を無駄にしなかったのは紛れも無くチームの力だ。

 出来るという保証はどこにもない。けれども、自分と仲間たちは出来るはずだ。みほ自身を含めた、大洗チームの全員がそう信じていたからこそ、勇気を持ってプラウダという大壁に挑み、そして勝利という穴を穿つ事ができたのだ。
 戦いの後、カチューシャがみほの前に姿を表し、大洗の力を認めた。

 自分の道が、カチューシャの目を覚ましたなどと自惚れるつもりはない。もし、彼女が戦車道によって悪党に成り果てていたのならば、そもそも相手の実力を認めるという行いは決してしないだろう。
 最初の印象や試合中では悪辣に見えたカチューシャであったが、みほが思っていたよりも戦車道の怪物になりきっていなかったのだ。

 良心とは自分が思っているよりも儚いものではないを理解できた。
 悪心が上から覆いかぶさることはあっても、良心そのものが跡形もなく消えたりはしない。
 ただ倒す相手でもない、崖下へ蹴落とす競争相手でもない、ただお互いの健闘を認め合う好敵手として、みほはカチューシャと握手を交わした。

 そして、カチューシャの小さな手のひらを握りながら、いつの日かこのように姉と握手をかわすことが出来るのだろうかと、みほは考えていた。
 聖グロリアーナ、サンダース、アンツィオ、そしてプラウダ。大洗で再び戦車道を始めたみほは、西住流の外の世界を数多く知った。

 戦車道は人を悪党に育て上げる。みほが抱えていたその失望は、西住流という狭い場所しか知らないゆえに偏見だったのかもしれない。
 あとはみほが培ってきた自分の道を示すだけだ。勝利を追求する過程で、怪物と成り果てて良心を失った家族に対し、良心とは勝利を手に入れるために切り捨てる不要物なのではなく、良心だからこそつかめる勝利があると証明するのだ。


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