バイク一人旅を終えた感想

バイクで2週間一人旅をしたという大学1年生にとってはそこそこ稀有な体験をしたので、思うところをつらつらと記します。(本文章は2020年6月のものです)

 まず、一人旅、ということについて。程度に差こそあれど、誰もが自由気ままな旅に憧れたことはあるのではないでしょうか。よく言われるのは共感相手の不在ですが、これは出発前に想像したのとは違う形で現れました。共感相手がいないから寂しい、とかいう話ではありません。一人旅だと、きれいな景色を見た時や、美味しいごはんを食べた時の感動はすべて自分の中で消化することになり、感動と一対一で向き合わざるを得ません。聞こえはいい ようですが、共感相手がいると当然起こりうる、「感動の言語化」「感動の再確認」といったプロセスがなくなってしまうので、感動が印象に残りにくくなってしまうように感じました。感動と向き合いつつもどこか自分の殻に籠ってしまっているような感覚があります。
 また、自分探しの旅、という言葉がありますが、一人旅をしてみて、今までとは少し違った印象を持ちました。「自分」という確固とした存在がどこかにあり、それを見出すというよりも、今ある自分の中に、旅で出会った新しい自分をインストールしていくというイメー ジです。僕はこの旅で、「思ったよりも寂しがりやな自分」にも、「思った以上に一人でなんとかやれる自分」にも出会えました。これらは間違いなく今の自分の中に生きています。“生きた”経験ってこういうことだと思います。書き出すとキリがありませんが、徳島のド田舎でパンクしたり、宮崎の海岸で野宿したり、鹿児島の居酒屋でおごってもらったり、島根で発熱しダウンしたりしました。

 そして、バイク旅、ということについて。結論から言うと、「旅をするのにバイクは速すぎ」ました。目的地同士を結ぶ交通手段としては最適だと思いますが、僕が求めていたような、全く知らない土地を冒険して思いもよらない出来事に遭遇する、なんてことはありません。その土地に馴染み始める前に駆け抜けてしまいます。思い起こしてみても、阿蘇山はど んなだったか、鳥取砂丘はどんなだったか、長崎の夜景はどんなだったかは覚えていても、 熊本の町はどんなだったか、鳥取は、長崎は、ということはあまり覚えていません。一方で、一日滞在して歩き回って探索した鹿児島は、どこか切ないくらいに情景が思い浮かびます。
 ただ、これと、バイクの楽しさとは話が別です。僕がこの旅で最も楽しいと感じたのは、 バイクに乗っているまさにその瞬間です。これは一人であることが肯定される瞬間であるからかもしれません。自由の象徴たるバイクに乗って大自然の中を駆け抜ける爽快感は何物にも代えがたいものです。しかしあくまでも、これは僕の想像していたような旅像とはマ ッチしないものだったということです。


これ以降、2022年度までに結局四国、北海道、東海地方と何度もツーリングに行きました。えも言わぬ魅力がバイク旅にはあると思います。

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