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【3日目】Whatの話【北海道ペアツーリング】

行程

6:30 起床
8:15 出発
15:45 最北端到達
18:30 クッチャロ湖畔キャンプ場

9時間も寝て、テントに差し込む日光で自然に起きて、超清々しい朝だった。早起きしたなーとか思ってテントから顔を出したら、他のバイクキャンパー2人はすでに出発して居なくなっていて焦ってしまった。この日は旅のメインである、最北端、宗谷岬にアタックする日なので(キリマンジャロで言うところの登頂アタック的な感じ)、テキパキご飯を作り、テキパキ片付けをして、8:15には出発することができた。

夕陽ヶ丘オートキャンプ場

適当に2時間ほど走り、最後の町、天塩町についた。ここから先は、道道106号<ライダー憧れの道!>に入るので、最後の休息をとる。相方の体調が少し悪かったので、薬局に行って薬を買った。ちょっと体調悪いんですよね~みたいな話をしてたら、店の駐車場まで追いかけてきてくれて、栄養ドリンクとカイロを頂いた。人の優しさに触れることができるのもツーリングの良さだと思う。

天塩町には、プリンで有名な菓子屋「とらや」もある。店内に入ると、サイン色紙がいくつか飾られていた。特に有名な「黒いプリン」を買って食べた。めちゃくちゃ美味しかった。後で調べて知ったが、黒ゴマの色ではなく、炭の色らしい。普通に黒ゴマうまいなーとか思って食べていた。この「とらや」は3年前の大学2年生の時にも訪れており、一つ思い出がある。実は、ここのプリンを食べている時に、当時の主将からLINEが来た。コロナで休止中だった部活が再開できるようになったから、すぐに帰ってこいとのことだった。北海道を満喫中だったので、つらい気持ちになったが、まだまだ満喫したかったので、最速でも後一週間は帰れませんなどと言った。

僕は簡単に部活を休むことに対しては否定的な考えだが、もし部活以上にやりたいことがあるならそっちをやったらいいじゃんと思う。僕にとっての当時のプライオリティーは、北海道>部活だった。上級生になるにつれて、あるいは、チームの雰囲気が変わっていくにつれて、徐々に部活に対するプライオリティーが高まり、「やりたい」の気持ちが高まっていったような気がする。

当時のストーリー

僕は中学生の時、親とテストの順位に応じてお小遣いをもらう取り決めをしていた。1位を取ったらウン千円といった、結構な高額だったと思う。私はテスト期間になると毎日図書館に通って必死こいて勉強し、そこそこの稼ぎを得ていた。学年が上がるにつれて効率的な勉強の仕方が徐々に分かってきて、行動範囲も広がり、勉強合間の息抜きに、近くのイオンに行くことが増えた。100円(当時)のはなまるうどんに天かすをいっぱい乗せて食べて、その後3階のゲーセンでメダルゲームをするのがお決まりだった。そんなある日、メダルゲームに勤しむ私の背後に親が現れ、結構な剣幕で怒られた。私はその時も好成績を収めることにはなるのだが、全く納得のいく話ではなかった。結局、親にとって大切だったのは、「勤勉に勉強すること」という、《ありかた=手段=How》であって、《結果=目的=What》ではなかったのだ。(同じ理由で、通信簿の「関心・意欲・態度」にBやCをつける先生は敵だと思っていました。)

これは中学生の話だが、同じことが部活でも言えると思っている。「部活に入っていること」とか、「休まずに部活に行くこと」とかは、あくまでもHowの話であって、Whatの話ではないと思う。あくまでも、僕は、Whatを大切にして、達成したい何かがあるから部活に行くし、なりたい自分があるから就職するし、行きたいところがあるから北海道に行くような、そんな人間になりたいと思っている。

さて、プリンを食べるといよいよライダー憧れの道に入る。車通りは極端に少なく、バイク数台と、スポーツカーと、ダンプカーが主だった。まず眼前に広がるのは、草原と、海と、大きすぎる風車10台ほどだった。写真を撮ろうと路肩にバイクを停めると、風が強すぎて倒れてしまった(しかも、サイドスタンドを立てていた側に)。満足に写真も取れず出発し、サロベツ原野をひたすら北上した。風が強すぎて、油断したら路肩に落ちるか対向車にぶつかるので、全く気を抜けなかったが、最高の道であることに間違いは無かった。最高ポイントは3つくらいあって、左は水平線まで海が広がっていること、右は地平線まで草原が広がってること、正面は道が見えなくなるまで真っすぐ続いていることだ。何回行っても間違いないし、絶対にここが北海道の旅のハイライトになると思う。

風が強すぎてまともな写真は殆ど無し

オロロンラインを抜けて、いよいよ最北端にアタックする。前回は、ずっと海沿いを行き、岬の先端まで行ったが、今回は先端手前で丘に登り、真っすぐ北上する形でアプローチした。途中休憩でもう一度バイクを倒したりして萎えたりもしていたが、3つ4つ丘を越え、それ以上北に何もない岬が見えた時は大いに感動した!稚内から徐々に殺風景になり、風も強まり、本当に別世界にいるような気がして不思議な気分だった。ちなみに最北端でもバイクを倒している人がいた。

最北端でステッカーとか旗とかを買ったり、最北端ハガキを買ってその場で母親に送りつけたりしてから南東に向かい海沿いを走った。風が本当に強くて、50㎞/hくらいでしか走れなかったし、雨も降ってきて大変だった。何とか18:30頃にはクッチャロ湖畔についたが、ほぼ台風か暴風雨だった。必死の思いでテントを立てて中に閉じこもり、いけないとは思いながらテント内でコンロを使い、ソーセージをゆでて食べた。テントが飛ぶか浸水するかで、この旅は終わりになるかもしれないとか思いながら、必死でテントの支柱を支えた。ずっと暴風雨で、全くやることが無いので、20:30くらいには寝た(何度も目が覚めたが)。こんなチャレンジングな環境で寝るのは初めてだったが、相方は濡れたテントが風でバタバタなっているのが顔に当たりまくっている中すやすや寝息を立てて寝ていてすごいなと思った。僕はオードリーの春日が浮気したときのラジオを聞いて気を紛らわせながら無理やり寝ることにした。

これ裏に住所書いて切手貼って送れる
気合いのソーセージ炙り



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