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郷土の雑誌『延岡春秋』について

資料整理のなか、『延岡春秋』に取りかかることにした。てっきり、宮崎県立図書館、あるいは延岡市立図書館には所蔵があると思っていたが、意外にほとんどそろっていないようである。

現在、手元にあるのは、120,152,155,157~159,161~169,171~176,178~180,182~187,191,192である。※令和4年1月20日に203、210~217、219を入手した。

宮崎県立図書館にレファレンスで問い合わせたところ、

『延岡春秋』延岡春秋社 を所蔵している施設について調査いたしました。
宮崎県立図書館、延岡市立図書館、国立国会図書館以外で所蔵している図書館は、次のとおりです。
〇熊本県立図書館・・・第198号(昭和49年9月)館内閲覧のみ
〇公益財団法人 日本近代文学館・・・第132号(昭和42年12月)館内閲覧のみ

との回答であった。

『延岡春秋』という雑誌についても教えて欲しいと伝えたが、回答はなかったので、記事から探してみることにする。

延岡観光協会のサイトによると日向日日新聞延岡新聞支局長だった芦谷新一が昭和37年に月刊誌として『延岡春秋』を創刊したとあるが、昭和46年3月15日『延岡春秋』164号の奥付には、「創立十周年を迎えた延岡春秋社の事業」の中に紹介がある。

△延岡春秋(月刊)
昭和35年9月創刊、郷土の政治、経済産業、文化教育、社会の各面にわたり、公正な論評、報道を通じて地域社会の進展に唯一の郷土の文化雑誌として寄与しつつあるものです。

松田仙峡による歴史関連の連載は、120号には継続されており、昭和46年1月1日の第162号からは、小島政一郎「若い人や子どもたちのためののべおか民俗誌」が連載を開始している。

また昭和47年1月1日の第172号から「のれんに生きる延岡のしにせ」という連載が始まり、第一回は山下履物店が紹介されている。

昭和47年8月20日の第178号は、「延岡春秋創刊10周年記念号」として、様々な投稿が掲載されている。その奥付に芦谷新一が文章を寄せている。

延岡春秋創刊十周年を迎えて
限りない御支援に感謝
 二十余年にわたって勤務した宮崎日日新聞社を退職したのは昭和37年でした。(中略)私は「郷土」延岡で、「延岡春秋社」を創設して今日におよんでいますが、その間「郷土」のみなさまの御理解と、あたたかい御支持を得て、延岡春秋創刊十周年を迎えたのでありますが、私がどれだけ、みなさまのご期待にそい得たかをかんがえますと、何ともはや、冷や汗をかく次第であります。(中略)「雑誌三号」の常識を破って一地方小誌が玆に十年を迎えたのは、小誌が歯に衣着せず、そのものズバリの習性的「春秋の筆法」に対しての御支援であったことと思い、この愛する郷土のために、私はこの公正なる毒舌を筆法をもって、余命を捧げたいことを信条といいたします。
 どうぞ、不肖の文筆生活に有終の美をなさしめ給わんことを、玆にお願い申しあげる次第であります。
              郷土の雑誌”延岡春秋”
                 延岡春秋社 芦谷新一

昭和35年と昭和37年の記述があるが、昭和47年が十周年ということを考えると、昭和37年創刊と考えて良いであろう。
さらに日向日日新聞は、昭和36年1月に名称を宮崎日日新聞へと変更しているため、記事によって混同されているようである。

この延岡春秋社の出版事業は、好景気に沸いて、旭化成が元気だった時代だからこそ成立したと考えられる。今後、いつまで事業が続いたかも調べていきたいので、情報をお持ちの方はご教示下さい。

 こうした郷土の出版物が少しずつでも地元の図書館に揃えられることを期待している。

<追記>
その後、200号から209号(207号欠)を入手しました。
209号にも昭和35年11月10日創刊と記されている。実際のところどうなのか、現物を確認してみたい。

<追記>
大変失礼しました。延岡市立図書館で再度検索したところ、創刊号から3号まで、107~243号まで所蔵があった。(129、160、165、169、195、197号欠、142、168、175号が2種類ある)




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