延岡市蛇谷霊場の夏田さん
30年近く前に調査した夏田喜代子さんについて調査メモをアップしておきます。
夏田喜代子(昭和5年生) 延岡市富美山町 夏田町生
入巫
母が昭和三十一年に亡くなって、本家から、樫山の方に家を借りて出た。ある時、夏田の本家に行くと、小さなお大師さんが置いてあった。「あんた、こんお大師さん、どんげしたつけ。」と聞くと、兄さんが蛇谷のお大師さんを建てたときに、世話人をしていて、そのお礼にもらったものであった。「あら、こんお大師さん、うちにくれんけ。」「やるわ、うちにゃお大師さん、いくらでんあるかい。」というので、そのお大師さんを四の風呂敷に包んで、「お大師さん、お大師さん、今夜かいよ、喜代子んとこん来てもらわんと手にあわんですよ。私を守ってください。さあ、うちにかられち、帰らにゃ。」といって下夏田の方に帰った。
家には祀るところがなかったので、タンスの上に、「さあ、お大師さん、ここで守ってください。」といって、湯呑みなどを揃えてそこに据えた。そして朝晩お願いしたらすっとした。
そうしたら、朝、夢を見た。稲葉崎の悪い人たちが、市役所の三階までずっと並んで、いろいろよこせといって並んでいる。その時、一人いやらしいのがいて、「おまえをどしてんやっつけにゃいかん。」と彼女がその人にいったら、その人が飛び上がった。天井を突き抜けて、それから彼女がどんどん追いかけて、その人をやっつけて、下をにらみつけていたら、堤防が上を水がどんどん押し寄せていた。「堤防を切り開け。」と叫んだ。悪人をやっつけたところで目が覚めると、汗だくで寝ていた。朝六時ごろだった。
父に「ああ、私はお大師さんになった夢を見たもんな。」というと、「おまえも屁のよな夢を見るもんじゃ。お大師さんの夢を見たちや。」といった。私はそれを書き付けておこうと思って、いつもあるノートを探したがどうしても見つからず、書き付けることはできなかった。
市役所に少し神様のことがわかる島さんという人がいたので、「島さん、うちはお大師さんになった夢を見たつよ。」というと、「ちよちゃん、あんたもう少しするとわかるごつなるわい。」「いやぞ、いやぞ、拝み屋になるなんて、なますかん。」といって、彼女は二三ヵ月すると腰が痛くなった。これが昭和三十四年ごろだった。
巫病
そしたら腰が痛くなった。市役所にいっているときに、一分も二分もよう座っていられなかった。そんな時に、この山が夢に出てくるようになった。その時に彼女のの母親が、側に現われたり、上のおんだき(男滝)にある手水鉢が枯れている夢をいつもみていた。腰が痛くてたまらなかったので、みんなは病院に行けというが、その前に、蛇谷に参ろうと思った。
紫のうちしきを買って持っていこうと思って店に買いにいった。三尺三寸を買って、お金を払ったら、ぱっと良くなった。そして山に行ってみると、夢で見たとおり荒れ果てていた。手水鉢にも水は一滴も入っていなかった。「夢のなかにね、白い、毛のしょぼしょぼはえた真っ白な蛇がね、とぐろを巻いて、煙をばあーと出すような夢を見たんですよ。それから、ああ、ここの掃除をせんといかんなあと思って、うちん妹と二人で掃除をしよやち、一ヵ月一回ぐらい参りよった。」
霊能者との出会い
ある日、蛇谷で掃除をして参っていると、年増の目の窪んだ、恐い形相の男の人が下から参りに上がってきた。「あらー、あんげな目のひっこぼった人、おじねぇ」と妹と話していた。その話した言葉というのは、遠く離れていたから、その男の人に聞こえるはずはなかった。そうして、その人が上に上がってきて、彼女達の目を見て、「あんた、俺の目がおじいていったどが。」といった。そして彼女はつくって、「いいえ」というと、「んにゃ、あんたどんがいわんでんよ、神さんがいいやった。」という。「あんたは何しに来たつね。」と聞くので、「私は腰が痛くてたまらんとですよ。夢を見たりするもんじゃから、参っているとです。昔は、戦争中は参ってきよったけど、終戦後ね、母も死んでしまったので、こらもう、神も仏もないと思ったけど、こうして腰が痛くなったので、夢をみたりするもんじゃから、参ったとですよ。」というと、「まあ、そこに座んない。」といって、数珠で体を祓ってくれた。すると数珠がぱあっと飛び散った。そしてその男の人はそのまま、「おら、もう、忙しいてたまらんから、こっで、別るわい。あんたどんも参んなさい。」といって、めんだき(女滝)の方に降りていった。
私達はこの辺を掃除して、一時間ほどして、奥の院に降りてきた。するとその人が奥の院に座っていた。「あんたどんの待ちょったっちゃ。」といった。「あらなんでですか。」(昔の奥の院は真ん中に弘法大師が祀ってあった。)「(神様が)おまえは、おってから、あれを救けちゃれち言いなるから、おら今まであんたを待っちょったっちゃ。俺がいうとやねえとよ、あん神様がいいなっとよ。」という。(へぇ、神様がものを言うちね。そんげなことがあるもんじゃろか。と思ってよ、私はまだみくじが降りちょらんかったから、本当に神さんがものをいいなっちゃろかね思って)それからその人から体を祓ってもらい、「般若心経、あんたは知っちょっなっかい。」「昔は知っちょったけんど、母も死んで、もう忘れてしまいました。」というと、「般若心経を覚えない。」といわれて、その日はそれで家に帰った。
初めての幻覚
それから家に帰り、「お大師さん、お大師さん、今日私は不思議なことを聞いたとですよ。青木さんち人がね、私を救けちやれて、神さんがいいなったていうとよ。神さんが人間にものをいうていうことを、私は青木さんていう人から聞かされたっちゃけど、私も年中、神さんにお願いするばっかいでね、神さんから声をかけてもらうちゅうことはね、一遍も無いとですがね。そん、私にもそんげなこつがあっとでしょうかね。本当、今日私は不思議でたまらんかった。だから、どうか、私にも、そんな時が、神様からお声がかかることがあるんでしょうか。」というと、ピィーッと手が上がった。「あら、手が上がった。」と思った。(それからね、そん時から、霊感というものが、ちいっとずつあったかもしれんと。)
それから、その時三十九年だったので、神様にいつかをきいてみた。三十九年と四十年の間をとって、神様の声が聞けるのは、三十九年でしょうか、四十年でしょうか、と聞いたら、三十九年に手が上がった。(三十九年じゃったら、今年じゃがねと思って、そして私はうれしいやら恐ろしいやらよね。)そして今度は十二月からとっていった。十二月では手が上がらん、十一月、十月、九月をすると、九月に手が上がった。「九月のいつでしょうかといって、三十日、二十九日とくっていきよったら、二十一日に手が上がった。ほっじゃからあんた、九月の二十一日ちゅうのは、九月の二日の晩よ。明日はこら神さんからものをいうちもらうが、どんがなね、ものをいうちもらうじゃろか、と思って、もう興奮して寝られんわけね。どんがな声がかかっじゃろか思うて、そしたらね、二十日の晩はそんげして、興奮して、寝たけん寝れんとですよ。そして、うつら、うつら、うつらしてね、五時ごろ目が覚めた。なんたることもねとよね。まあ、神さんは嘘を言いなったもんじゃ。あんげして、うちにも声をかけちゃるち、嘘いいなったもんじゃ。と思って、寝たわけよ。そしたらね、六時ごろに、「どしたつかぁ、どしたつかぁ、どしたつかぁ。」ち、三声聞こえたわけよ。「あらっ、今んとが神の声じゃったっちゃろか。」と思って、それからは、全然聞くことはできなかった。その時は夢のような現実のような感じだった。ほっじゃけど、はぁー、今だに私はねぇ、あの声が一番、やっぱねぇ、頭ん残っちょっですね。」
シャマンとしての初めての活動
それからね、色々しよったら、今度は手真似足真似んなったんですね。手話のように。そしてうちん友達が、市役所を辞めて、西都の方に結婚していっていた。そして、そんこが悪い悪いち年中いうもんじゃかい、一遍遊びに行こかちゅうてね、そして遊びに行ったっですよ。「喜代ちゃん、どうか、うちはわりして(悪くて) たまらん。」その友人は市役所の時は元気だった。「そんなら、どら、どんげあっとけ、なぜちゃるわい。」ていうてね、寝てるのをうちがなぜたっですよ。ほしたら、もう、ぶつぶつ体を揺さ振っだして、私の体がぶるぶるなってね、そしてね生霊がきちょったわけね。そのこに。その生霊を祓ってやるのに、私が一番、本当、それが最初やったですよ。勝手に動くと、神様から動かされるわけやね。そのこの腹をなぜたぎりね、どんどんゆさぶっだしたと。それで私もびっくりしたわけよ。あらら、こらどしたもんけ。そん時、犬神とか知ってるでしょう。人間の生霊がね、それがね、そのこに来てたわけね。それでね、「あらら、これが人間の生霊ていうもんじゃな」と思って、それから、「はい、あんた、ちょっとこっち来てみねい、うちがよ、拝んじゃるわい。」といって、私がばったばったとはるてやったと。そしたらね、たあーっと、飛び出て行ったっですよ。私が。そしたらすーっとそんこは元気んなったっちゃわ。
その日は、私の親戚が今日死ぬるか、明日死ぬるかじゃったっですよ。それをほらかして、西都に行ったもんじゃから、今日はもうかいらんと、その親戚が死んじょっかもしれんから、うちは帰るから、あんたの服を貸しねち、その服をうちが帰って祈祷してやるからちゅうて、そのこのワンピースを来て帰ったとですよ。そしてその日は家に帰った。帰ってみて、家の風呂のね、水が温かったら、今日死んだっちゃ。もし風呂場の水が冷たかったら、もう昨日のうちに死んじょったかもしれん。と思って、うちはいんだつよ。いんで、風呂の水を触ってみると、温かかったから、ああ、今日死んだっちゃなと思って、行ったら今日しんだというとこじゃった。
そして葬式をして、それから初七日を過ぎて、そんこの服を今度は祓い出したと。そしたらね、まあいろいろしてね。手真似足真似しだしたわけよ。ほしてね、大きな山を手で描きだした。私がね。それは山ですかと聞くと、手が上がった。山でどんげしたっですかちいうたら、今度は湖の格好をした。湖ですかって聞いたら、手が上がった。湖でどんげしたっちゃろかいと思っていたら、鳥の格好をした。そしたらズドンと鉄砲を撃って、鳥が落ちてきた。そのこの先祖は山で猟師をしていて、むやみに生きものを殺していた。
神からのお告げ
蛇谷の守護神(=彼女の守護神)は八大龍王。
「うちどんも難しい神のことは分からん。」みくじが出だしたときに、「おまえは本を見るこたいかん、人から聞くこたいかん、人のを見たり聞いたりすると、人の真似をするじゃないか。何でも分からんことは神に聞け。ほっじゃないと、拝むとこいって、拝み方を見てしたら、真似をする。真似せんでも真似をしたようにとらるっ。そっじゃけ、したらいかん。」と止められた。
「そして、身形をきまったらいかんとかね。着飾ったりしたら参ってくるもんが着飾ってこんならんじゃないか。ほんじゃから、お金も何したらいかんぞ。お金をいろいろ取りよったら、おまえんところに参ろと思っちょっても、あらお金を持ってこんかったから、よう参らんていうことになる。そっじゃいかんち、みんながね、それこそ、裸足でも乞食でもがね、来てね、話し掛けて、参っていかるるようなね、山にせにゃいかんち。この山は全然違うですよ。」
活動
日頃の活動の手伝いは大師講(婦人会)の人々が行なう。
現在旧祝子村の人々は蛇谷にはあまり参拝しない。
村落の年中行事とあわせて四つの祭りがある。
星祭り(二月第一日曜日) 喜代子さんが始めた。
春の大祭(旧二月十一日) (お大師さん)
龍神祭り(七月第一日曜) 以前世話人だけで行なわれていたものを六 十二年から大きな祭りとした。
秋の大祭(旧七月二十一日)
数珠繰り(毎月第三日曜 午後七時より)
龍神祭り
「龍神祭りはね、三年ぐらい前から私はしてるんですよ。今までは小さくあってたわけ。お大師さんは大きかったんですよ。下がお大師さんを大きくもってきたから、下の邪魔をすっといかんと思って、守護神を大きくもってきたわけですよ。」 (蛇谷奥の院の下に龍泉寺という寺があり、そこには盲僧が活動している。)
「ほしてね、来年です。今はもう面を頼んじょっちゃけど、もうこら、ぜひ渡辺さんに見てもらいたいね。来年の七月よね。あのね、龍の面はね、うちん目に写っちょっとよ、今。」
「今年で三年目じゃったっですよ。来年は四年目、平成三年はすばらしい何をしようと思うんですよ。ていうのは、今、龍の面を頼んでるんですよ。それと衣装。今目に写ってるんですよ、赤に紫、水色にグリーン、そして黄色。五色の旗の色で着物を作ってね、私が作るんですよ、全部手縫いで。
そして今度はね、龍の胴体を作らにゃいかん。ほっでね、それを私はどういうふうに作ったらいいんですかちいうたらね。鯉のぼりを作れち、あれは鱗のように見えるじゃないかち。ああ、なるほどじゃなと思ってね。そしてね、その踊る場面がどんどん出るんですよ。そして流暢太鼓って太鼓が来るんですよ、七つの太鼓が。上杉明さんていう人が毎年来てくれるんです。」
神楽
「神楽はそれこそ神様から言われるとおり、踊らされるんですよ。決まった踊りがあるわけでなく、自然に踊らされる。龍神さんなこんな言いなさっと。高千穂の神楽とか色々なのがあるて、だけど、あれは人間が作って、ずっとね、伝えたもんじゃて。本当の神の神楽ちゅうたらね、おまえのしかないぞ。」
星祭り
「星祭りをみんながしてくれち言うけど、私は先生がおらんから、星祭りちいうのが分からんとですよ。どんなしていいかね。じゃから、神様、私は、みんな先生がおって、星祭りていうのをするらしいけど、みんながしてくれち言うけど、星祭りを私はしたことがないんですけど、どんなしたらいいんですか、ていうたらね、ゴヘ(御幣)を切れち。その裏に家族の名前を書いてね、それを各家に祭るようにしよち。」
「ほして、それを始めたら、あんたね、毎年よね、一年一年ゴヘが違うんですよ。その年によって、目に写るのが違う。毎年十月から十二月の間にね、拝みよっとね、ぱっと出るとよ、それをその通りに切る。鋏をぱっと入れるとね、もうぽっぽぽっぽ手が動いていくとよ。もう、これは私もびっくいすっとよ。」
「えびす大黒ただ今参上つかまつるー。」といえとなった。その一言だけをいよち。それから先は俺に任せよち、なったわけですよ。そっでね、一番最初の時はね、衣装も着けて、面も着けて、その前にね、お酒をちょいと飲ませなっと、神さんにあげちょるお酒を一口。すると「よっしゃ」ちなっとよ。それで面をかぶるわけね。そして鈴を持って、ゴヘを持ってね、出るんですよ。」
御幣と袋の準備
「それがね、今年の御幣ていうのは、今年は足元からね、世界的に、家族も足元から丸くならにゃいかん、世界的にも和を作らにゃいかん、いうて、輪のある御幣を斬らせなった。それをね、三百四十ぐらい切った。それを全部みんなに渡した。そして笹の葉を切れちいいなるかい、笹の葉をなんすっちゃろかい思ったら、笹の葉に五色の円いのをぶら下げて、福の神という字を書いてもらえという。私は姪から書いてもらいますちいうたらね、そんなもんじゃいかんち。市役所の本部の息子と娘がおるから、あれから書いてもらえと。そういう、神と何はね、無になった子じゃないといかん。それで福を女、神を男、福の神ち書いてもらえと。それを笹に吊して、ほしてね、袋を縫えて言われた。これを全部一週間のうちに作りあげにゃいかん。そして、一晩はそんげして出たわけ、朝の二時頃から朝まで。
次の晩がね袋を縫えち。あたしゃ、袋なんか縫ったことないとにね。布買いにいって、そして縫い方も教えなっとよ、どんどんね。そして縫うた。こらなんすっとですかていうと、男は厄年が四十二じゃないかて、女は三十三ね。じゃから紅白の餅を、男は白い餅を四十二、女は赤を三十三。それをきれいな紙に包んで、袋の中に入れて笹に吊す。」
豆・餅まき
「そしてその時は鬼は外ん出るんですけど、他の二人が私に向かって豆を投げ付ける。そしたらみんなそん豆を拾いなっと。それが出ていくと、今度は次の場面が今度は、うちも一人でやるけん忙しいとよね、今度は福の神の面を被って、豆を持って、「福は内、福は内」ていうと、お客さんが「福は内、福は内」、みんなで言うわけね。」
「今度は餅を入れた袋を下げて、「エビス大黒ただ今参上つかまつる。」という。ただそれだけなんです。そして「参込んだ、参込んだ、エビス大黒参込んだ。」ちいうと、お客さんも繰り返す。もうこりゃ見てもらわんと分からんわ。」
「一様踊ってしまったらね、袋の中からその年の厄年の人に餅をやる。余ったらみんな撒いてしまう。今度はみんなから年と名前と住所を書いてもらった紙があるから、それを全部、うちと妹二人で、一人一人読み上げて祈祷するんですよ。いっぱいちいうてもまだ少ししかないけん。大きい袋じゃろ、おそらくこんげ袋が大きいかい、大きくなっじゃろうと思うとよ、後はね、この家が大きなっじゃろうと思うとよ、私はそう思ちょっとよね。 それを読み上げて祈祷して、また袋にその紙をしまって、出ていくとよ。それが星祭りの終わり。それからあとは、餅を六斗ぐらいつくですもんね。その年の厄年の人は、翌年の星祭りのときに年の数ほど餅を授けるんですね。そしてそれをみんな撒くわけ、女は饅頭を三十三供えてね、厄年明けのお礼を言うわけです。そしてそれを撒くわけです。豆は撒く、餅は撒く、もう大騒動。そして子供は子供で集めるんですよ、正義さんがね。じゃねと子供も大人もおっと、よう拾わんじゃろ。それを撒いてしもたらね、今度はおにぎりと煮染めと、婦人会の人から作ってもらって、みんなに振舞うんですよ。そしてそれで終わり。」
寄付金の用途
「そして信者からもらったお金で、いらんていうけど、幟を買うんですよ。その旗に八大龍王と書いて、寄進者の名前は全然いれんで、名前を入れたら信者さんが私もあげにゃいかんがて思うから、みんなから戴いて、みんなからあげたものと思うてね、名前をかかんで、八大龍王神てね、幟をね、毎日二十本づつ作っとですよ。それがね、今年で八十本ぐらいになったですね。それをなった(夏田)の部落からずらっと私は夢見ちょったっですよ。自分一人でも、一本ずつでも旗を立てようと思っちょって、昔からの夢でね。それが、みんなからあげてもらうお金でね、私はこの山の備品を作ろうと思って、なるだけ部落の人にもお世話にゃならんし、寄付くれ、何くれてみんな嫌いじゃわ。じゃからみんなから戴いたのを私はこの山にね、全部使って、備品を集めて、全部その金で買うんですよ。そして私がおらんごっなって、正義さんがおらんごっなってもね、この山がいつまでも続いてもらうようにねしようと思って、その備品を買うんですよ。」
蛇谷の将来
「おそらく十年後二十年後、十年後二十年後じゃない、来年で私は、私が生きちょったらですよ、来年はすばらしい祭りがでくっちゃないかなあ思うんですよ。それをぜひ成し遂げたいと思うんですよ。この目に写るね、姿をそのまま、私が踊られたらね、そら、全国探してもないと思う。龍さんはそんないいなさっとですよ。星祭りでもね、龍神祭りでもね、世界中探しても日本中探してもね、このような祭りは絶対無いちいいなっと。そらそうだろうと思うとよね。神楽でもだれもよう舞わんですわ、神様が舞わせよなっちゃから。」
時間観念
「そしてね、祭りの時間は何時かてね、県の博物館の人がこの前来られた時に、時間は何時から始まるんでしょうか、ちいいなるから、時間は十時から始まります、ちいうたら、何時に終わりますかていうから、うちのはすいません、その終わるのはね、絶対分からないです。その時の神様のね、人間とのふれあいで決まる。そんなね、人間で左右される神じゃないぞち、よその神とここの神は違うぞち。よその神はみんなね神をだしにしよるち。人間がいいようにしてね、時間を切って、自分の飲み食いとかね、何しよっじゃねえかて、ここの神は金はいらんち、とにかく俺がすっちゃから、しっでなんなら帰ってもろちくれち。一人でも二人でもいいとじゃち、儲け主義じゃないっちゃから。じゃから時間のこた分からんち。それをそんなしていうたっですよ。ほしたらね、那賀さんて人がね、びっくりしなすってね。それでびっくりしました、神の原点ていうのはここから始まっているんじゃないでしょうかねて、時間のことを聞いただけで、私はびっくりしました。そして来てまたびっくりしやったですよ。そのすばらしいことにね。私がおどったとがですね。とにかくここに立ってですね、流暢太鼓が七つたたいてもらうんですよ。その流暢太鼓ていうのはね、神楽がないから神楽が入らんとちょっとさみしいち、じゃから、その神楽をするために、おまえに龍の面を作って、せっかくの太鼓にあわせて、おまえを舞わせようと思って、衣装作れてなにしたっちゃけど、今年は兄が死んだもんじゃからね、できんかったっですよ。来年はねそれに合わせてするどと、じゃけどね、今までのように一週間がかりじゃできんと、一年がかり以上を作らんとできんぞちいいなっと。」
蛇谷奥の院和讃
この歌は、平成二年八月十一日から二十九日の間に、朝五時半から一節づつ神様から教えられた歌だという。それを書き留め、覚えたものである。実際に歌を聞かせてもらったが、静かなメロディで映画寅さんのテーマ曲に似た感じであった。まだうる覚えであったらしく、正式に書き留めた歌詞を送っていただき、それをここにそのまま記した。
七番の「しずかにひびく笛たいこ」の歌詞は、男滝の滝の音が笛や太鼓の音に聞こえ、蛇谷の不思議の一つといわれている。また、八、十一、十四番に出てくる「村人よ、村人よ」という言葉は、夏田地区の人々が地元である蛇谷の神を大切にしないことを嘆いているためであるという。
蛇谷
「私の話はね、とにかくこの山をですよ、昔の人が集まっていたのを、戦争中はみんなこの辺に疎開してきよった。みんなここに寝泊まりしよったとですよ。寝泊りして、朝になると帰って行きよった。六畳と四畳半ぐらいの狭い部屋だった。終戦後になるとみんな神も仏もないという感じになった。うちなんかも同じような感じだった。」
不浄観
黒不浄を嫌う。お客さんは四十九日過ぎるまでは、みくじは降りないわけではないが神が嫌う。もうすでに信仰を深めた人は黒不浄は関係なく神ごとを行なうことができる。
赤不浄は嫌うことはない。その理由は「赤不浄は自然のものだからね、女のあれは自然に神が作ったものだから、それはかまわない。」
祝子村の伝説
永正十一年(1514)、日照りのため村民でお参りをした結果、雨が降り、信仰が深まった。 その後、延岡藩の守護神として崇拝された。詳しい由来書があるとのことである。
参拝社・巫堂
自宅には弘法大師像を祀る。巫行はほとんど奥の院で行ない、朝は必ず上の滝において水行を行なう。神様はする必要はないというが、気持ちを引き締めるために行なう。奥の院には、左に不動明王、中央に龍神、右に弘法大師を祀る。以前の奥の院は昭和六年に建てられ、六十二年に信者の寄付により、1200万円をかけて建て直された。八十八ヶ所大師像は大正十二年に建てられた。
巫具
御幣は神のいうとおりに毎年切るため、その形状は毎回異なる。太鼓は巫業を始めてしばらくして高千穂の人に注文して作ったものである。祭壇の前には書き付け用の筆と紙が用意されている。毎月に行なう数珠繰り用の大きな数珠。各巫術により、巫具は異なる。
巫術
病気判断、憑きもの落とし、祈願、卜占、捜し物など。クライアントの要望には何でも応えるように心がけているが、病気に関してはまず病院に行くようにすすめる。他日頃から努力が必要なこともあるという。神様を下ろすのには時間はかからないが、話し始めると神様のことだから一時間から三時間かかることもある。午前中から多くの人が奥の院に集まり、話相手、相談相手となる。
系譜
祖父は信仰が厚く、蛇谷に八十八ヶ所お大師様を建てた時の責任者だったそうである。 母も霊感はあったが、個人的にお大師様を拝み、家族の祈願を行なう程度であった。その力を強めるために滝にうたれ行を始めたのが原因でなくなったそうである。
妹は三ヵ月遅れてミクジが下りた。喜代子を救けるようにとのことで、日頃は巫業は行なわず、手伝い程度である。
同業者として宮井清敏さんがいる。共同で業を行なうこともある。
神様が言うには、決して本などを読んで勉強してはいけない、とのこと。経文も般若心経を以前から覚えていたぐらいで、他はすべて神様が教えてくれる。祭りの神楽の準備もすべて神の言うとおりに彼女ひとりで衣装縫いや鈴作りを一週間ほどかけて作る。舞も初めの掛け声をかけるだけで、あとは勝手に踊り始め、いつ終わるかはわからない。
神との関係
「(龍神さまが、)信仰ちゅは何かち、心ちいいなっとですよ、他に何にも無いち、真心ち。それが信仰ちゅうもんじゃち。」「私ゃ全然何もせん時に(神の知らせが)ぽいときたっですよね。蛇谷に参って三ヵ月たって。(龍神さまが )おまえの変わったとこはね、他の人はみんな、神仏にすがってきてね、人間が神に取り成して神が降りるようになったて。それだけど、おまえは神がね、おまえに惚れたっちゃちいいなっと。蛇谷の神がね、おまえの心に惚れたっちゃち。それが普通の人間と拝むもんとおまえとの違いちのはそこにあるとじゃ。じゃから行とかせんでも、神からの直接のみくじが降りだしたというのはそこに違いがあるとじゃちいいなっとですよ。」
「何のためによぉ、一銭がたもならんのに、こう、こんがなもん、せんほうがよかったちいったら、そしたら神さんから怒られちよ。おまえは何ちこつかち、あんね、この世の中にね、残すことは、金は残したらいかんち。ね、金は本当、ただ家の者が何するだけであってね、何もならんち。金は生き金を使わんとならんち。残すのは名を残さにゃならんち。がんたれ名(汚名)は残したらいかんけど、名はね、人のために、名をね、絶対残しとかにゃいかんち。名を残せち、金は残すなち。で、生き金を使えち。そんげ言いなっと。そして(参拝する)暇が無い、暇が無いちいうけど、暇はねひと(他人)がつくるもんじゃないて、自分がつくらないかんとじゃち。自分がつくってこそ参れち。人間はね、頼ん時は一生懸命お願いしますちいうけんど、いいなったらね、頭も下げんち。頼むときは一遍でいいとじゃち。いいなったら、百遍下げても損はせんどがち。そこが人間はやっぱいかんち言いなっと。神さんちいえば、礼儀正しいからね。絶対、いいなる時はいいなるけど、怒る時はびしゃっと怒るからね。ここの神さんは厳しいよ。まぁ、よその神さんと全然違うわ。」
系譜
祖父は信仰が厚く、蛇谷に八十八ヶ所お大師様を建てた時の責任者だった。 母も霊感はあったが、個人的にお大師様を拝み、家族の祈願を行なう程度であった。その力を強めるために滝にうたれ行を始めたのが原因でなくなった。
妹は三ヵ月遅れてミクジが下りた。喜代子を救けるようにとのことで、日頃は巫業は行なわず、手伝い程度である。
同業者として宮井清敏さんがいる。共同で業を行なうこともある。
神様が言うには、決して本などを読んで勉強してはいけない、とのこと。経文も般若心経を以前から覚えていたぐらいで、他はすべて神様が教えてくれる。祭りの神楽の準備もすべて神の言うとおりに彼女ひとりで衣装縫いや鈴作りを一週間ほどかけて作る。舞も初めの掛け声をかけるだけで、あとは勝手に踊り始め、いつ終わるかはわからない。
伝説との関係
周辺住民に認められるためだけではなく、巫術師自身が信仰の拠り所の確認として神仏に関する伝説が一助となる例が多い。
延岡市には蛇谷と呼ばれる行場があり数人の巫術者を中心に信仰されている。年に四回の祭りには二○○人を超える信者で賑わうが、それはこの土地のめんだき(雌滝)・おんだき(雄滝)と呼ばれる滝を含めた霊験あらたかな霊場信仰ともとらえられる。『蛇谷由来文書』(仮題)には、
蛇谷の信仰の代表者である夏田喜代子さんは絶えられない腰の痛みにおそわれ、枯れた手水鉢や荒れ果てた蛇谷の風景を夢にみていたという。蛇谷は夢の通りに荒れ果てていた。それから妹と二人で頻繁に掃除にでかけているうちに龍王神が示現した。蛇谷の復興を夏田さんに命じたのであろう。
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