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楢木範行年譜26 昭和10年日本民俗学会講習会

楢木範行と澤田四郎作、岩倉市郎との関係のはじまりについて、年譜25で話題となった。

そのなかから日本民俗学講習会に立ち返るべきかと考え資料を探したところ、議事録が遺されていたので、そのなかから楢木範行の発言をピックアップすることとする。その書籍は、柳田国男編『日本民俗学研究』(岩波書店、昭和10年)である。

講習会にさんかできなかった会員向けに作成された議事録とのことで、座談会での各会員からの詳細の報告が記録されている。それぞれの会員の準備の大変さとこの研修会に向けた意気込みが伝わってくる。都道府県を代表する形で、より柳田国男が好みそうな事例を次から次に提示してくるスリリングな会の様子が伝わってくる素晴らしい議事録である。
楢木範行は柳田から紹介された際の発言のみならず、各会員から提示された話題について鹿児島の事例を紹介、積極的な姿勢が見て取れる。

「開白」として柳田国男からの説明がある。

 昭和十年七月の末から、八月初旬にかけて一週間、日本民俗学の第一次の大会が、日本青年館の詰棠に於て開催せられ、各地方の同志約百五十人が是に参加した。当時事情があつて列席し得なかつた人々、及び我々の事業と抱負とが、如伺なる種類のものであるかを知らうとする人々が、等し<此記録の公刊を希望して居られる。さうして我々にも亦之に由つて、汎く国内有識者の批判を求めんと欲する若干の意見があるのである。会を企てた趣旨と動機は、次の開会の辞が一端を述ぺて居るから、之を序文に代用する。その会同の効果と雰囲気は、個々の筆記が或程度までは談つて居ると思ふ。単なる一篇の記念の書の如く、認められずんば幸ひである。(中略)
 各府県の同志諸君が、斯うして一堂に集まつて来て、互ひに今まで考へても見なかつた自他の郷土の事実に心づき、乃至は其知識と問題とを交易せられるといふことは、私にとつては名状すぺからざる悦びである。暗示と啓発とは無限であらうと思ふ。色々と勤説を試みたにも拘はらず、三重、宮城、島根、香川、福岡等の重要な数県から一人も賛同者を得なかつたことは残念であるが、しかし在京学生諸君に中には、多分是等の地方から、出たばかりの人も若干は居られることゝ思ふ。願はくはそれぞれの郷里を世話人に通知し、座談会の席上では成るべくは各自の土地の学問をも代表せられんことを希望する、是が私の開会の辞である。

1~5頁

講義の概要が紹介された後、巻末に「日本民俗学会講習会座談会速記録」として議事録が残されているので、楢木の発言部分を紹介していく。

柳田 大阪は生憎いろいろ差支があつて、来られる方も来られなくなりましたが、あそこは東京と違つて、奈良、大阪、京都、兵庫の四つが連絡しながら折々集会をして居ります。大阪には熱心な會合者が沢山あります。その中の一人も来ることが出米なかつたのは残念ですが、鹿児島の喜界島の生れの岩倉君は大阪に住んで大阪の団体に属して居られますから、岩倉君、大阪の話をして呉れませんか。
岩倉 会員で奈良を代表して来て居られる岸田君がゐます。
柳田 岸田君には奈良の話をして貰ふから、君は大阪の話をして下さい。いつ頃から出来て、どうなつたといふことだけで宜いから。
岩倉 私は大阪に住んで二三年になります。昨年の十一月頃柳田先生がお見えになつて、其頃桜田勝徳さんも丁度大阪の方においでになつたものですから、皆が民俗研究の談話会でも作らうぢやないかといふ話が持上つて、大阪民俗談話会というものを拵へました。毎月一回づつ会合することになつて、十五六人ぐらゐの方々がお集りになつて、随分変つた各地の人が揃つて居るものですから非常に面白い話が出て、旅行などしなくても各地の話が承はれて、非常に勉強になる会だと思つて居ります。私は其の会に出ましたけれども、皆非常に熱心にやつて居られまして、ずつと継続させて行かなければばらぬと云つて意気込んで居られます。

「大阪は生憎いろいろ差支があつて」とはどういう理由かは不明であるが、ここで紹介されるべき人物は、澤田四郎作らであろうと思われる。岩倉の説明から大阪での活発な活動の様子が伝わってくる。この講習会には澤田は参加しておらず、岩倉が参加しているということは、澤田よりも前に楢木は岩倉に会っていたのかも知れない。

九州の研究者について、柳田は、「次に福岡と佐賀の二県は生憎一人も来て居られませんが学生の中で誰か話される方はありませんか。ーーなければ大分県の後藤貞夫君を御紹介致します。」「熊本県は玉名郡と阿蘇郡の両郡から来て居られますが、二君の話合で能田太郎君は立たずに八木三二君が熊本県の状況を話して下さるさうであります。」と順番に紹介し、続けて楢木範行の紹介となる。

柳田 宮崎県は出席者がありません。鹿児島県では昨日岩倉君が立ちましたが、今度は商船学校の楢木範行君に立つて戴きます。
楢木 鹿児島県は民俗学の研究に於ては寥々たる感を懐かしめるのであります。薩摩、大隅、離島所謂十島、大体この三つに分かれて居つて、それぞれ事情を異にして居りますから、非常に複雑であります。現在県下で特にこの方面に携はつて居る人々は大島方面に割合に多いやうであります。大隅に於ては山下鳥六といふ人が民謡の採集をやつて居ります。この人は民謡作者でもあつて、都城の民謡及び最近は志布志民謡に当選して発表されて居ります。薩摩の方では坊泊の青年学校に居る原夫次郎といふ人が、これは私の学校の卒業生でもあるし本人も興味を持つてゐるので、漁村の民謡及び漁村の漁夫達の慣行について精々やつてくれるやうに頼んであります。市に於ては一昨年の十一月から鹿児島郷土学会といふのを起して、会員は十六名ぐらゐあります。これは純然たる民俗学会ではなくて、広汎に互つた民俗学、郷土文芸、郷土史、郷土博物、郷土地理等のそれぞれ専門の者達が集つて毎月一回例会を開き、数箇月に一回共同の問題を提出して共同研究をやるといふことになつて居ります。併しまだそれを発表する機関誌等は持つて居りません。皆若い者ばかりであります。市には別にお役人達が主になつてやつて居る史談会といふものがあります。これは一と口に申しますと島津の歴史を研究するのであつて、我々とは趣を異にして居ります。併し史談会の中の仁明は我々の郷土学会にも参加して居ります。
 私は今鹿児島県に住んで居りますが、生れは宮崎県の西諸県郡真幸村、郡の西の端つこで小さな村でありますが大隅薩摩肥後の三国に接して居る谷間の盆地であります。真幸の人間は一体に小さいと申されて居りますが、三方四方から引つ張られる為に或はさうなつたのかも知れません。

443頁

楢木範行の紹介を受け、柳田は宮崎県の日野巌についても紹介しているが、ここでは割愛する。伊奈森太郎が座長となり、食物について発表されていくなかで、指名を受け、楢木は発言する。

楢木 昨日粢の話が最後に出ましたから、その粢に付てちよつと申上げます。我々の方では粢は屋根の葺換へと棟上げの時にだけ使ひます。それは水で米の粉を合わせたままを手でちよつと握つて、綺麗に作らないで、手の型が、其のまま付いたものを持つて、屋根から一つ一つと云つて投げるのです。おいしくも何ともないのでありますが、我々は小さい時はそれを争うて食べたことを覚えて居ります。現在でも勿論やつて居ります。佐田といふ村に行きますと粢田(しとつてん)といふ苗字を持つた部落があります。それはお宮などの屋根葺、さう云ふ方面と関係があるのかしらと思つて居ります。
 それから五月の節句に拵へるものをちよつと申上げます。鹿児島の方では第一に何処の家でも作るのがマキとカカラ団子であります。マキは糯米を灰汁水に浸して、それを竹の皮に包んで、蒸し或は煮たものであります。大体竹の皮の大きさに依つて長さが略ニ六寸ぐらゐ、周囲も六寸ぐらゐのマキになる訳であります。カカラ餅とカカラ団子と云ふのは、かからの葉で・・・かからと云ふのは普通語で何と言ひますか・・・
柳田 さるとりいばらと言ひます。
楢木 葉の裏と表を合せて、その中に唐芋即ち薩摩芋を切干にしてハタイたものを捏ねてそれを蒸したものであります。之を唐芋のかんと言ひます。唐芋から取つた澱粉の方はカネと言ひ、粉の方はカンと言ひます。この二つの品だけは五月の節句には必ずなくてはならない。
 麓に於ては・・・麓と云へば島津藩に於ては郷毎に武士だけが住つて居る村であります。その麓の武士の家に於ては、前に言つた二つのほかに、小豆のカンと高麗餅を作ります。高麗餅といふのは糯米の炒粉を蒸したもので、蒸さないものは炒粉餅と言つて居ります。蒸したものが高麗餅、それに少し小豆の汁を混ぜるので赤くなつて居ります。この二つは武士の家では、前に申しました二つのほかに作る品物であります。
 序に申上げますが、我々の方では儀式の時は、凶の時も吉の時も餅を搗きます。ただ十月のいのこの祭には赤飯を上げるのであります。その赤飯を上げる理由は、いのこの神様と云ひますか・・・に赤飯を上げないと蠅がゐなくならない、蠅が逃げない。夏中握飯を負つて居つたから赤飯を食べないと何処にも行かれないと云うて必ず赤飯を上げます。ほかの場合には我々赤飯を小さい時から殆んど食べたことはなかつた。さつき申上げました。節句の団子類は今では市に於ては商品化して居りまして、いつでも食べられるものになつて居ります。
柳田 差出がましうございますがかから団子のことに付ては私の知つて居るだけを申上げます。東京の郊外にある亀■子薔薇などと云ふ丸い薔薇、多くの所ではいびつの餅などと云つて居る、あれであります。私は宮崎県でかから団子と云ふのを食つたのですが、一枚の葉で、季節は五月には必ずしも限らないのでありますが、あの地方では、あの葉で包んだ餅と五月とは関係が深い。全体に五月は木の葉の月でありますが、あれで包んだ餅をよく出す。私などはあの葉で包んだのを柏餅と思つて居りますが、随分いろいろな名前があります。それに比較したら面白いだらうと思ひます。一つの例は、福岡県あたりもさうですし和歌山県あたりもさうですが、五郎四郎柴と申して居ります。五郎四郎と云ふのはどう云ふことか知りませんが、五月の節句に食べる団子にしか用ひられない。あの葉は糖尿病などによく効くといふ山帰来(サンキライ=サルトリイバラ)であります。この方はあまり知らずに、餅ばかり連想する。未だに郊外を歩いて、あの葉を見掛けると直ぐに五月の柏餅を思ひ出します。
楢木 私の方では、狐が化ける時はあの葉を体に着けて化けると言ひます。

461~463頁

柳田と楢木のやりとりがあり、理想的な情報交換ができている印象である。続いて「子守唄」「苞氏神」「女性の労働」などについての鹿児島の事例を報告している。

※後日、入力します



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