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楢木範行年譜27 楢木範行と最上孝敬

年譜25で澤田四郎作から楢木範行宛の書簡を紹介したが、他にも多くの研究者からの書簡が遺されているので、準じ紹介していく。今回は最上孝敬である。柳田国男来訪の段取りのため、事前に鹿児島を訪問して、楢木とやりとりをした経緯などの交流があった。
※ざっくりと文字起こしをしましたので、不明文字が解ればご教示頂けると助かります。

①最上孝敬→楢木範行、昭和十一年三月十七日
※昭和11年4月27日から柳田国男一行が鹿児島に来訪するが、その下調べであろうか、鹿児島を訪問した際のお礼の手紙である。

先日参上の節は 種々御もてなしに
預り 誠に難有う存じました。お陰
様で短時間の間に用件をかたづけ
ることが出来ました。あれから宮崎
県の細島まで行きましたが、荒天
の為船便なく、四国渡りは断念
し、瀬戸内海・和歌山などをまはっ
て帰りました。□□□□□の調べ忙
殺され、御礼も申おくれました。

なほ、つまらぬものですが、浅草苔□□小包
で御送り申上げました。御笑納願ひ
上げます。 
それから柳田先生の御出かけは四月
の末頃になるやうです。四月十九、二十日
迄長崎の講習の由、それから雲仙、天草、熊
本を経て、御地に至とられるせうです。もう
略日程のたつ頃とおもひますから、二、三日
中お伺ひして、早速御知せ申上げます。 
三月十六日          最上孝敬
楢木範行様

①最上孝敬→楢木範行、昭和十一年九月二十八日
※日付の年が不明である。昭和12年2月11日に楢木は「郷土に於ける交易の研究」を小冊子で発行しており、そのために昭和10年に最上が発表した「交易の研究」を参考にしたいとあることから、昭和11年の書簡と考えられる。

今月初め永井龍一さんにお目にかゝ
つて早速、越中五ケ山へ参り、ずっと奥
地部落をめぐつて居りましたため、御手
紙の□□遅れ誠に失礼申し上げました。
相変わらず御□□、今回は交易の研
究御発表の趣き、御発表の続きは
是非□□致度存じます。交易研究
に昨夏の拙稿御参照下さるとのこ
と、全く間にあはせのものにて、御恥し
き次第ですが、何か少しでも御役に立つ
を□□御□いますれば、難有□会です。
あの稿は是非かき改めたく存じて居り
ますが、細の方正の仕るしおすれそれま
での運びに至りません。

当時此度御送り申したことがありま
したかどうか忘れましたが、旧稿『交易
の原始形態』抜刷一部別便で御届
当時■御送り申したことがありま
け申上げます。外国のことですし また□□□□のみですし
   御致□□願□さへ
□□かとを存じますが。
九月廿七日
              最上孝敬
楢木範行様

永井龍一は、鹿児島民俗研究会の会員であり、積極的に上京し、柳田国男をはじめ多くの民俗研究者と交流があった。

最上孝敬からの書簡は、昭和33年に楢木みち子宛てに、平凡社による『日本民俗学大系』の出版の為に連絡を取っているが、ここでは割愛する。

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