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楢木範行年譜29 楢木範行から楢木みち子へ

楢木範行は、昭和11年1月に堀みち子さんと結婚するが、詳しい馴れそめは不明である。書簡が遺されているのは、昭和11年8月の調査先からの葉書である。週末には民俗調査に出かけるのが日課になっていたと思われる。

①楢木範行→楢木道子(昭和十一年八月十五日)
曽於郡恒吉村長江の旅館→上荒田町

今日は高飛びした、田舎だ
旅館と看板はあるが風通の百姓家だ、
店屋の二階と二軒丈しかないのだ。
この辺の七夕は七夕らしい。今日明日お盆だ、
色々思ひ出される。明後日頃は高隈山を越えて
かへる。鹿児島湾が見たい。四里半だ。
心身共につかれてしまつた。能率を挙げやう
とするものだから・・・如何?

②楢木範行→楢木道子(昭和十一年□月十四日)
鹿児島県肝属郡内之浦町の日高旅館?→上荒田町
丁度林道工夫を四十人も乗せて来た汽船が
内之浦にかへるのが居たのでそれで引揚げて昨夜は八時頃
着いて娑婆の風にふれた思ひをした。
今日は波見、志布志を一寸調査して予定を変更して
恒吉、市成を二三日調査する。海浜は条件が
同じで結果も同じ様だから山村に入り込むのだ。
今の所帰麑は予定よりはおそくならない。
ひよつとすると一日位早くなるかも知れぬ。
どんな具合?お大事に、
福□さんは元気?  内之浦町日高旅館?
                 範行

③楢木範行→楢木道子(昭和十三年二月二十八日)
油津→宮崎県西諸県郡飯野村

元気だらう、二人とも、
いよ/\参拝を終って油津
まで辿りついた、ウンと
お願をかけて置いた。
     青島は桜が咲いてゐた。
青島からういろう餅とびらう餅とを送った。
おちゝ飴は買い損った、
町で昼食する時 買ふ筈のが
昼食をこゝにしたので、
         お大事に
        油津にて
            範行

④楢木範行→楢木道子(昭和十三年三月二日)
鹿児島市→宮崎県西諸県郡飯野村

三月一日           のりゆき
道子どの
大分暖くなつて来た、これで大した寒さは来ないの
だらう、元気だらうか、日曜日は無事帰鹿児した
鵜戸さんから油津に出て都城に越えて、時間があつたから関之尾滝を見物に行つて七時に発つた
お守を同封する、綾ちゃんの家にも行つた、三月お
前の居る内にカヘルト言つてゐた
稲葉先生からお祝送つて来たゞらう、帰って
見たら生徒の片野坂の父からお祝が来てゐた、
上等の袖無しだ、送ってやらうかどうしようか、
ういろう餅はとゞいたか、

今日は兄上達に心ばかりの御馳走をする積りである
勿論 内で手製だ
この日曜は天気さへよければ近くに調査に出かける
場所は決定してゐない
伊都子嬢の御依頼品はまだ買はない二三日中に
送るからと伝へてくれ
文□さんからの見舞金は渡したと母上に鶴声を
乞ふ。
皆御達者である様に祈る、昨晩はじめて
兄上と碁を打った、病院も一日□でよいと
子供の耳はまだ、
書くことがあとやさき失礼 よろしく

⑤楢木範行→楢木道子(昭和十三年三月十五日)
鹿児島県立商船学校→宮崎県西諸県郡飯野村
道子様
無事着鹿児しました やっぱりかへって善かつ
たと思ってゐる、父としての意識を強化されて
行くのは有り難い、元気でゐてくれ、後二週間しな
い内に迎ひに行く
昨日は野久尾の行□及び久美姉さんが来られ
た、昨晩は川辺先生宅に泊られましたが、今晩拙
宅に泊られる予定であります、境□の女中も来て
ゐる 行□は今日昼の救荒で上京した

金は四千円貯金した、拾円は野間氏に貸した
拾円は学校に暮の分として入れて置いた。二月には
皆返す約束だったのだから、かへる時十円で切符
を取ったのに、かへりついた時は一円余りしかなかつた、
炭、桜島大根(一円二〇銭)等、昨晩一寸行□に御馳走をした。
「よかこてしてくれ」「仕方はごはゝんか」
お大事に

⑥楢木範行→楢木道子(昭和十三年三月二十六日)
鹿児島市→宮崎県西諸県郡飯野村
みち子殿 元気ですか。
今日は体格検査で只今ひまであるが午后から
採用者審議である、二三日風邪気味でのどがい
たかつたが□生徒が居るので炊事軍曹をやらした、
今日はよい。無理をして直った様なものである。
学校の方もどうやら二十七日まででよい様だ、明晩は
宿直で二十八日から休暇宿直で四月四日最終日が
当直になつてゐる。それで二十八日にかへられると思ふ。
この際、島内に立ち寄つてから夕方二日市に来た方

が面倒しないかと思ふ。
そして、帰鹿児するのは かへつて来てからに決め様。
別紙の通り、払ひの控えをやる。学年末で余計
なものが要つた。まあ我慢してくれ。勿論トランクの
内の半分位はかへって来るのだからね。
お大事に。


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