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昭和24年、幻の第3代目宮崎市役所庁舎

現在、宮崎市役所の新庁舎について議論が行われているが、新聞資料に第3代目の市役所庁舎建設に関するものをみつけたので、紹介する。

これまでの宮崎市役所庁舎の歴史については、下記のサイトに詳しく紹介されている。

要約すると次のようになる。

①大正13年4月1日~
場所:宮田町(現在のみやざき物産館KONNE)
②昭和8年3月22日~
場所:橘通東1丁目(現在の県庁前交差点付近)
③昭和24年2月14日~
場所:広島1丁目(現在の別府街区公園)
④昭和38年12月8日~
場所:橘通西1丁目1−1(現在の市役所)

この中の昭和24年の三代目の宮崎市役所庁舎の新設について二つの新聞記事がある。
一つは、昭和23年3月16日(火)付『日向日日新聞』である。

宮崎市役所の新庁舎は一等入選設計図案を基調として建設されるが、様式はル・コルビユジエ風の明快な二階建二棟からなるT字形の組合せで木造にラス・モルタル仕上げ、屋根はルーフィングである。玄関は南と東の両側にあつて一階は南面から入ると各課カウンターがあつて一番奥が市会議場、二階は三役室のほか各種委員室などがあつて市会議場の傍聴席に連絡している 設計者高田秀三氏は 
 新時代の市庁舎は過去のお役所造りに見られるような威厳を主としたもの
 でなく単純明快な平面から発展した純朴な建築原理にもどづいて機能的
 に、しかも概観は南部にふさわしい明るい粧いの民主的ものでなくてはな
 らない
と設計の意図を述べている(写真は高田秀三の一等入選透視図)

ル・コルビュジエ風のモダンな建築物が当時の宮崎市、なかでも広島通りという好立地の場所に、どのように受け入れられたのであろう。

高田秀三(ひでぞう)とはどのような建築なのだろうか。国会図書館で検索すると多くの雑誌への投稿、共著、単著も多く、高田建築設計研究室を立ち上げ活動していることがわかる。
最も古い投稿が昭和22年6月「家事の簡略化」『婦人生活 15(11)』であり、昭和23年からは『新建築』『建築文化』に投稿が続いているが、公共施設よりも住宅に関するものが多い。

と、期待を込めて、市庁舎完成の記事を探したところ、驚きの展開であった。昭和23年4月7日付の記事にはあっさりと「宮崎市役所新庁舎 二等設計に変更」とあった。

五月に着工する宮崎市役所の設計は敷地の都合により一等入選を見合せて二等入選(清水建設工業会社福岡支店島田啓太郎氏ほか三名合作)を採用することに変更した、二階建て南北にのびる主棟から東二向つて直角に三棟の支棟を配したE字形の構成、塔の高さは五十八尺で構造は一等よりやゝ複雑だが一等に劣らぬ落ち着いた近代的で民主的市役所にふさわしい建物だ(写真は西南から見た市役所の透視図)

何故、決定した1等ではなく、2等に変更されたのか、不明であるが、さらにこの後、わずか15年後に昭和39年に更に新庁舎ができることとなる。移転の理由は、複数あった宮崎市の施設を現在の市役所へ統合させることが目的だった。終戦後、わずか数年後に資材不足のなか間に合わせで小さく新築されたことも、理由にあると考えられよう。

市役所移転というタイミングに、歴史の一端を紹介した。


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