K.WATANABE

宮崎市在住です。 「みやざきラボ」 宮崎県の民俗情報を発信します。 過去の原稿をアップ…

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宮崎市在住です。 「みやざきラボ」 宮崎県の民俗情報を発信します。 過去の原稿をアップロードしている場合は、入稿段階のもので、校正が反映されていません。原本を御参照下さい。 千人針についても書き込みます。

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記事一覧

三尺棒踊り

以下、『宮崎県の民俗芸能』(宮崎県教育委員会、1994年)の草稿です。 一 伝承地 川南町通浜 二 上演の時期及び場所  この棒踊りは「通浜棒踊り」とも呼ばれ、「通…

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9日前
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宮崎県史 民俗関連 目次

『宮崎県史 資料編 民俗1』宮崎県、平成4年(1992) 第一章 生業  第一節 稲作と稲作儀礼(小野重朗)   一 水田と稲    1 水田の種類    2 溜池と井堰 …

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10日前
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三尾良次郎

三尾 良次郎(みお りょうじろう) 1894年(明治27年)5月28日ー1978年(昭和53年) 明治27年5月28日、宮崎県日向市生まれ。 住所:日向市大字富高69-6 宮崎県立延岡中学校…

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4週間前
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20240724水かけ地蔵尊(宮崎県宮崎市中村町)

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1か月前
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宮崎市の青空市場

青空市場 宮崎市は、戦争末期の昭和ニ十年八月十日以隣の戦災に続いて、相つぐ大きな風水害によって商店街の被害は大きく、それらの復興がすすまないまま、二十一年、江平…

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1か月前
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橘通のデパート、百貨店、市場

 バスが人々の足であった時代には駅前よりも橘通が人々の集う場所であった。  明治十三年(一八八〇)に完成した橘橋が祝詞に由来しての命名で、この橋にかかる街道を橘通…

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1か月前
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遠山克太郎の経歴

現在、遠山銃砲店は、打ち上げ花火、クレー射撃、ダイナマイトなどを扱っている。 その先祖に様々な業界に関わり橘通の町作りに寄与した人物に遠山克太郎がいる。人物紹介…

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2か月前
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東霧島神社御田植祭(宮崎県都城市高崎町東霧島、2024年6月9日)

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2か月前
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中村秀人「宮崎県新聞史」昭和31年

『地方別日本新聞史』日本新聞協会、昭和31年(1956) 中村秀人(日向日日新聞編集局長) 「宮崎県新聞史」 新聞の誕生まで 宮崎新報 政治に深入りした「宮崎新報」 日…

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2か月前
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昭和10年の宮崎県の新聞

国会図書館デジタルコレクションで昭和10年時点での宮崎県の新聞が紹介されている。 全国新聞雑誌通信社連盟編『全国新聞雑誌通信社名鑑』全国新聞雑誌通信社、昭和10年 …

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2か月前
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宮崎県文化人の生没年

以前、宮崎大学の地域史源情報活用センターのホームページに宮崎県の民俗研究に関する人物を概略紹介するコーナーを作成しました。 情報はあちこちからのかき集めですが、…

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2か月前
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『宮崎商工会議所四十年史』掲載写真

『宮崎商工会議所四十年史』宮崎商工会議所、1971年

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3か月前
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万石様、佐土原のサンタクロース

調査月報の原稿担当は、宮崎県の6月の年中行事。原稿を書き始めてみると、知らなかった事例がたくさん出て来て、もう一度、原稿を書き直したくなったが、締め切りで泣く泣…

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3か月前
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吾平津神楽(宮崎県日南市油津、2024年4月24日)

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4か月前
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『日向を語る』

『日向を語る』 出席者(順不同):中村 地平/中川 一政/尾崎 士郎/井伏 鱒二/上泉 秀信    鉄道省:吉田 団輔/水澤 澄夫/鈴木 仁一   ビューロー:佐藤 正雄 …

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4か月前
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中村地平「日向路の秋」 

日向路の秋                               中村地平  南方に生まれ、南方に育ってきたせいかもしれないが、僕は南方の秋が好きである。…

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4か月前
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三尺棒踊り

三尺棒踊り

以下、『宮崎県の民俗芸能』(宮崎県教育委員会、1994年)の草稿です。

一 伝承地

川南町通浜

二 上演の時期及び場所

 この棒踊りは「通浜棒踊り」とも呼ばれ、「通浜盆踊り」とともに新暦八月十三日から十五日にかけてお盆の晩に踊られる。夜七時頃から始まって、十二時頃まで続く。以前は一時から二時頃まで踊って、その後各個人宅で五時頃まで「じょうずあげ」といって反省会をかねた直会を朝まで行なったも

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宮崎県史 民俗関連 目次

宮崎県史 民俗関連 目次

『宮崎県史 資料編 民俗1』宮崎県、平成4年(1992)

第一章 生業
 第一節 稲作と稲作儀礼(小野重朗)
  一 水田と稲
   1 水田の種類
   2 溜池と井堰
   3 開田の話
  二 稲作り
   1 苗代作りと播種
   2 田植え作業
   3 田植えの習俗
   4 田の管理
   5 雨乞い・風祈祷
  三 稲の収穫
   1 稲刈り以前
   2 稲刈りと稲干し
   

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三尾良次郎

三尾良次郎

三尾 良次郎(みお りょうじろう)
1894年(明治27年)5月28日ー1978年(昭和53年)
明治27年5月28日、宮崎県日向市生まれ。
住所:日向市大字富高69-6
宮崎県立延岡中学校卒業
広島高等師範学校を卒業。
大正7年、青島(ちんたお)中学校教諭
大正11年3月、京都帝国大学経済学部卒業。
京都帝国大学大学院へ進み、経済地理を研究。
大正14年4月、満州鉄道満州教育専門学校教授
昭和3

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宮崎市の青空市場

宮崎市の青空市場

青空市場
宮崎市は、戦争末期の昭和ニ十年八月十日以隣の戦災に続いて、相つぐ大きな風水害によって商店街の被害は大きく、それらの復興がすすまないまま、二十一年、江平一の鳥居付近、橘通りの戦災跡地、また大成座前、帝国館横などに、青空市場としてバラックマーケットがあらわれた。二十三年ごろから、警察の取り締まりがきびしくなって、これら露天商人に対して、道路上の営業停止通告がなされたが、容易に青空市場は絶えな

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橘通のデパート、百貨店、市場

橘通のデパート、百貨店、市場

 バスが人々の足であった時代には駅前よりも橘通が人々の集う場所であった。

 明治十三年(一八八〇)に完成した橘橋が祝詞に由来しての命名で、この橋にかかる街道を橘通と呼んだのが始まりで、正式には明治二十一年(一八八八)宮崎町の誕生してからである。

 昭和27年に後藤良則が創業。昭和47年にイズミヤ、その後、寿屋、ユニード、ダイエーが開業し、苦戦するようになった。昭和49年に後藤は76歳で逝去、昭

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遠山克太郎の経歴

遠山克太郎の経歴

現在、遠山銃砲店は、打ち上げ花火、クレー射撃、ダイナマイトなどを扱っている。

その先祖に様々な業界に関わり橘通の町作りに寄与した人物に遠山克太郎がいる。人物紹介を数点紹介しておく。

宮武喜三太『宮崎県大観』青潮社、1984

宮崎市史編纂委員会編『宮崎市史 続編下』宮崎市、1978年

『人事興信録』データベース

みやざき市広報 179号 1958年11月号

中村秀人「宮崎県新聞史」昭和31年

中村秀人「宮崎県新聞史」昭和31年

『地方別日本新聞史』日本新聞協会、昭和31年(1956)
中村秀人(日向日日新聞編集局長)
「宮崎県新聞史」

新聞の誕生まで 宮崎新報
政治に深入りした「宮崎新報」 日州新聞 日州日日新聞 日向新報 日州独立新聞 
清新さを買われた「日州」 日州独立新聞 若山甲蔵 日州 日州新聞 宮崎時事新聞 
県外紙の進出
宮崎毎日新聞 宮崎新聞 延岡日日新聞 宮崎日日新聞 延岡新報 宮崎日報 日向日日新聞 

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昭和10年の宮崎県の新聞

昭和10年の宮崎県の新聞

国会図書館デジタルコレクションで昭和10年時点での宮崎県の新聞が紹介されている。
全国新聞雑誌通信社連盟編『全国新聞雑誌通信社名鑑』全国新聞雑誌通信社、昭和10年

昭和7年版もあるようです

この資料は復刻されており、この資料について解説があるらしいが、宮崎県立図書館には所蔵がない(^_^;)

宮崎県文化人の生没年

宮崎県文化人の生没年

以前、宮崎大学の地域史源情報活用センターのホームページに宮崎県の民俗研究に関する人物を概略紹介するコーナーを作成しました。
情報はあちこちからのかき集めですが、こうして一覧できるサイトはないので、研究者の生誕、没年情報を確認するのに役立ちます
みなさんは、どの程度、ご存じでしょうか?
https://auv.vss.miyazaki-u.ac.jp/research/researcher/

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万石様、佐土原のサンタクロース

万石様、佐土原のサンタクロース

調査月報の原稿担当は、宮崎県の6月の年中行事。原稿を書き始めてみると、知らなかった事例がたくさん出て来て、もう一度、原稿を書き直したくなったが、締め切りで泣く泣く提出。なかでも佐土原の万石様はこれまでも目にはしていたはずが、見逃していた習俗だった。

多くの文献で、この「万石様」「マンゴクサマ」「マンゴク様」「まんごく様」は取りあげられている。(本登録した方しか見られません)

和歌森太郎『年中行

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『日向を語る』

『日向を語る』

『日向を語る』
出席者(順不同):中村 地平/中川 一政/尾崎 士郎/井伏 鱒二/上泉 秀信
   鉄道省:吉田 団輔/水澤 澄夫/鈴木 仁一 
 ビューロー:佐藤 正雄

吉田  では御挨拶は抜きにして、これから始めさせて戴くことにいたします。丁度、二千六百年祭も間近に迫って参りましたので、「旅」といたしましても、読者になにか日向に就て紹介したいと思って居りましたところ、幸いに丁度皆さんがそちら

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中村地平「日向路の秋」 

中村地平「日向路の秋」 

日向路の秋
                              中村地平

 南方に生まれ、南方に育ってきたせいかもしれないが、僕は南方の秋が好きである。台湾には高等学校時代四年間いたが、亜熱帯というものの、やはり秋涼の気節(ママ)はあるのである。内地のその季節ほどはっきりした時候のニュアンスは見せないけれど、太陽の光りがやはり幾らか弱くなる、常緑の樹木がほんの僅かばかり黄ばんできて哀れを

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