Still Living in the 80’s
宇佐和通です。このごろちょっとアップのペースがバラバラになっちゃってるんですが、続けさせていただいてます。僕は完璧主義者的な一面があって、ペースが乱れるとそれだけで嫌になっちゃうんですが、noteに関しては不思議にもそういう心理状態にまったく陥らずに続けることができています。純粋に、何かを書きたいと思い続けることができるプラットフォームなんだと思います。
さて、今日のお題。3連休の最終日のアップということで、変化球を投げさせていただきます。タイトル通り、いまだに80年代に生きてるっていうことなんですが、これは音楽ーもっと限定すれば洋楽ーの話です。
僕は1980年を高校3年生で迎えました。高3で80年って、あまりにもタイミングよすぎて自分でもびっくりしてます。一番音楽聴く年代ですからね。中学校の頃からツェッペリンとかディープパープルとかキッスとか聴いていて、多くの男子が通る道であるバンドを組んで、ドラムスを担当していました。その後洋楽路線が広がって、圧倒的そして絶対的な洋楽推しを意識したのは80年代の楽曲の数々でした。ちょうどそのころ、ディスコの時代がやってきました。
吉祥寺のインディペンデントハウスでデビューして、歌舞伎町のニューヨーク・ニューヨークとか、もっと絞れば東亜会館のカンタベリーハウス・ビバ/ギリシャ館といったお店に出入りし始め、DJのお兄さんたちがかけるレコードを徹底的にチェックしていました。ちょっとおしゃれな渋谷とかもっとおしゃれな六本木のお店ではなく、ひたすら歌舞伎町です。アイデンティティです。DJブースのすぐ横で、レコードのタイトルや曲名とか曲順をひたすらメモしていました。
そのリストを持って貸しレコード屋(ご存知の方はご存知のはず)を回ってレコードを借り、曲をつなげてオリジナルのテープを作っていました。お気に入りの曲を見つけてすぐにDLできる今では考えられないほどの熱量が必要な作業ですよ。でもこれ、本当に楽しくて、あっという間にテープの数が増えました。
それと同じころ、新宿駅の西口でハワイのローカルFM局KIKIとかのOAをそのまま録音したテープなんか売ってて、これもたくさん買いました。CMもアメリカっぽくて、こちらもハマりました。それでアメリカへの憧れが膨らみまくってどうしようかと思っているところ、すごくいいタイミングですごくいいことが起こりました。
通っていた大学で短期留学制度があって、それを利用して19歳の春に初めてアメリカに行けることになりました。オレゴン州のセーラムという町にある私立大学です。
この時の生活がもう本当に80's洋楽漬けみたいな状態になって、部屋で勉強している時もカフェテリアに行ってもブックストアに行っても、どこにいても知ってる曲が流れまくっているわけです。これによって洋楽推しを決定づけられた感じです。
18歳で始まった洋楽黄金期80年代は28歳で一応終わりを告げたわけですが、今のiPhoneのプレイリストを見ても、作業用のBGMとしてかける曲にしても、どうしても80年代洋楽になってしまいます。カラオケ行っても80年代洋楽のみでお届けしております。80年代洋楽に特化したバーも銀座や新橋、上野、三軒茶屋と、さまざま伺っております。
夜中の通販番組で”Remember 80's”みたいなタイトルの10枚組CDを売ってるじゃないですか。見るたびに収録曲チェックしちゃうんですよね。どれも慣れ親しんだ曲だし、ありとあらゆるシチュエーションに適したプレイリストを何本も作ってるし、もういいだろうと思うんだけれど、それでもラインナップはきっちりチェックします。
自分の周りの人たちとか、仕事関係の人たちに声をかけて、「私の80’s洋楽ベスト3」みたいなアンケートをやって、思い出のエピソードも添えてもらって、結果をまとめて文章化するなんていう漠然とした夢も育んでおります。
今日もここまで読んでいただき、ありがとうございました。次回のアップでまたお会いしましょう。