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アコースティック・ソロギターの名盤「Sir John a Lot 」 by John Renbourn。その中の超絶技巧・名演奏「My Dear Boy」をコピーしたら、僕の身に起きたこと。


今日は、音楽の、アコースティックギターの、マニアックな話。


そして最後ちょっとこわい話。


 アコースティックギターの、フィンガーピッキングの歌無しソロギター、というのを中学生のころから、かれこれもう45年くらい弾き続けています。もちろんそれ以外の、エレキギターもエレキベースも弾いたし、ロックもファンクもいろいろなジャンルの音楽を弾いたりしてきたけれど、この年齢になって続いているのはアコギだけ。それしか上手く弾けるようにならなかった、というのもあるけれど、音楽として、好きなんだなあ。


 アコギのフィンガーピッキングソロギター、最近は、若き天才、西村ケントくんの動画をみなさんに紹介していますが、あれがアコギの現代の最先端、最新スタイル。


 では、アコギのソロギタ―というのは、どういう歴史や伝統があるの、ということを、ざっくり解説していきます。
 

 僕が「アコギ・ソロギター、すげー」と思った原点は、このSir John a Lot by John Renbourn というアルバムなんですね。。ジョン・レンバーンという、1960年代から活躍したイギリスのギタリストです。


 そもそも。クラシックギターではなく、鉄の弦を張った、いわゆるフォークギターを、指で弾くフィンガーピッキングスタイルの音楽、といっても、いくつか大きく異なる系統があるのです。順を追って説明していきましょう。


 アメリカ起源のもの、その①としては、カントリー音楽系のもの。代表的なギタリストとしてはドク・ワトソンと言う人がいます。ディズニーランドのベアーズジャンボリーで、熊たちがギターやマンドリンやバンジョーを弾いているが、ああいう感じの音楽。「カントリー」とか「ブルーグラス」とか言われる類の音楽を、ギター一本で弾くやつ。



 ここからちょっと傍流に入ったところで、「ラグタイムピアノ」風の音楽を、アコースティックギターで弾くというスタイルで、これはステファン・グロスマンと言う名ギタリストがいます。映画の「スティング」の主題歌として有名な「エンターテイナー」というラグタイムピアノの曲を、ソロギターで弾いた名演奏が有名ですね。


 ところで、ステファン・グロスマンと言う人は「ブルースギター」の人である、とWikipediaなんかには書いてあったりします。


 そう、アメリカのアコギ起源その②にはブルースがあります。ブルースというのは黒人の音楽でなので、ブルースのアコースティックギターというのは、カントリー、白人系の音楽とは全く別系統の起源です。白人の演歌と黒人の演歌、別の流れです。
 「十字路で悪魔に魂を売り渡してギターの腕前の手に入れた」伝説の、ロバートジョンソンがブルースギターの代表格ですね。



 クロスロードという曲は、歌アリの名曲ですが。
クロスロードといえば、クラプトンですね。エリッククラプトンのようにイギリス人なのに白人なのに、こういうブルースギターの名手、と言う人がその後たくさん出てきます。日本では憂歌団の内田勘太郎さんなんかが、こういうブルースギターの名手です。
 

 ここまで、ちょいとまとめ。アメリカ起源でも、アコギには「ドク・ワトソン」カントリー系と、「ロバート・ジョンソン」ブルース系がいて、ステファン・グロスマンは、その両方の流れが合わさった地点にいる、ということなのかなあ、と思うわけです。


 で、大西洋を渡って、イギリスには、それとは別の系統のアコギの音楽があります。「ブリティッシュ・フォーク」というやつです。みんなが考える「フォークソング」というよりは、古いイギリス民謡起源の音楽で、ほら、ロミオとジュリエットとか、シェークスピア物の映画の背景にかかっている、「リュートで弾かれているバロックよりさらに古い感じの音楽」みたいなやつ。

 あれを、フォークギターで現代に再現する流れ、というのがあって、そういう流れの代表格が、冒頭に紹介したジョン・レンバーンという人なんですね。


(ちなみに、前出のステファン・グロスマンとジョン・レンバーンの競演としている動画、というのもYouTubeにはけっこうあります。


 このジョン・レンバーンと双璧のバート・ヤンシュという人がいて、この二人を中心に組まれグループにペンタングルというのがあります。ジョン・レンバーンとバート・ヤンシュは、イギリスの古い民謡、ブリティッシュ・フォークとブルースを融合した、新しいスタイルのアコギ、フィンガーピッキングスタイルを確立したわけです。


 このバート・ヤンシュに影響を受けた、有名なアーティストがいます。ポール・サイモン。そう、サイモンとガーファンクルのポールサイモンですね。


 サイモンとガーファンクルの代表曲のひとつ「スカボロフェア―」は、あれは、イギリス民謡です。あのギターの感じ。「サウンド・オブ。サイレンス」はオリジナル曲ですが、あの伴奏のギターもそうですね。ポールサイモンはニューヨーク生まれの生粋ニーヨーカーですが、一時期イギリスに渡って、バート・ヤンシュに影響を受けたのですね。だから、スカボロフェア―は、カントリーっぽくもないしブルースぽくもない。イギリス民謡。ブリティッシュ・フォーク影響の濃いアコギなわけです。



 ポールサイモンのアルバムの中で、歌無しのソロギター演奏の名曲として知られる「アンジ―」と言う曲も、元々は、イギリスのデイビー・グレアムの曲で、バートヤンシュが弾いて、1966年にポール・サイモンが演奏して有名になったんですね。アンジ―はブルース色が濃い。しかし、ブリティシュ・フォークの影響も隠せない。そういう曲です。


 話は現代に飛んで、アコギの総法的革命で言うと押尾コータローさんが登場しタッピングハーモニクスとか胴体をパーカッションのように叩くとか、ただのフィンガーピッキングに収まらないアコギの可能性が開花していきます。

 そしてアメリカにトミー・エマニュエルという天才が登場し、すべての音楽パートをアコギ一本で再現する、というジャンルとして進化し、西村ケントくんというのは、この二人の流れが融合したところで化学反応が起きて、爆発的飛躍的進化をした、というようなことになるかと思います。


 ただし、西村ケントくんのことを「トミー・エマニュエルの後継者」という人がいますが、僕からすると、かなり違うんですね。技術的なことより、音楽のテイストが。


 トミー・エマニュエルと言うのは「ドク・ワトソン」以来の、白人アメリカ人、カントリー臭さ、というのが演奏のベースにあるんですね。どんなジャンルの音楽を引いても、どういうわけか、ちょっとだけカントリー臭くなる。


 そう、ぼく、カントリーが苦手なんですよ。 「白人演歌」ですから、(エルビスプレスリーって、カントリー臭さがあるでしょ。だから、全然、聞かない。ロックとは別物っていう感じがするでしょ。なんか、そういう感じ。)


 で、西村ケントくんの演奏には、ひとかけらもカントリー臭さが基本的にない。そっち系の曲を弾けばそうなるけれど、ソウルやジャズやファンクやAORというジャンルを弾けば、まさにそれぞれのジャンルらしいテイストになる。絶対カントリーテイストは入りません。


 この差はものすごく大きくて、僕はトミー・エマニュエルはあんまり好きじゃなくて、西村ケントくんが好き、というのは、この「カントリー臭さの有無」が大きな原因だと思います。


 ポールサイモンのギターも、「ブリティッシュ・フォーク+ブルース」という、バート・ヤンシュの影響が濃いので、スリーフィンガーというもともとはカントリー、ドクワトソンが開発した奏法を多用するのに、カントリー臭さがほとんどないんです。


 「フィンガーピッキングスタイル」のアコギが好きと言っても「ただしカントリー臭いのは嫌い」「ブルース100%もそんなに好きじゃない」というのが、僕の趣味なわけです。

 ジョン・レンバーンはブルーススタイルから入ってイギリス民謡方向に進んでいき、最後の方は、イギリス民謡テイスト98%くらいのアルバムを出すようになっちゃったのですが、この「Sir John a Lot 」というアルバムは、ちょうとその配分比率が50%ずつ、と言う感じで、いちばんお気に入りなアルバムです。


 その中でも、わずか1分17秒のMy Dear Boyという曲があります。ものすごく複雑で速くて、とても弾けそうにない。
「死ぬまでに、なんとか、この曲を弾けるようになりたいなあ。」と思いつつ、中学生の時から45年、ずっと、挑戦もせずに放置してあったのですが。




 そしてですね。実は、これを完璧にコピーしてYouTubeに投稿している人の動画は。しばらく前に発見してあったのですね。


 これを、0.5倍速再生して、(耳では到底コピーできないので)、目で見てコピーする、というのに、この一週間ほど挑戦して、昨夜あたり、一通り、ほぼ弾けるようになったのです。ちょいとゆっくりだけれど。


 そうしたらね。なんだか、心臓のあたりが苦しくなって「あれ、俺、死ぬんじゃね」みたいな体調に、急になってきたんですよ。


 あれれ、「死ぬまでにMy Dear Boy、弾けるようになりたいな」とは思ってはきたけれど、中学生の頃から。


でも、「My Dear Boy、弾けたら死んでもいい」とは思ってなかったはずなんだけれどな。


 クロスロードで悪魔に魂を売ったロバートジョンソンみたいに、知らない間に「My Dear Boyが弾けるようになれたら死んでもいい」って、悪魔と契約しちゃったのかな。


 僕の思いが、神様か悪魔に、間違って届いちゃっているみたいんなんだな。


 まだ、完璧には弾けるようになっていない(9割がた正解だけれど、1割はあやふや)なので、かろうじて生きているのかな。これ以上完成度を上げると、やばいのかな。


 そんなことを考えながら、ここ数日、毎日3時間くらいはギターを抱えているのでありました。

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