「木綿のハンカチーフ」宮本浩次さん、を見て聞いて、妻と話して、藤井風君「木綿のハンカチーフ」を見て聞いて、いろいろ大発見。(コピーライター中村禎さんから頂いた、とても素敵な修正ご指摘とエピソード・追記しました。)

 エレファントカシマシ宮本浩次さんの、女性の曲ばかり集めたカバーアルバムが大ヒット、話題ですが、その中でも、特に、「木綿のハンカチーフ」について。この曲、単に「男性が、女性楽曲を歌ったら、すごくよかった」という以上の、びっくりするような発見があったので、思わず、noteを書くことにしました。

 YouTubeにアップされている、「NHK the Coversの歌唱映像 木綿のハンカチーフ(太田裕美)宮本浩次  2020 10 04へのコメント欄でも感想がたくさんあって、これから書くことど同様の指摘があるので、私や妻だけが思ったことでは無く、聴いた多くの人が、同じ驚きと発見を共有しているのだと思います。まずは「俺が見つけた」という自慢話ではない、みんなが思ったことを、まとめて文章にしてみようと思った、そういうものとして読んでください。

 そもそもは、電通の大先輩、コピーライター界の重鎮、中村禎さんが、Facebookでこの映像を紹介していたのですね。(実名登場いただくことも了承いただけたので、実名に改訂しました。)

そこで禎さんは、太田裕美さんの歌を昔から聴いていたときは「なんだ、この男、ひでーやつだな」と思っていたけれど、宮本さんの歌を聴くと、別の顔を持っていることに気がついた、と書かれていた。←追記修正。ここのところについて、中村禎さんから、ちょっと違うよ、とご指摘いただきました。私の誤読でした。以下、ご指摘いただいた文章と、そもそもの禎さんFacebook投稿を、許可いただいたので、引用します。

原さんの Note、ちょっと違う部分があるんですよねw「太田裕美さんの歌を昔から聴いていたときは「なんだ、この男、ひでーやつだな」と思っていたけれど、宮本さんの歌を聴くと、別の顔を持っていることに気がついた・・・」という部分。「この男、ひでーやつ」と思ったのは、宮本浩次さんの声で聞いたからなんです。
太田裕美さんの声の場合は、女の子の視点からの歌に聞こえるから、都会に行った彼氏の気持ちがだんだん離れていって、悲しい恋の歌、切ない恋人との別れの歌として聞いていました。
彼女が歌う、男のセリフ部分は「ただの連絡」「ただの手紙の文章」でしかなかったものが、宮本浩次さんの声で聴くと、男性の感情が生々しく聞こえてきて、「木枯らしのビル街で風邪ひかないでね」と心配する彼女を「僕は帰れない(帰らない)」と言い切る、その切り捨てる態度が「なんだ、この男、ひでーやつだな」と感じられて、最後に木綿のハンカチーフをねだる彼女の「叫び」に涙が出そうになったのです。
太田裕美さんの声で聞いていた時は「女の子目線の可愛く、切ない恋の歌」だったのが、宮本浩次さんの声でだと、「男女、お互いの心の叫び」に聞こえてきて、グッときちゃったのでした。夕暮れの関越自動車道で。

もとの禎さんの投稿文章が以下のもの。確かに、私が誤読していました。以下、元々の禎さんの、Facebook投稿。

ゴルフの帰り道。ひとりで帰るクルマの中。眠い帰り道に歌うために、宮本浩次『ROMANCE』のアルバムを買いました。その中の『木綿のハンカチーフ』で涙が出てきました。もともと太田裕美さんのこの曲は大好きだったし、「♫東へと向かう列車で〜」は小倉から東京へ向かう新幹線だと思ってます。それで、この歌詞を噛みしめながら運転していて、最後に涙が出そうになったんです。「なんてヒデ〜男なんだ、コイツ!」「こんな優しい九州の女を泣かせやがって!」と。太田裕美さんの歌では感じなかった、男の声で聴く『木綿のハンカチーフ』は、また別の顔を持ってました。みなさんもぜひ、宮本浩次の声でも、聴いてください。

 さらに、中村禎さんからは、この曲、この投稿に関わる、すごく感動的な思い出話・エピソードを教えていただいたので、それはこの文章・末尾に追加追記しておきました。ぜひ、最後まで読んでくださいね。

では、話をもとに戻します。

禎さんは、その発見、おどろきと感動を、「別の顔」と、書いていらっしゃるわけです。

 聴く前は、もちろん、どういうことか分からなかったのですが、聴いてみると、ものすごくびっくりしたので、さっさくFacebookコメント欄に感想を書いたわけです。以下、僕のコメント

「YouTubeのコメントにもたくさんあったけれど、宮本さんの歌で聴くと、都会にでてきた男の子主人公の目線で、この歌詞を聞くことになって、そうすると、見える景色が一変してびっくりしました。ずっと、田舎に残った女の子目線で聴いていたから。」
「太田裕美さんの歌うのを聞いていると、田舎にいる女の子が、彼からの手紙を読む。そして、返事を書く。という絵が見えていた。宮本さんが歌うと、都会の男の子が手紙を書く。しばらくすると田舎の彼女からの返事が届く。そういう絵が浮かんで、全然違う景色になりました。びっくりしました。」
「歌詞だけ読むと「男の子」「女の子」って、主人公が交互交替、という風になっているのだけれど、映画みたいに主人公交替して、映像が切り替わるっていうふうには歌は聞かなかったんですよね。主人公は歌い手性別で一人に固定して、「手紙を書く、読む」として、聞いていた。」

 そういうことなんですよ。これが、禎さんの言っていた、別の顔っていうことだなあ。

妻の指摘からの新発見で、さらに話はあらぬ方に広がっていく。

 そして、面白かったので、妻にも映像を見せたところ、さらに妻がいろいろな感想を言って、どんどん違うドラマが見えてきたんですね。

 まず、「なんで、指輪をもらったらすぐ、この女の子は、彼のところに会いに行かなかったのかな。会いに行っていれば、別れないで済んだと思うんだけど。」と言い出した。

 いくつか、補足説明。まず、コピーライター中村禎さんは九州の出身で、生まれが1957年ですから、1975年には18歳。東京の大学出身ですから、大学生になるときに上京した経験を持っていると推理できるわけですね。そして「木綿のハンカチーフ」が発表されたのも1975年。うん、どんぴしゃり。上京直後(もしかして九州に彼女を置いてきた)状態で、木綿のハンカチーフを聴いていたのではないか、と推察できてしまうわけです。

 それから、山陽新幹線の岡山→博多間が開業したのも、1975年3月。新幹線はまだすごく料金的に高くて、若者が東京⇔福岡の切符なんてそうそう買えない、という時代だったと思うのです。禎さんは、新幹線で上京したのか。いや、夜行列車だったんじゃないか。そういう時代です。

 つまり、おそらくこの歌詞が書かれた段階では、まだ九州から東京というイメージは「新幹線に飛び乗ればすぐ」というような気軽なものにはなっていなくて、一回上京したら、そう簡単には男の子も帰れないし、女の子も、東京まで会いに行っちゃうなんていうことは、できない、というイメージだったんじゃないかなあと思うのです。

 

 で、禎さんより6歳ほど若い僕と奥さんだと、どんなだったかと言うと、僕が1985年、電通入社新入社員すぐに大阪支社の配属になり、奥さんは相模原(新横浜から30分)の大学に通ったまま、婚約して遠距離婚約状態だったのですね。

 二週間に一回は僕が大阪から婚約者である妻のところまで会いに行っていたし、ときどきは奥さんも大阪まで会いに来ていたんですね。つまり、奥さんイメージだと「指輪ももらったんだし、これは、もう、東京に出て行っちゃってシンデレラエクスプレース」みたいにやれば、別れないで済んだのにっていう感想になったわけです。

 ちなみに東海道新幹線のシンデレラエクスプレスは「1987年夏にテレビCMとして第1作が制作された。1985年放送TBS系『日立テレビシティ』の遠距離恋愛をテーマにしたドキュメンタリー番組『シンデレラ・エクスプレス-48時間の恋人たち-』を見て当時国鉄の広報関係者が触発され製作が始まった。番組の主題歌として制作された松任谷由実の「シンデレラ・エクスプレス」(1985年リリースのアルバム『DA・DI・DA』収録曲:番組名も曲名もユーミン発案)がCMにも使われた。」(Wikipediaより)ということで、まさに僕と奥さんの遠距離時代に重なっているわけなのです。

 そんなにホイホイ行ったり来たり出来ない、列車に乗るとしても夜行列車で12時間、みたいな距離と時間をかけて上京した主人公たち、ということを、まずちゃんと思い浮かべないといけなかったわけなんですね、まずもって。

 その次に妻が言い出したのが、「ねえねえ、この、スーツの写真のくだりって、初めて聞いたんだけど、昔からあったっけ?」ということ。

えーと、まず、歌詞を全文引用すると、なんか、著作権上問題出る感じがするので、あらすじ構成をまとめましょう。

 木綿のハンカチーフの歌詞は
上京した男から田舎に残した女への手紙 「なにか欲しいものはあるか、プレゼント贈るよ、贈ったよ」→女から男への手紙「いいえ、何もいらないわ、あなたが変わらず帰ってきてほしいだけ」というパターンの繰り返しなわけですわ。基本。
一番は
男「いま列車ン中、東京ついたら、なんかプレゼント探すからな、なんかほしいか?」
女「いいえ、なんもいらん、都会の絵の具に染まらないで帰ってね」
二番は
男「都会で流行っている素敵な指輪を贈ったぞ。どうだ」
女「いいえ、指輪なんかいらん、ダイヤより真珠より、あんたのキスがいいの」
三番は
男「おまえ、今も口紅も塗らず、すっぴんですごしてんのか。おれは、どんどん垢抜けてきたぞ、いけてるスーツ着てる俺の写真送るぞ。見てね。(ほめてね)」
女「いいえ、(かっこつけた背広のあんた好かん)、草の上にねころぶあんんたが好きだったの」
四番
男「おれ。都会で毎日楽しいし、もう帰らんわ。(こっちで女できたって察しろ)」
女「わかったわ、いままでいらんいらん言ったけど、最後に涙ぬぐう木綿のハンカチーフください」
という歌なわけなんですね。

これ、男の気持ちとしては、「俺が都会化していくのに合わせて、お前にも、田舎にいても、おしゃれ女にだんだんなっていってほしいから、いろいろ送るぞ、なんぞほしいもんはないか」という手紙を書くのに対し、女が一貫して「いいえ」と拒絶する、という話なわけで、男主人公的にいうと、こちらのオファーを、女が拒絶するので、気持ちが離れていくっていう、そういう歌だったって、今回、初めて、男の気持ちに寄り添うと、分かったわけ。

とはいえ、二番の、指輪よりキスがいい、のくだりまでは、まだ、切ないラブラブ感があるのだけれど、三番、スーツのところで、はっきりすれ違いというか亀裂というか、別れの予感というか、あるわけですよ。

 この三番の、「いけてるスーツ」のくだり、ここだけほんとの歌詞を引用しちゃうと

「見間違うようなスーツ着た僕の 写真 写真 見てくれ」

 「写真 写真 見てくれ」ですよ。男の子、かなりこの写真、自慢で、嬉しくて、褒めてほしかったんだと思いますよね。二回、繰り返しているもん。

それに対して、女の子

「いいえ 草にねころぶ あなたが好きだったの」

もう過去形だよね。「好きだったの」。この三番で、女の子の方が、彼をふっているよね。読みようによっては。

  でね、うちの奥さんが、この三番を、昔、聴いた記憶が無いというわけ。この三番が無いと、勝手に男が、田舎の女をほったらかしにして、都会で女ができたからって捨てる、むごい話っていう印象になって、「田舎の女の子、可哀そう」「都会に出た男、さいてー」っていう印象になっちゃうでしょう。1975年、当時まだ12~3歳だった僕や奥さんの印象としては、そういう感じだったんだよね。

で、昔の、おそらく、レッツゴーヤングかなんかの、YouTube映像、太田裕美歌うやつを見てみたわけですよ。

 そうしたら、テレビの尺に合わせて、三番がカットされたバージョンで歌っているわけ。おそらく、テレビでは、ほとんど、この三番、スーツくだりなしで、この歌は歌われていたのではないかと思われるわけですよ。

 今回、宮本浩次さんが、男が歌うから、すごく印象が違うのではって初めは思ったのだけれど、実は、「昔は、三番の、スーツの、実質、女が男を振っている手紙」が、昔の太田裕美がテレビで歌うバージョンではカットされていた、というのが、「女・被害者」イメージを強化していたという事実が、なんと45年ぶりに発掘されたわけなんですよ。

さらに、ここで藤井風君の「木綿のハンカチーフ」を見てみて、意外な事実が。

さらに、妻が、YouTubeの関連動画で、藤井風君がピアノで「木綿のハンカチーフ」を弾き語る動画を見つけて、「風君はどう歌っているかな」と見てみたわけ。

 そして大発見、風君は2番をカットしている。指輪のくだりは無し。そして、3番スーツのくだりはしっかり歌っているわけだ。2番カットで3番ありというのは、おそらく昔の太田裕美がTVで歌唱する場合にはありえなかったはず。風君が、3番の、「むしろ女の方からふった」ことを重視していると思う。男性主人公で考えるなら、2番より3番にドラマがあるわけだ。


 さらに、風君は、女の子セリフ部分は、こちらから見て左側を向いて歌い、男の子セリフはこちらから見て右側を見て歌うという、落語テクニックを使っている。(風くんあるあるなのだな。)


 これを観察していた妻、さらにすごいことを言うのだな。


 女の子のセリフの時の表情が、純真な田舎の女の子というよりは、ちょっと『雪の女王』とか『白い魔女』みたいな,怖い、固い表情になってるって。それに対して、男の子の方の表情は、純真な男の子っぽい表情で歌ってる。女の子の方が強情で強い。男の子の方が気弱そう。

 表情の演出を見ても、風君も「男がひでーやつで女は被害者」とは思っていないぽいのだよ。二番をカットして三番を歌ったことからしても。

 そう、藤井風君の、この歌の歌詞の解釈としても、二人の登場人物の性格の理解についても、どうも、「純粋だけれど、ちょいとお調子者で流されやすい男性」と「芯が強くて、なかなか手ごわい女性」という、そういう解釈のように読めるのだなあ。素朴な感じのする女性が、実は芯が強くて、悪く言うと頑固で、ということは、まま、あることだから。

 風君には、その後、オリジナル曲で、「SAYONARAベイベー」という、やはり、上京で、地元の彼女と別れる、私小説っぽい歌があるのだけれど、風君はどうなんだろうって思ってたら、

 妻が「風くんの彼女は、いったん岡山においていかれたんだけど、東京に出てきちゃったんじゃないかと思うんだけど。で、なんじゃかんじあって、生まれたのが「青春病」なんじゃないかと思うのだけど」と、独自の推理と想像をはばたかせているようだが、その根拠はよく分かりません。単なる妄想だと思う。

 話がズレたけれど、宮本浩次さんが、カバーして歌ってくれたおかけで、「木綿のハンカチーフ」のイメージが、かなり、根源的にがらっと変わった。別の顔を見せた、という話でした。


追記 冒頭予告した、中村禎さんの素敵な思い出エピソード。いただいたコメントそのまま引用します。

原さんの分析通り、「東へと向かう列車」とは「小倉から東京へ向かう新幹線」です。あのスレッドのコメントにも書きましたが、大学進学の時、東京へ向かう小倉駅に見送りに来てくれたのは、恋人ではなく(恋人なんていなかった)幼馴染の「Tくん」でした。
そして、その頃、小学校の頃から好きだった(片思いの人)のが、あのスレッドにコメントをくれたFさん(旧姓Yさん)なのです。同郷の片思いの人が、『私もCDを買いました』とコメントくれてジーンとしておるところですw
ボクにとっての「木綿のハンカチーフ」は、「T君」を思い出す曲であり、「Fさん(旧姓Yさん)」を思い出す曲でもあるんですw

FacebookとかSNSって、そういう淡い初恋の人と、今も、こういう心の交流が復活したりするって、いいなあと思いました。



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