人はなぜ戦争をするのか。どうしたら戦争はなくなるのか。その2 「どうするNH24回 築山へ集え!」 (6/25初回放送)の感想Facebook投稿を転載。プリゴジンの乱の翌日に考えたこと。

「わたくしたちはなぜ、戦(いくさ)をするのでありましょう」

 どうする家康、築山殿・(有村架純)の言葉です。
先週のNHKスペシャル「人はなぜ戦争をするのか」と全く同じ、根源的問いです。

 私はいままでさんざんこのドラマ、脚本家を批判してきましたが、今日、はじめて、本当にこのドラマを、脚本家を心から素晴らしいと思いました。

家康j松本潤は答えます。
「生まれた時から、この世は戦だらけじゃ。考えたことは無い」
「戦をするのは貧しいからじゃ。民が飢えれば隣国より奪うしかない。奪われれば奪い返すほかない。」

築山殿・瀬奈は言います。
「もらえばばようございます。米が無ければ、コメがたくさんある国からもらえばよいのです。」
家康「ただでくれはせん」
築山殿「かわりのものを差し上げればいいのです。」
「奪い合うのではなく、与えあうのです。さすれば戦は起きません。」

酒井忠次と石川数正は、築山殿に反論します。悲惨な戦を繰り返した武田と徳川の間には恨みがあって、助け合うことなどできないというと、
息子、信康は言います。
「父上、わたくしはもう、誰も、人を殺したくありません。」
悲惨な戦で鬼となり、山ほどの人を殺し、心を病んだ信康の言葉です。

その妻、五徳が言います。
「そのようなことは父、信長が許さぬでしょう」

と、そうならぬよう、久松殿から知恵をいただいた、と築山殿は言います。
「信長殿に知られぬように、たくさんの味方をつくって、大きなつながりを作りましょう」
「もう、戦はこりごりじゃ。恨みなど、捨ててしまえばよい。そんなものは何も生み出さぬ」
母の夫、久松の言葉です。

今川氏真と妻が言います。
武田が、今川が、相模北条が、それだけではない上杉も伊達も、東国の国が結びつけば、織田も攻めることはできないと氏真がいいます。

「そのような結びつきはもろいものかと」という石川数正の言葉に
信康は「肝心なのは銭でございます。」
築山殿「それらの国々が同じ銭を使い、商売を自在にし人と物の往来を盛んにすれば、この東国に巨大な国ができたも同じ。」
経済的なつながりが戦を防ぐといいます。EUみたいな話ですね。

さらに築山殿は
「巨大な国に信長さまは戦をしかけてくるでしょうか。強き獣は弱き獣を襲います。しかし、強き獣と強き獣はただにらみあうのみ。」
信康が続けます。経済的結びつきがEUなら、こちらはNATOのような考え方でしょうか。

「にらみあっている間にも、われらの元に集うものはどんどん増えましょう。その大きな国は武力で制したのではなく、慈愛の心で結びついたものなのですから。」
東国各国大名が手を結べば、織田も手を出せないというのです。

古川琴音千代がいいます。
「やがて織田様もわれらのもとに集うことになりましょう」
穴山がいいます。
「あらゆる事柄を話し合いで決めていくのです。さすれば、戦のない世の中ができまする。」
築山殿は、織田方、西国諸国もやがてその連合に加わり
「日本国はひとつの慈愛の国となるのです。」

 こうして戦のない世の中をつくろうと、考え抜いたのです。
 
 今でいえば、グローバリゼーションと経済的相互依存と、経済ブロック化による集団安全保障と相互確証破壊による軍事バランス、その根源に「慈愛」の心。平和のための、様々なアプローチを築山殿は考え抜き、家康を説得します。

 しかし、武田のことを恨む若い井伊直政は
「皆、憎んでおりますよ」
というと、本多忠勝が
「わしは憎んでおらん。武田の兵の強さに敬意をもっておる」
と、ここまで戦を続けてきた武将、兵も、敵への尊敬を持つことで恨みを乗り越えられると説きます。

 岡崎で築山さまと信康を守り続けていた平岩親吉(岡部大)は
「いつまで戦い続けるのです。岡崎はもうボロボロなんじゃ」
そう、どんな理屈があれ正義があれ、戦争を続ければ、もうボロボロになるのです。

武田の武将、穴山は
「もし成し得たならば、この世は一変します。戦い続ければ先に力尽きるのはわれらかと」
道理だけでなく、武田が生き延びる合理的選択としてもこの道が正しいと、武田勝頼を、説得します。

それを実現するために、家康家臣団の策略・決断は
「武田と戦っているふりをしつづける。」「織田さまの目をくらまし続けるのじゃ」「その間に東国の連合を作り上げるのじゃ」
いったんは空砲を打ち合い、戦っているふりをしながら、東国連合による平和を武田も徳川も進み始めたか。

しかしすべてを壊すのは武田勝頼の「父、信玄を超えたいという思い」

「仲良く手を取り合って生き延びるくらいなら、戦って死にたい。この世は戦ぞ。わが夢は父が無しえなかったことを成すこと。天下を手に入れ、信玄を超えることのみ。」

 武田勝頼は、織田信長と徳川家康の間に亀裂対立を作り、それを利用して両者を討とうと考え、築山殿の策略を暴露することを選んでしまう、というのが今回の話。

 「築山殿の武田との内通から、信長の怒り、築山殿と信康殺害命令」という史実の間に、「人はなぜ戦をするのか、戦のない世の中を作るにはどうしたらよいか」という問いへの精いっぱいの答えを盛り込んだ脚本家の志を、私は高く評価したいなあ、と思いました。

 現代の戦争に対する、平和への思想の先端を、築山殿があの時代に持ちえたはずはない。すべては脚本家の創作であり、歴史ドラマとしては大きな逸脱である。しかし、それを、今、なんとしても語らなければならないという脚本家の思いと言うのは、今の、現代の、この1年半の、そしてここ数日の、世界の動きの中では深く胸にしみました。

 そう、このドラマのオンエア前日に、ロシアでは、ワグネルのプリゴジンがクーデターを起こしかけました。ここ一月ほどは米国やNATO各国からの大量の武器を得たウクライナが反転攻勢を仕掛け、ダムの爆破があり、戦争は終わる気配もありません。

 国際政治学者たちは、ロシアが一方的に侵攻し、国際法を犯し、残虐行為、戦争法違反の戦争犯罪を繰り返している以上、ウクライナの人が領土をすべて奪回するまで戦い続ける意志を示している以上、領土を妥協しての停戦協定などはありえないと、戦争の継続こそ正義と主張し続けています。マクロンやエルドアンや中国やインドの停戦仲介の動きを全て「ロシアの不法残虐行為を認めてしまうこと」として全否定します。

 人はなぜ戦争をするのか。始まってしまった戦争はなぜ止まらないのか。その問いをこの1年半、誰もが問い続けざるを得ない。戦国時代からもう500年近く経っているのに、人類は戦争をやめられない。

 そういう年に作っている大河ドラマであるからには、たとえ歴史ドラマとしてはありえない逸脱だとしても、このことは伝えたい。そういう脚本家の思いが、ほとばしり出るような今日のドラマでした。それを担った有村架純の、そういう大きな重たいことだからこそ、笑みを浮かべながら淡々と語る、肩に力の入っていない、素晴らしい演技でした。
 
ただね、松潤家康は、やっぱり影が薄いというか、演技もうまいとは言いかねるなあ。そこだけは、そういう評価継続中。


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