西村ケントくんの凄さについて、興奮したので、書いておく。

アコースティックギターのフィンガーピッキングスタイルに興味があるのは、世の中ではごく少数派だとは思うのだが、ちょっと発見があって興奮したので投稿。

西村ケント君という大阪の17歳になったばかりの少年、異次元のテクニックで、このフィンガーピッキング・ソロ・ギターの世界では、誇張ではなく、世界的衝撃を与えています。


今や、世界中のあらゆるトップギタリストを置いてきぼりにして、異次元に突入しつつあります。

彼のすごさには、大きくふたつの側面があって、
①ドラム、ベースライン、和音、旋律を、どれも非常にクリアな音で同時に弾く。今まで、いたようで、こんなことができる人類は、ただの一人もいなかった。
この中でも、「ベースラインを曲の間中、ドラム音と旋律とともに弾き続ける」というのは、ほぼ人間の指の数と手の構造的に不可能、と思われていたのですが、これをいともたやすくしている点。
この点については、世界中の、今まで長年、ギターを本気でひき続けてきた人ほど、驚きが大きいのです。コードに従属するベース音を弾くのと、ベースラインを維持し続けるのは、全く異なる作業なのです。
(マイケルジャクソンのスリラーのベースラインを一曲全部、他のパートとともに弾き続けるYouTubeを見てみてください。上の光っている文字で飛びます。)
パーカッションの音を入れるのと、コードと旋律を同時に弾く人は今までもたくさんの人がやってきていて、それはまあこのカテゴリーでは当たり前のことだったのですが。
この、ベースラインをキープし続けるすごさ、に注目して、他のソロギタリストと比較すると、もう、異次元のすごさなんですね、この西村ケント君。
(もう一個、クリスマスソング ジングルベルのジャズアレンジでの、ベースラインのすごさ。異常です。)

YouTubeのコメント欄を見ても「50年以上ギターを弾いてきた。そのうち30年はプロとしてね。でも、こんなギターは今まで想像したこともない。ショックだ」
というようなコメントがあふれかえっているわけです。僕もギターを弾いて46年、ショックです。

そして、この「ベースラインのすごさ」は、第二の特徴と深く関係しています。

②70~80年代のポップス、ロック、フュージョンなどの有名曲のカバーをする演奏がほとんどなのですが、原曲の再現度がおそろしく高い。
つまり、いままでのソロギタリストというのは、ギターには出せる音の数に限界もあるし、メロディーと和音までは引けても、ベースラインを原曲のように弾き続けることは無理でしたから、あくまでも、「ギターで、自分なりにアレンジした、ギター楽曲としての自分流アレンジした音楽」として弾いていた。もちろん、聞く方も、そういうものだ、と思って聞いていた。例えば押尾コータローさんの『戦場のメリークリスマス』は、原曲を借りて、ギターとして美しく音楽にして弾く、というものとして、聞く方も聞いていたわけです。

ところが、西村ケント君の場合、ほぼ、バンドの各パートを、正確に再現したものを、一人で、ギターで同時に弾く。もちろん、それぞれのパートについて「6割くらいの音数」に減らしているわけですが、各パートの特徴的なフレーズのところをしっかりと弾くために、もう「9割がた再現できている」ように聞こえるわけです。クロスオーバー、フュージョン全盛期のバンド、TOTOの二曲、アフリカ、とホールドザラインを聴いてみてくださいね。

YouTubeコメント欄でも「僕は音楽のプロだ。ペースとキーボードを専門にしている。アレンジャーでもある。だから、この曲の、どのパートがどうなっているかは、分かっている。彼が、どのパートについても、8割くらいをギター上で正確に再現しているのがわかる。正気の沙汰ではない。」というような、プロのコメントが入ったりするわけです。

で、全体としては、「おそらく、彼は、未来からやってきて、現代人に、ギターの可能性、正しい弾き方を教えてくれているのだろう。」「なんといっても、ケントだから、クラーク・ケントなのだろう。」なんてことになるわけです。

さて、今年に入って、彼を発見してから、無謀にも、何曲か。コピーを始めてみました。そうしたら、いろいろと新しい発見があって、今日、書きたかったのは、その発見について。(もちろん、きっと、一生かかっても、彼の弾いていることの半分にも到達はできないと思うわけですが、それにしても、面白い。一生、死ぬまでの楽しみが出来ました。ケントくん、ありがとう。)

書こうとしたら、かなり複雑なことだから、本当にギタリスト以外には全く意味不明だな。でも忘れないように書いておこう。

YouTubeには、「彼の手の爪を見ろ。ドラキュラに違いない。かれはバンパイアだから、若く見えるが、500歳くらいなんだ。500年も練習し続けているから、こんな風に弾けるんだ」なんていうコメントがけっこうたくさんあります。

そう、本当に、ギタリストでも、ここまで長く爪を伸ばしている人は少ないなあ、と思うくらい長い爪なんですね。親指に「サムピック」=ギター用つけ爪をつけていることが多いのですが、他の4本は、そのながーい爪でひいている。

ぼくも、右手の爪は、左手よりちょっと長く、尖らせた先が指の先端から爪の先がちょっと出る長さにはしていますが、ケント君のようには長くしていない。

今日、さっき、ギターを弾いていて、ケント君の映像を見ていて、長い爪の意味、使い方に気が付いた、

普通、ギターをつま弾くときというのは、引っ張る方向(指を丸める方向)のときに弾くのがほとんど。指を開く方向の時は、コードをジャカーンとかシャラーンとか鳴らすときなど、ちょっと特殊な時にしか使わないんですね。

話があっちこっちに行きますが、西村ケント君には、もうひとつ、今までのギタリストと異次元に進化したすごさがあって、「リズムキープの正確さが、機械のように正確で、その上に、さらに細かい、絶妙なグルーブ感が構築される」という特徴。ソロで楽器を弾くと「リズム・テンポが伸びたり縮んだりするのも表現、味のうち」みたいなところがあるのですが、彼の場合はそんなことは、一切ない。ポップス、ジャス、フュージョン、ファンク、ソウル、R&Bといった、リズムとグルーブ感の極限を行くような楽曲の、その原曲の持つリズム、ノリを、ソロギターで再現する能力があるんですね。聴いているだけで、踊りだしたくなるくらい、素晴らしいグルーブ。

もうひとつ、音が、音質が、ものすごくクリア。ギターというのは、難易度が上がるほど、音をクリアに出すことが難しくなる。音質は、当然、左手を抑える強さの正確さと、右手で弦をはじくタッチコントロールの繊細かつバリエーション豊かさに支えられているわけで、こんなにきれいで多彩でクリーンでクリアな音を出すギタリストは、歴史上、いなかったんですね。本当に。

この「リズムキープの正確さ」と「タッチの繊細さ」のふたつが、「尋常でなく長い爪」と関係しているんだ、ということに気が付いた。というのが、忘れないうちに書いておきたかったこと。

昔、高校生くらいの時、エレキギターを弾いても、速いギターソロが全く苦手だったので、よし、リズムカッティングですごいと言わせよう、と思ったことがあって、『ファンクギター』なんていう教則本を買って、チャカチャカ、リズムカッティングばかり練習していたことがある。そういうときは、僕でも、三角ピック、あのぺらぺらしたやつを使うわけです。で、アップダウンを機械のようにしながら、ファンクなグルーブを作り出すわけです。

そう、ケント君の右手、各指の使い方を見ると、あれは、一本ずつの指の爪が、いっぽんずつが、エレキを弾く人の、普通の三角ピックみたいに、アップダウンをリズムに合わせて正確にビートを刻んでいて、(もちろんビートを刻む根っこは手首の動きなんだけれど)、とにかく、普通は「引っ張るときとはじくときの役割、音色がすごく違う指、爪たち」に対し、どの指も、引っ張るときもはじくときも、三角ピックでのアップダウンストロークしているように、正確なリズムとタッチで、弦を弾くことが出来るんだ、ということに気が付いたわけ。あの長い爪は、「アップダウン、どちらでも同じニュアンスの音が出せるように、ああいう長さになっているんだ。」ぬぬぬ。すごい。これは、衝撃的発見でした。

って、ギター弾き以外には、何を言っているか、わからないですよね。フォークのスタイルより、クラシックより、フラメンコの人に、感覚的には近いのかも、という感じですね。爪なのに、旋律を弾くときも、アップダウン、どっちもクリアで同質な音が出せるって。

今、僕が、練習しているのは、この二曲。(チューニングが一緒なので)

Sweet Love - Anita Baker - Solo Acoustic Guitar - Arranged by Kent Nishimura

Carole King - It's Too Late - Acoustic Guitar Cover(Kent Nishimura)

そして、ケント君の演奏の中で一番好きなのがこれ

Purple Rain - Prince - Solo Acoustic Guitar - Arranged by Kent Nishimura

このパープルレイン。昨日も、寝る前、一人でヘッドホンで聞いていて、ボロボロ泣いてしまった。プリンスのこと、死ぬほど好きだったせいもあるけれど。素晴らしすぎるよ、この演奏。

つづいて、こちらのnoteもどうぞ。(下線部クリックすると飛びます。)

YouTubeで西村ケントくん、の次は、CDで聴いてみた。 スティーリー・ダンのAjaを、アコースティックギター一本で演奏するということは、無酸素でエベレストに登ろうとするようなものなのだ。


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