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萩上チキさんツイッター 立憲民主代表候補への「ぜひ聞いてみたかった質問、「参考にしている経済学者 or 最近読んだ経済書」。回答を見て、民主主義の難しさを考える。(私は立憲支持ではない。広告マーケティング屋的興味からの分析である。)

ジャーナリストの萩上チキさんのツイッターから。

「ぜひ聞いてみたかった質問、「参考にしている経済学者 or 最近読んだ経済書」。

逢坂誠二:ジョセフ・E・スティグリッツ
西村ちなみ:特になし
泉健太:鯨岡仁『日銀と政治』
小川淳也:トマ・ピケティ、水野和夫、宇沢弘文、斎藤幸平、井手英策


結構、分かれました。
#ss954」

ここから僕の感想意見。

このツイートにぶら下がる返信スレッド、いろんな人のツイートを読むと、民主主義の政治というのは難しいことだと、つくづく感じる。 こういう情報が提示されたとして、そこから何を読み取る人が、どの程度ずついるのか、という問題について考えてみる。

 僕はもともとは広告マーケティング戦略屋だったので、こういう問いにたいして「経済政策として正解はこうなのに、」とか「分かっていない人、間違う人がこんなにいる」ということを言いたいのではない。「売るためにはどういうメッセージを用意し、どの層にどういう反応を出させるか」ということを考えるのが仕事である。正しい、正しくないではなく、それを言うことで売れるかどうか。選挙で言えば、票が増えるか増えないか、その視点で分析をするのが仕事である。

 広告メッセージを決めるための調査も、いきなり定量調査(どういう人が何%という数字で出る調査)はしない。まず定性調査(少人数の意見を直接深く掘って聞いたり、書いたりしてもらう)をある程度の数やる。量や比率はわからなくても、「こういう情報を提示すると、どんな反応をする人が出てくるか」という、反応パターンのバリエーションがたくさん集まってくる。定性調査をある数までやると、パターンがほぼ出尽くす。


 送り手、メッセージを作る人が想像もしないような反応をする人が、かなり出てくる。一人ではなく複数出てくる。広告を実際に世の中に出す前に調査をした方が良いのは、「予想もしないが、調査をすれば必ず出てくるネガティブな反応」というのを避けられるからである。


 このスレッドのいろんな人のツイートを定性調査の発言と思って、僕は読む。


 まず初めの、当たり前の着眼点。それぞれの経済学者や経済書が意味するところが分かる人と分からない人、というのに、反応は分けられる。ちなみに定性では「分かる人の発言量が多くなる」(分からない人は発言しない)が、後で定量調査をすると、おそらく「分からない人が95%」みたいなことになる。ここを定性調査の発言量だけで判断すると、間違う。発言しない大量の人たちがいるのである。

 では、おそらく、圧倒的多数派であることが予想される「経済学者の名前や経済書について、全く分からない人」(経済学低関与層と呼ぶことにする。)が何に注目するかというと、各候補が答えた数量、経済学者の人数や本の数である。

「西村さんは、特になし。つまり0」これが最小。

「小川さんは5人」。つまり最多。

これに反応する人が結構いる。

というか、これにしか、反応できない人が経済低関与層である。繰り返しになるが、定量調査をしたら、この層が最多になるだろう。

この人たちの代表的意見は
「西村さん、特になしは、やばいだろ」
というネガティブな反応・意見。

支持者でもちょっと悲しくなっている。西村不支持だと、経済に弱そう、勉強していなさそう、やっぱりダメだとなる。
西村を支持して擁護するツイートは「ほかに専門がある。そのときいちばん良い案を適宜選ぶだろうから大丈夫。」というようなことを書いているが、定量調査をしたら、こういう人は少ないだろうと想像される。

もうひとつの代表的意見は
「小川さん、よく勉強している」→勉強家、いちばんちゃんとしている。

というプラス・ポジティブ評価のツイートが多数ある。数をたくさん上げられるだけで「偉い」「勉強家」となる人が、低関与層・マジョリティなのである。

有力仮設1 低関与層の反応

「特になし」回答0の西村がマイナスの評価を、5人の経済学者を答えた小川が,プラスの評価を得る。一人、または一冊だけの逢坂と泉については、この質問ではプラスマイナスゼロ。

導き出される対策

各ジャンルでの愛読書や影響を受けた人物については、リストを作っておき、どんなジャンルについても最低2~3名、2~3冊の学者や著書を上げられるようにする。一貫性がなくても、まずは数が大事。学者や著書をたくさん上げられることが「勉強している」「えらい」イメージにつながるから。


 では、経済学者や経済書の方向性、主張の違いがわかる人 経済高関与層だとどうだろう。


 ちなみに、
●宇沢弘文は「社会的共通資本」を唱え、新自由主義を批判するが、マルクス主義ではない。ケインズ主義の流れの上にある。
●スティグリッツは宇野の弟子筋である。スティグリッツ氏は米国民主党の積極財政政策のブレーンである。新自由主義を批判する立場である。
この二人が掲げられているということは「新自由主義を批判する方向性」であるから、新自由主義の権化、竹中平蔵と維新とは正反対であるはずだ。

●トマス・ピケティは「21世紀の資本」を書いた人で、やはり資本主義が基本的に格差を拡大する方向でしか機能しないことを膨大な資料で明らかにしたので、反資本主義的な学者である。
●水野和夫氏は「資本主義の終焉」「成長主義からの脱却」を文明史的視点から唱える学者で仙谷由人のブレーンである。積極財政よりも富裕層やグローバル企業への増税を唱える傾向が強い。
●斉藤幸平氏は、「人新生の資本論」がヒットした、若きマルクス研究者であり、資本主義を否定する立場の論客である。

この人たちも新自由主義、竹中平蔵、維新のことは大嫌いなはず。

この三人は「資本主義を非常に長い時間軸で批判する立場である。現実的政策的には、格差是正、富裕層や大企業に厳しい。また、「経済成長」自体にも批判的というか、「終わっている」という立場に立ちがちである。この点でも規制改革で成長、と言っている維新とは正反対、のはずである。

●井手英策氏は民進党から民主党系の「消費増税派」のブレーンである。格差是正の公正な社会を求める点では左派の経済学者だが、財源論として消費増税推進派である。北欧型の高負担高福祉が好きなのかもしれない。

つまり、「スティグリッツ」積極財政派と「井手英策」消費大増税派は、同じ「格差是正」方向であっても、財政政策的には対極にあって、どっちも好き、というわけにはいかない。 

●泉が挙げた『日銀と政治』はアベノミクスの金融政策の、ドキュメンタリーで、この本を泉がどういう意味で挙げたのか、価値判断は難しい 

資本主義枠内での積極財政を唱えるスティグリッツ、資本主義否定、脱成長まで行くのは、水野和夫とピケティと斎藤幸平と進むにつれ、その傾向が強まる。 

こう考えると、小川氏は、よく言えば「幅広く勉強している」が、悪く言えば「支離滅裂」で、結局、どういう考えなの、ということを問い直す必要がある。その他の発言から判断すれば、井手英策、消費増税賛成派であろうと想像できる。しかし、いずれにせよ、この学者たちが好きならば、新自由主義、フリードマン派閥の直系・竹中平蔵、その具現者・維新とは正反対の立場であるはず。小川氏が維新との接近を言うとすれば、まさに「支離滅裂」である。

有力仮設2

「経済(学)高関与層」=経済学者や経済書の知識がある人は「小川、わけわからん、信用できん」というマイナス評価になる。むしろ、1人だけスティグリッツを、掲げた逢坂のほうが高評価になるだろう。泉の挙げた著書からは、直接的な政策方向性が見えにくい。西村がマイナス評価なのは変わらない。

注意すべき点

しかし、こうした判断ができる「経済学者が分かる層」は、定量調査をすると、ごく少数、2%とか、そんな数字になると思う。
 選挙結果全体には、「低関与層」「高関与層」その中間、それぞれのボリューム。その間で、判断や支持について、影響が及ぶか及ばないかなどを、さらに分析する必要がある。(高関与層の判断や評価がメディア論調を形成すると、それが低関与層の候補者評価選択に影響するか、どの程度影響するかなど。)

提言

高関与層の判断を、低関与層にまで浸透させるには、論点の単純化が必要。

小川候補以外が小川候補を攻撃するには

⑴井手英策の消費増税路線を批判する。

「消費増税を将来どこまで引き上げるつもりか」「消費減税しないのか」「消費税は廃止すべきでは」など、ブレーン井手の消費増税路線の賛同者であることが鮮明になるような論戦を仕掛けなけれはならないだろう。(ただし、その場合、井手→小川とは異なる消費税・財政政策の提言が必要となる。)

⑵維新の新自由主義・竹中平蔵路線を批判する。小川の維新への接近を批判する。

格差の是正、単純な経済成長ではなく、社会的共通資本の充実を目指すなら、それは維新、竹中の新自由主義とは相容れないことを指摘し、矛盾を突く。

小川がそれらに対して反撃するには

⑴改めて「勉強家」であること、幅広い視点や考え方を勉強していることをアピールする。

⑵それを「現実に合わせて選択する」という柔軟性があることを訴求する。

結論

まずは、質より量。

本や経済学者の名前を、たくさん書く、低関与層が圧倒的多数であれば、「忙しいのにたくさん本も読んでいる。勉強家」と思わせるのが有効。方向性がバラバラでも分からない人が多いから。

ただし、「マルクス」とだけは書かない。

日本人マジョリティの共産党・共産主義アレルギーさえ刺激しなければ「マルクス」研究者「斎藤幸平」と書いてもほめてくれるのが、低関与層マジョリティである。

 何が正しいかではなく、どういう情報を出すと、どういう反応が起きて、トータルで支持・得票が増えるのか減るのか。それを常に正しく判断し続けないと、民主主義の政治では勝てないのである。しんどいなあ

 ※ちなみに「なんだ、文学を読む人はいないのか」という謎のツイートがある。「経済学者または経済書」という、そもそもの質問を理解できない、あるいは質問を読まないで、答えだけを見て反応する人がいる。こういう人は、調査をやっても必ず出る。小学校のテストでも「問題文で何を問われているか、よく読みましょう」と言っても、読まない、読めない人と言うのが、びっくりするほどたくさんいるのである。それもまた、人間社会の現実、その上に民主主義は成立しているのである。

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