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第1回「少子化/社会的流動性の低い日本社会の問題点」(少子化問題を、子供6人子だくさんの私が、子供を持たない友人に、語る難しさ。)BS1スペシャル「欲望の資本主義2020スピンオフ ジャック・アタリ大いに語る」を7つのテーマに分解・解説

アタリさんは哲学者と言っても、経済学者でもあり、ミッテラン政権からサルコジ政権、マクロン政権までずっと、歴代フランス政権の顧問として、(アタリ委員会、というのがずっとある。)現実の政治に深くかかわり、影響力を与え続けている人なんですね。経済政策だけでなく、教育制度、科学技術制度、芸術、幅広く政策立案に関わっています。まさに万能の知識人、といっていい。
具体的なデータや、リアルなの政治的情報を、分析考察するだけでなく、その提言した政策の有効性も、人生の長い時間、実体験しながら生きてきた人なんです。

そういう、リアルな政治に数十年、関わり続け、その視点からさらにこの先数十年を見通した予言提言をしてくれている、という人なのです。今回、NHKのインタビュー番組に登場する学者さん哲学者さんなどの中でも、超ヘビー級の方なわけです。

本日からの連続投稿、この番組を7パートに分解して、各回ごとに以下のように進めます。

⑴アタリ氏の言葉を、番組字幕を写経しました。アタリさんの言うことだけ興味のある方は、ここだけ、お読みいただければ、と思います。

⑵インタビューがただつながる番組構成上、論理の筋道が⑴だけだと、ちょっと追いづらいので、ざっくりと私がそれを整理します。

⑶そのあとに、私の感想、意見を書きます。個人的なこともあれば、今、日本で問題になっている政治的テーマと、アタリ氏の発言の関係を論じる場合もある予定です。ここは、もし興味があればお読みくださいパートです。

では、第一回は、番組的には「アタリの見た日本の変化」というパートです。
僕が論じようと思うのはnoteタイトル通り、「少子化=社会的流動性の低い日本社会の問題点について。」(少子化問題を、子供6人子だくさんの私が、子供を持たない友人に、語る難しさについて。)です。

⑴文字起こし、文字中継
番組VTR タイトル アタリの見た日本の変化
(中略、40年前に初めて来日したときと、現在の比較を様々語る)
「日本社会は大きく変化したと感じました。あまり良い変化とは言えません。なぜなら40年前、日本は世界一だと言われていました。日本が超大国としてアメリカに変わるのではないかとさえささやかれていました。ですが、そんな話はもうなくなりました。」
「また今日見られる少子高齢化も40年前はまだ始まっていませんでした。」


「より大きな枠組みで見てみましょう。私たちは国家の将来性の指標を測定しています。どの国がより将来世代を守れるかということです。47のさまざまなパラメーターを測定してOECD加盟国の潜在的な将来性を見ています。トップはスカンジナビア諸国。フランスは20位くらいであまり芳しくありません。日本は残念ながら常に最下位かブービー賞か最後から4位の中のどこかです。5年前からその位置です。人口統計に関しても、債務削減に関しても、女性の社会的地位に関しても日本は改善しなくてはならない点がいくつもあります。」


「他国が今試していることを日本が先駆けて1番に実験したということは言えます。巨額債務と低金利、これは長期的には破滅をもたらします。日本がそのことに気が付かない理由は人口が減少しているため1人当たりのGDPが増加しているからです。ゼロ成長あるいはマイナス成長だとしても、1人あたりのGDPは増加しているのです。それが日本の現実を見えなくしています。」


「何年も前から言っていることですが、非常に積極的な家族政策が必要です。女性がより仕事をしやすくするようにすること、女性がより簡単に育児手当を受けられるようにすること、大規模かつ積極的な住宅計画、乳幼児を預けられる保育園や幼稚園の増設計画、簡単なことでは無いし、大金がかかります。良い結果が出るまでに10年はかかるでしょう。10年間は大金をかけた割に結果が見えないので相当な覚悟も必要です。フランスは1945年にこれらの政策を実施して大成功を収めました。ご存知かもしれませんが、フランスはヨーロッパでは比較的国民が若い国です。フランスの合計特殊出生率は2.2以上です。2.2です。外国人(移民)のおかげだという人もいますが、そうではありません。フランスの移民の合計特殊出生率はフランス人のそれより高くないのです。肝心なのは包括的な政策です。フランスのGDPの5~7%は、これらの政策に費やしていて、それが成功したのです。これらの政策に税金を費やせば、住宅が充実して、それが成長へとつながり、教師陣が充実すれば、経済も発展するからです。」


番組ナレーション。賛否両論が巻き起こった、2019年10月の消費税増税。この増税をアタリはどう考えていたのだろう。


「貧しい人が不利に裕福な人が有利になるという点で、消費税は常に不公平です。ですが、ごまかしづらいので、。ある意味、とてもいい税制とも言えます。しかも10%は高い税率とは言えません。ヨーロッパの消費税はもっと高いのです。人々は財政政策にフォーカスしすぎだと思います。社会的流動性にフォーカスするほうが、ずっと重要です。つまり消費税をどの程度払うかなどに注目するよりも、子どもたちのより良い未来のために何をすべきかに注目すべきなのです。他の国同様に日本でも特権階級の家族に生まれた息子は労働階級の息子よりも人生で成功できるチャンスが多くあります。財政政策よりもこの点に注目すべきです。」


「社会的流動性が重要です。地方出身者や労働者、中小企業の起業家、皆が最高の大学で学び、良いキャリアを築ける可能性があることが重要なのです。どの国でもそうです。私たちは皆、社会的流動性よりも財政問題にフォーカスしすぎです。社会的流動性を高めるにはさまざまな新たなツールが必要です。」


「フランスにも同じ問題が存在します。どこでもそうですが、人は自分が貧しいと思ったら、その事実をどうにかしようとします。単に貧しさをどうにかしようとするのでなく、自分の子どもが自分より裕福になれないことをどうにかしようとするのです。貧しい人も、一生懸命働けば、せめて子どもには自分よりもいい将来が訪れるという可能性があればいい。でも一生懸命働いても、子どもにはより良い将来が訪れるチャンスが皆無なら、その場合は革命が起きるでしょう。そんな状況は受け入れられないからです。全ての職業にとって重要なのは社会的つながり、社会的関係です。良い社会的関係にある人は、より良い学校に進学し、より良い大学で学び、最高の会社に入社し、最高の仕事を手に入れます。ですが、こういったコネクションがない人は、迷子になる。日本は社会的流動性が低い国です。」


⑵論旨整理パートです。
「かつて日本はいろいろな面で世界一の国になるのではと思われたが、今や、日本はOECD各国の中でも将来性の点(将来世代を守れるか)の点で、最下位の国である。特に、家族制度まわり、少子高齢化がひどい。少子高齢化対策についてフランスは成功しているが、日本は最低だ。消費増税に批判はあるが、集めた金で少子高齢化の対策をやりなさい。消費税に文句言っている場合ではないよ。効果が出るのに10年以上かかるけれど、本気でやれよ。」
ということですね。消費増税どうですか、という質問も、「少子高齢化の原因となっている、社会流動性の低さ解決に、しっかり使いなさいよ」ということで、「消費税の問題よりもっと大きい社会流動性の低さを、なんで日本人は本気で考えないのかなあ、革命ものだぞ」

⑶では、ここから、私の議論に入ります。
 アタリさんの発言中、私が最も注目するのはここです。
「フランスにも同じ問題が存在します。どこでもそうですが、人は自分が貧しいと思ったら、その事実をどうにかしようとします。単に貧しさをどうにかしようとするのでなく、自分の子どもが自分より裕福になれないことをどうにかしようとするのです。貧しい人も、一生懸命働けば、せめて子どもには自分よりもいい将来が訪れるという可能性があればいい。でも一生懸命働いても、子どもにはより良い将来が訪れるチャンスが皆無なら、その場合は革命が起きるでしょう。そんな状況は受け入れられないからです。」

 これ、実は日本の少子高齢化問題の原因と結果が入れ子構造、ループになっていて、日本では解決がすごく難しい、そのことをよく物語っている部分です。アタリさん、そこまで認識できていないと思います。

 どういうことか。アタリさん、少子化対策に成功している、フランス人的感覚で、「普通、子どもがいると、こういう風に感じる」という言い方をします。これは、番組後半でも、もう一回出てきますので、覚えておいてください。

 普通、親なら、子どもが自分より裕福になれそうもない、希望を持てない社会に対しては、革命を起こすものだ。そうです。革命と言うのは、単に「自分が今、苦しいから」だけでは、なかなか起きない。「この先、もっとひどくなる。自分の子どもが、まともに生きていけないような国だ。それならば、自分が命を懸けても、この国を変えよう」。こう思わないと、革命なんて起きない、ということですね。

 ところが、日本では「自分の子どもの将来が」ということを、リアルな自分の子供の不幸を目の前にしてリアルに考えられる人の数、比率が減ってしまっている。子供自体が少ないわけですから。それが日本の超・少子化社会の現状です。なにせ、自分に子供がいないわけですから「将来世代が暮らす日本社会」を「自分の子ども」というリアルな存在を通じて本気で心配する動機の無い人がどんどん増えて行って、マジョリティになってしまう、というところまで、日本の少子化は進んでいるのです。

私の友人、私のFacebookやnoteを熱心に読んでくれる友人の半数よりちょっと多くが、子供なしです。単身だったり、結婚しているけれど、子供を持たないという選択をした人、欲しくて不妊治療をしたけれど、できなかった人たちも何人もいます。

そういう友人たちも、甥や姪っ子や、その子供(義孫というみたいです)をかわいがっていたりするので、将来世代に無関心というわけではないですが。でもね、「その子たちの未来が暗いから、革命を起こそう」とまで切実には思わないでしょう。その子たちが自分より豊かになれるかどうか、それは社会の変化とどう関係あるか、なんて考えないでしょう。まずは甥や姪、義孫の親が考えて、責任持つ問題だろう、って思うでしょう。

子どもを持たない選択を意志的にした人は「こんな絶望的な未来の世の中で生きていく子供が可哀そうだから、子どもは持たないことにした」なんていう人も、けっこういます。子供を作ってから革命を起こそうではなく、子供を持つ方をやめてしまうという選択をするわけです。

アタリさんの議論でよく出てくる「今の子どもだけでない、まだ生まれていない将来世代の利益を基準に、今の政治を考える」というスタンス。ここに至る中継地点として、まず「自分の子どもがどういう社会に住むか」「自分の子どもが、自分よりも豊かだったり、幸せだったりなれそうか」ということを、リアルに自分の子どもを育てていくそのプロセス、学校だったり受験だったり就職だったり、そういうプロセスを後押ししている中で、リアルに理解できる人が減っているのです。

私には六人の子どもがいます。六人子供を持てたのは、端的に行って、収入がそれを許したからです。私は電通という、給料のかなりいい会社に入り、すぐに、さらに、より稼げる形のフリーランスとして独立、そして自分の会社を持ちました。妻は医学部を出で医師免許は取りましたが、二人目が生まれた時点で、いったん医者として働くことをやめて家庭に入り、その後、平均三年おきに一人また一人と子供ができました。私の年齢で25歳から42歳までの間に六人子供が生まれました。私が50歳を過ぎ、会社が傾き、仕事が減ってくるのと入れ替えに、妻は医師に復帰して、今は妻が全収入を稼ぎ、私が完全に主夫の逆転夫婦になりました。成り行き任せではあったのですが、結果として、子供六人を育てるだけの収入と、家事育児をする手とが、なんとかかんとか、その期間を通じて確保できたわけです。

私たち夫婦は稼いだお金をほぼ全部子供の教育費に突っ込んだので、今現在、貯金もほとんどない、老後資金不足夫婦ですが、それでも「子育て、楽しかったから、まあいいか」、と思っています。私たち自身の人生、生活に特に不満はありません。

しかし、アタリ氏の言う通り、日本社会が貧しくなっている、日本社会が世界の中で大きく地位低下していることもあり、子どもたちは、誰一人を見ても、「親より裕福になりそう」な気配は全くありません。名前を言えば「自慢か」と言われる大学や大学院に皆、進んでいますが、大学をすでに卒業した三人のうち二人は、30歳前後の今も、非正規雇用で暮らしています。もう1人は大学卒業後、自衛隊幹部学校に行って、自衛官になっています。収入は安定していますが、安全保障環境の変化で、生命の危険を覚悟しながら生きているわけです。大学院に進んだ子も、研究では生きていけないと、将来不透明です。

「大金を投じて、子供にかなり良い教育を与えてさえ、子どもが自分より豊かにはなれそうもないくらい、日本社会が劣化している、貧しくなっている」ということを、私の友人の、子供を持たない人は、私たち夫婦ほどには、実感できていないと思います。

 もちろん、私たち夫婦は、収入の面でも、子供たちに十分な教育を与えられたという点でも、世の中でずいぶん恵まれた位置にいます。もっと苦しい環境での子育ての中で、将来世代の希望が無くなっていることを強く実感している人が、この日本には山のようにたくさんいるのです。

 では、「子どもがいないから実感できない。子供がいれば真剣になるか」というと、それほど単純でもありません。極端な例を考えてみましょう。

 安倍晋三夫妻と、麻生太郎ファミリーを比較して考えましょう。安倍晋三夫妻には、子どもがいません。麻生太郎ファミリーには、お子さんがいて、幼稚舎からの慶應を出た息子さんと、東大を出た娘さんがいます。


 よく、安倍夫妻は子供がいないから、国の将来を本気で考えられないんだ、と批判する人がいますが、どうでしょう。そうだとすると、麻生さんは、安倍さんに比べて、より真剣に考えられるでしょうか。うん、ちょっとそんな気もするが。安倍首相、昭恵夫人の幼児性を考えると、そう思えちゃいますね。

 麻生さんは、「自分の子どもたちとその家族が、豊かに生きられる世の中にする」ということには、結構、真剣な感じがします。それは「格差を維持拡大し、自分達、豊かな特権階級が、いいとこどりできる世の中を維持する」という意味で、真剣なんだと思うんですよね。

 つまり、子どもがいたとしても、「我が子だけは幸せに」と思うところで留まるか、それをさらに「将来世代全体が幸福に豊かに暮らせるように」と考え、想像力を広げ、行動できるかどうかは、その人次第だと言えますよね。

 このコロナ禍が起きて以降もとどまるところを知らない、安倍首相と昭恵夫妻の、無責任だったり、国民の苦しみに無関心だったり、共感の無さを見ていると、「少子化社会で起きている社会の変化の一番悪い側面を、いちばん端的に表しているのが、あの夫婦なのではないか」とも思えてくるわけです。

 アタリさんの「普通、親ならこう考える」に頼ることができないのが、日本の少子化問題が、進むところまで進み切った問題点なのだ、というのが、今日の論点。

 そして、六人の子育てをしてきた私が、子どものいない友人たちに向けてこの問題を語り始めると、どうしても、批判しているような感じになってしまう。そうではなくて、子どもがいても、いなくても、「将来世代の利益を軸に、長いスパンで、自分がもう生きていないだろう未来をイメージして、政治や社会を考える」ということを、「自分の子ども」を経由せずとも考えられる、有効な切り口が必要だなあと思ったということ。少子化対策に成功したフランス人、アタリさんに頼らず、そこは、日本人が、課題先進国として、自分で考えて行くことだと思うわけです。

 自分が死んだ後のこの日本。自分がいないこの地球。そこで生きていく世代の人のことまで、「自分の一部」として想像するために、どうしたらいいかしら。まずはその問題提起をして、第1回目、おしまい。

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