第4回 「自分のしていることは将来世代のためになるか」未来志向の資本主義と民主主義について。少子化問題パートⅡ。(直観的に理解しにくいことを、考えて、納得するということ) BS1スペシャル「欲望の資本主義2020スピンオフ ジャック・アタリ大いに語る」を7つのテーマに分解・解説

連続投稿、この番組を7パートに分解して、各回ごとに以下のように進めます。

⑴アタリ氏の言葉を、番組字幕を写経しました。アタリさんの言うことだけ興味のある方は、ここだけ、お読みいただければ、と思います。

⑵インタビューがただつながる番組構成上、論理の筋道が⑴だけだと、ちょっと追いづらいので、ざっくりと私がそれを整理します。

⑶そのあとに、私の感想、意見を書きます。個人的なこともあれば、今、日本で問題になっている政治的テーマと、アタリ氏の発言の関係を論じる場合もある予定です。ここは、もし興味があればお読みください、というパートです。

では、第四回は、「自分のしていることは将来世代のためになるか」未来志向の資本主義と民主主義について。少子化問題パートⅡ。(直観的に理解しにくいことを、考えて、納得するということ)です。日本人にとって情けは人の為ならず=「合理的な利他主義」は理解しやすいですが、事が、少子化問題、将来世代の利益を考える、合理的利他主義は、直感的に理解しにくい。そこをどう超えるかというチャレンジの回です。

⑴番組中継 文字起こし

番組ナレーション
「そもそも私たちは自分の意見に対立する主張に出会った時、バランスを取れるのか」
アタリさん
「ええ、あなたの意見は理解できますよ。他の例を挙げましょう。そういう意見があるので、私はしばしば「利己的でありながら、利他的にもなれる」と言っているのです。私はこれを「利己的な利他主義」または「合理的な利他主義」と呼んでいます。経済理論の提唱者の1人にアダム・スミスがいますが、国の富とは何であるかや、資本主義に関して定義しました。ですが、もう1つの本では利他主義の理論について書いています。」

番組VTR  アダム・スミスの二面性
「国富論」(1776)市民一人一人の利己心が社会を推進する。
「道徳感情論」(1759)人間誰しもが持つという他者への共感が社会の秩序を生む

ナレーション「利己心か、共感か。利己主義か、利他主義が。一見、矛盾するように思える経済学の父の言葉をアタリはどう解釈するのだろうか。」

アタリさん
「同じことです。彼の本では非常にシンプルに説明されています。あなたのパンが売れる場合は、あなたの客は満足しているということです。その客がそのパンが好みでなければ、二度と来店しないからです。ですから、パン屋の客に対する利他主義は、パン屋のためにもなっているのです。商品を売るために利他的になるのが自分のためなのです。その観点から見ると、自分勝手な人が、自分の商品は置いておいて、ただ金儲けがしたい場合は長続きしません。一度は売れても二度は売れません。ですから利他的になるのが自分のためになるのですよ。」

「世界的に利他的にならなければいけないという考えは理解するのがより難しいと思います。

最も重要なのは、将来世代が利するようにすることが、自分のためになるという考え方です。

非常に有名なアメリカのフィルムメーカー兼コメディアンでコメディ映画を作っていたグルーチョ・マルクスという人物がいます。かれが興味深い、次のような言葉を言いました。

「なぜ僕が将来世代のことを気にかけなきゃいけないんだ?彼らは僕のために何もしてくれないのに。」

ちょっと聞くと正しいように感じますが、そうではありません。10年後に生まれるはずだった人間が生まれず存在しなくなるのは悪夢なのです。私たちの人生の終末は悲惨なものになります。なぜならその頃には働き手がおらず、年老いた私たちに手を貸してくれる人もいなくなる。悪夢です。

これを直観的に理解するのは難しいでしょうが、まだ生まれていない世代の幸せには、私たち自身が非常に深い利害関係があるのです。

将来世代の人数が少ないのが日本にとっては問題です。ですが、まだ生まれていない世代の幸せが私たちのためになるのです。

この点を理解する必要があります。だからこそ、社会的流動性を高めなければなりません。なぜならば、社会的流動性が高ければ、また生まれていない世代が幸せになれるからです。

気候、民主主義、女性の自由なども重要です。これらすべてが、私たちの言うところの「将来性の指標」のパラメーターです。直観的には理解できなくとも、明白なことです。

ですが、本当に問題なのは、資本主義です。」

番組VTRタイトル 「資本主義」

アタリさん
「ご承知の通り、資本主義は短期志向です。今現在の利益を求めて、将来の利益のことは構いません。民主主義も同じです。民主主義は票や人気を求めるばかりで長期的な視点が欠けていますからね。もしあなたが将来世代を気にかける政治家なら、国民は「将来世代のことなんかどうでもいい。今日のパンが欲しいんだ」と言うでしょう。有権者や株主に将来世代を利することが企業や国のためになると理解させるのは非常に難しいのです。

今後50年間が勝負の時です。長期的に将来性のあるポジティブ資本主義およびポジティブ民主主義を我々が築けるのか。築かなければ全体主義が台頭するでしょう。全体主義は将来世代のためになるフリができるからです。

資本主義に関して言えば、最適な資本主義の形態は家族経営です。なぜなら家族経営の場合、今日のオーナーが会社を孫に継がせるべく将来世代のことを考えるからです。会社を長く存続させるべく長期的利益を考慮するのです。1つの会社から次の会社と渡り歩き、会社の将来を心から考えていない重役とは違います。

民主主義に関して言えば非常に難しい。どうすれば議会が、日本の場合、国会が、まだ生まれてない有権者のために動くようにできるのでしょう。非常に難しいですよね。

だから、私は「影の議会」を作ることを提案して、ヨーロッパのいくつかの街で試してみました。まだ生まれていない有権者、つまり将来世代の利益を代弁する議会です。すでに成立した法律が将来世代にとって本当に良いのか可、その視点を与えたのです。

我々全員にとって、我々の主な判断、全てにとって、この視点は有効です。自分のしていることが将来世代のためになるか否かという視点です。我々が子どものことを考えるときと同様です。

いい親なら、しばしば、自分の行動が自分のためになると同時に、子どものためにもなっているか否かを考えるでしょう。自分よりも子どもにお金をかけるために、自分が犠牲になるべきか否かも考えます。我々は数人の子どものためだけでなく、人類全体のために、同様に考えなくてはならないのです。」

⑵論理の筋道整理
 利己的な利他主義について、まず例にひく、パン屋の商売の話は、きわめて当たり前で、誰でも理解できます。顧客満足を追求することか、自分の利益にもなる。当たり前です。

しかし、これが、「世界的に」と、国際関係の中で、外国の利益を考えてあげることが、自国の利益になる、ということになると、少し難しくなる、とアタリさんはいいます。しかし、ここでは説明は特にありません。

いちばん難しいのは。時間軸、「未来の世代の利益を考えることが、自分の利益になる」という考え方です。

グルーチョ・マルクスの言葉を再度、引用します。「なぜ僕が将来世代のことを気にかけなきゃいけないんだ?彼らは僕のために何もしてくれないのに。」

アタリさんは「10年後の世代が生まれないと、自分の老後が大変なことになる」と言います。「10年後に生まれるはずだった人間が生まれず存在しなくなるのは悪夢なのです。私たちの人生の終末は悲惨なものになります。なぜならその頃には働き手がおらず、年老いた私たちに手を貸してくれる人もいなくなる。悪夢です。」

 ここで論理は、「だから子供を産むべきという議論」には行きません。日本の少子化論は、そこを急ぐから、反発を買うのですね。アタリさん、巧妙に飛躍、跳躍しながら、論を進めます。反発を避ける工夫です。が、わかりにくくなるので、、僕が飛躍の間を補います。

アタリさんは、飛躍してこういいます。だから、未来の、まだ生まれていない世代の利益を考える。未来の生まれていない世代が幸せになれるような社会を作るための行動を、今の世代がする。

 僕が飛躍の間を埋めます。将来世代が幸せになれそうだと思うと、そうすると、その世代に生きる子供を産んでもいいかなと思う現在の人が増える。
ここをアタリさんは飛ばします。特に語っていません。「本当か、必ずしもそうじゃないんじゃないか」という突っ込みを巧妙に避けます。

 つまり、少子化対策ということについて、「今生む人の直接的な「得」をつくるということより一つ先の、将来生まれる世代が生きる社会を、その世代にとって、しあわせなものにするように、今の世代がする。と、そこに生きる世代を生んでもいい人が増える。という「世代間で、未来に向けて、合理的利他主義を働かせよう」と、アタリさんは言っているのです。

 しかし、何度も繰り返し、「直観的には理解しにくいが」と言います。パン屋の例は直観的に理解しやすい。世界の人の利益が自国の利益らつながることは、ちょっと難しいがまだ理解可能。しかし、将来世代の、まだ生まれてもいない世代の利益を考えることが、自分にとっても利益になるということは、直感的に難しいことなのだ、とアタリ氏は繰り返します。

 資本主義と民主主義、このふたつの、現代主流の考え方は、どちらも、自然に働かせると「短期志向」になる、とアタリ氏は言います。つまり、未来志向になりにくい。将来世代の利益志向になりにくい、とアタリ氏は言います。

 資本主義が短期の利益を志向する傾向になっているのは、誰もが理解することですが、その資本主義の中を「グローバル資本主義=より短期的利益追求志向」に対抗するものとして、家族主義的資本主義を挙げます。孫に継がせることを考えれば、長期志向、未来世代志向になる、と言います。

 P&Gや外資投資銀行出身の経営が、短期利益、短期成果を上げては高給で企業を渡り歩くことがめっきり増えたここ20年ほどの変化を考えれば、とても納得できることですし、家族経営の、江戸時代から続く老舗企業が多く存在する日本の「家族経営」が長期志向であるというのも、頷ける話ではあります。

 民主主義も、短期的人気取りの票集めのためには、短期的利益誘導型の政策を掲げる候補が勝つことから、短期的近視眼的になる傾向があるといいます。

 これに対抗する試みとしてアタリ氏は社会実験をしていると言います。引用します。

「『影の議会』を作ることを提案して、ヨーロッパのいくつかの街で試してみました。まだ生まれていない有権者、つまり将来世代の利益を代弁する議会です。すでに成立した法律が将来世代にとって本当に良いのか可、その視点を与えたのです。」

しかし、このような試みはあくまで地方議会レベルでの実験的試みです。国政レベルで、「将来世代の利益を基準に意思決定すること」が難しいことをアタリ氏は語ります。再び引用します。

「今後50年間が勝負の時です。長期的に将来性のあるポジティブ資本主義およびポジティブ民主主義を我々が築けるのか。築かなければ全体主義が台頭するでしょう。全体主義は将来世代のためになるフリができるからです。」

初回に予告したように、アタリ氏は、再度、「いい親なら」という例を再び出します。
「我々全員にとって、我々の主な判断、全てにとって、この視点は有効です。自分のしていることが将来世代のためになるか否かという視点です。我々が子どものことを考えるときと同様です。いい親なら、しばしば、自分の行動が自分のためになると同時に、子どものためにもなっているか否かを考えるでしょう。自分よりも子どもにお金をかけるために、自分が犠牲になるべきか否かも考えます。我々は数人の子どものためだけでなく、人類全体のために、同様に考えなくてはならないのです。」

少子化が極端に進んだ日本では「いい親なら」という話を、実感をもって納得できる人が減っている、という指摘を再度しておきたいと思います。

⑶私の論点

今回は、いろいろ書いたのですが、あまりに個人的かつ問題作だなあ、と自分でも思ったので、アタリさんとは無関係に、もうすこし考えてから書きます。今日は、このパート、なし。

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