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Alone Again - Gilbert O'sullivanって、こんな歌詞だったんだ。藤井風くんの訳詞で、45年ぶりに知りました。

Alone Again - Gilbert O'sullivan 藤井風←YouTube動画はこちらをクリック

藤井風くんは、洋楽カバーのYouTube動画には、自分で歌詞を和訳してくれていて、YouTube設定で、字幕をオンにすると、風君訳の字幕が出てくる。

話はずーっと関係ない方に行って、僕の中学時代の思い出、もう45年くらい前に遡る。

中学時代と言っても、いまもFacebook上に友人がたくさんいる港区高陵中学校時代ではなくて、そこに転校してくる前に、中一の一学期、7月はじめまで通っていた、札幌伏見中学校の思い出なのだが。


伏見中学は給食じゃなくてお弁当で、そのお昼の時間になると、放送委員が、その間、いろいろと音楽を流していた。そこには微妙になんらか「流していい曲・ダメな曲」のルール検閲が、今にして思うとあったようで、歌謡曲はダメ、日本のフォーク、ロックもダメ、洋楽でも激しいロックはだめ、なので、洋楽の、おとなしいポップスと、ビートルズの中で静か目の曲とかが流れていたように思う。英語の先生の「英語のポップスは英語の勉強になりますから」許可が下りていたのかもしれない。

当時はカーペンターズが人気のピークにあったころだし、エルトンジョンのユアソングとか、そういう「放送OKソングス」の中に、このAlone Againもあった。そういう曲が、お弁当の時間には静かに流れていたわけ。

 で、僕は、当時、そういう「弁当の時間OK、甘いポップス」というのが、全部、大嫌いだったんだよね。エルトンジョン、カーペンターズ、ビージーズ、みんなみんな大嫌い。


 そして、僕は今でも英語の歌詞を聞いて、するっと意味が入ってくるほどのヒアリング能力は無いから、当時はましてまだ英語を習い始めましたの中学一年で、何を言ってるのかは全然分からない。

 で、このAlone Again も、どんな歌詞かは全然知らず、「お弁当時間の甘ったるいポップス」と思ったまま45年間がたった。

 最近、風君を知って、彼の全部のYouTube動画を、狂ったように見るようになって、カーペンターズのClose to youのかわいらしい訳詞を読んで、「なんか、いいなあ、青春って」って思ったり、エルトンジョンのYour Songの訳詞を読んで、ああ、これ、「歌うたいのバラッド」イギリス版だったんだ、と今さら理解したり、(いや、こっちが先なんだけどって、エルトンジョン、言うよな)、当時のお弁当時間音楽たちと、45年ぶりに和解できた。風君、ありがとう。

 そして、Alone againの歌詞の話に戻ると。タイトルからして、まあ「失恋ソングなんじゃろ」くらいにしか思っていなかった。なんとこれが、予想以上にヘビーな歌詞だった。

 一番では、結婚式当日に、花嫁にすっぽかされて逃げられて、教会でかっこつかなくてひとりぼっちになって、もう自殺しちゃおうかと考える。

二番で神様に、なんでこんなことをすると、と恨みごとを言ったうえで

ブリッジCメロのところで、世界中の傷ついた心の人に思いをはせ、

三番では、父親が死んで、お母さんが残されて、一言も口を利かなくなり、そのお母さんも死んでしまって独りぼっちになったときのことを思い出すという歌詞なんだよ。

 婚約者にも逃げられ、両親は先に他界していて、本当に僕は、独りぼっちなんだ。という歌詞なんだよ。

 この人は名前から分かる通り、アイルランドの人なんだよね。今になると、アイルランドの人たちというのが、文学と宗教と音楽の豊かな文化的伝統と、悲劇的な歴史的背景を持つ、それでも愛すべき人たちで、そういう背景を持つアーティストとして、なんというか、甘いポップスのメロディーに乗っているけれど、なんとも重たい歌詞の、不思議な曲なんだなあ、と思う。

 そんなことに、この年になって、やっと気づきました。しかし、これ、お弁当の時間に中学生が聞くような歌詞じゃないだろ、みんな英語、わかんなかったんだろな。と思いました。

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