11月25日 16:50 ·今夜の四試合見どころ予測から イラン×ウェールズ、セネガル×カタール、オランダ×エクアドル、アメリカ×イングランドという日なので、ちょっとややこしいことを考えた。長文だけど。 

11月25日 16:50 · さて、今夜の試合。

 イラン、カタールの初戦負けた地元中東2ヶ国、生き残れるか。

 カタールが2連敗で終了しちゃうと地元が盛り下がって大会的にまずい。しかし、セネガルは強いし、いいサッカーするし、監督かっこいいし、応援しているので困ったものだ。

 イランは建て直せればウェールズとは互角の地力はあると思うのだがな。

 オランダ×エクアドルの、1勝同士対決が、今日の一押しカード。

 エクアドルは日本との直前強化試合も強かったし開幕戦カタールもこてんぱんにした。もしオランダに勝てば、ベスト8までいく旋風を巻き起こすかも。

 前大会一回休みだったオランダ、初戦ものすごく出来がよかったので、もし今夜よい内容でエクアドルを下したら、僕の優勝候補リスト上位に入ってくる。

 格下には鬼のように強いイングランド、今夜もアメリカに大勝しそうだなあ。イングランドは怪我人を出さないことだけを注意。


11月26日 1:00 · プライバシー設定: 自分のみ

 今日もライオンおったな。セネガル強かった。カタール、残念ながら敗退決定だが、もう一試合、オランダ戦もあるから、最後までサポーターも含め、がんばれー。

 この大会、カタールには外国人労働者問題とか、女性の人権とか、LGBTへの差別問題とかいろいろあって、欧州各国がさまざま、チーム選手も含めて抗議行動をしている。そういう問題があるから、カタールでの開催はどうなのか、という意見がある。ワールドカップ自体を批判する人もいる。

 そのことについて、僕は、そういう問題があるからこそ、カタールでワールドカップを開催したことには意味がある、という意見なのだな。ちょいと書く。

 オリンピックやワールドカップがあると、ものすごくたくさん外国の人が来る。大挙して押し寄せる。お金持ちだけじゃなく、わりと普通のおっさんおばさんも兄ちゃん姉ちゃんもやってくる。ふだんの観光客が来るのとちょっと違う。開催国の人たちも同じ試合の観客として、スタジアムに向かう交通機関の中から道からスタジアム周辺から、ものすごくたくさんの外国人に囲まれる。食べたり飲んだり騒いだり喜んだりしょんぼりしたり、そういう外国の人たちと一定時間空間を共にする。

 今回カタールの人たちはそういう各国の人たちを、初めて、間近に見た、体験したと思う。

 観光客で来る人たちとも、外国人労働者とも違う集団であり、それとの接触体験なのである。

 カタール戦の地元カタールの観客はものすごく男性が多かった。それに対して、今日、対戦したセネガル、宗教はイスラム教が多数派なんだが、しかし、ものすごく元気で丸々した女性がいっぱいいた。丸々したと書いたのにも意味がある。セネガルではより太った女性が美しく魅力的という価値観が一部にあったりするらしい。(ここはやや怪しい情報。)それくらい、イスラム教が多数派の国でも、女性ののびのびしていること、肉体の美しさを大っぴらにアピールすること、そういう国、文化もあるのだ。そういう他国の人をこの目でみる。もしかすると隣の席になって言葉をかわす。

 日本人のごみ拾いも、そういう「世界にはいろんな価値観の人がいるな」のひとつの例だ。勝っても負けても大興奮でゴミちらかし放題の国民性、文化の国が多数派なのは、きっとこの先も変わらないだろう。それでいいと思う。日本人がゴミを拾うのも、そうでない文化の国も、あるのだ。世界には。
 現地に行っているFacebook友人の渡辺さんが、「普段は仲がいいとはいえないサウジアラビアの人とカタールの人が、仲良く交歓している」と、スタジアム周辺の雰囲気を伝えてくれている。つい2年前までさまざまな政治的対立や、それこそ女性の自由の問題で対立し(カタールのほうが自由なのだが)国交断絶していたサウジとカタールの人だって、ワールドカップとなれば、肩を組んだりしてしまうのである。

 人権問題や女性の権利やLGBTの問題は、社会構造や歴史や宗教と絡んだ難問で、西欧の価値をそのままイスラム教の中東やアジアやアフリカの国に上から目線で押し付けようとしてもトラブル、反発が大きくなる。アフガニスタンのタリバン、アメリカの撤退後に起きたことなどからも、最近も僕らは学んできたのじゃないか。アメリカ軍が撤退したとたん、タリバンが政権に戻り、女性の人権、仕事や女子の教育機会はどんどん後退してしまった。西欧が批判をしても、その国、社会、宗教の現実は、その国の人たち自身のペースでしか変化していかないのだと思う。

 はっきりとした意見が国民的にある欧州の代表が、その意思を示すのは立派なことだと思う。しかし、日本は、日本人は外国人労働者問題についてもLGBTについても、まずは自国の問題として何がどんな状況で、どう解決するのか、しっかり議論しなければいけない段階だと思う。「欧州のいくつかの国ではそういう行動があった(主に北欧系)」→日本でその問題を考えるきっかけにしよう。ならいいと思う。あるいは問題意識を持つ選手個人がいたら、意見表明をしてもいい、「スポーツに政治を持ち込むな」なんて批判しないで、きちんと受け止められるように日本人がなればいいとはおもう。でも、「日本選手団が欧州各国みたいに人権問題に抗議しないからダメ」みたいな批判は無理があると思う。

 いやちょっと考えてみれば、死刑廃止国からしたら日本はおそるべき人権後進国だし、中絶が合法化されている国からしたらアメリカ共和党が半数の指示を得ているアメリカも恐ろしく後進国になる。

 世界にはいろんな国があって、宗教も文化も性的なことへの考え方も違って、それぞれの国が自分の国。宗教、文化が正しいというか、それが、当たり前だと思って生きている。
 一般庶民は、自分達と価値観の違う人たちのことを、テレビの中では見ることがあっても、生身の人間、集団として、見る機会はほとんどないのだ。

 ワールドカップや五輪というのは、そういう価値観の違う人たちと時と空間を、友好的に共にする、またとない機会なのだ。しかも、感情の大きな振幅を伴って。

 このワールドカップが終わった後、「他国の応援席には女性が生き生きと大騒ぎしていたな」「人権問題で抗議をしていた欧州の人たちもチームが勝てば大喜び、負けるとしょんぼり悲しそうにしていたな。サッカーが大好きなんだな」とか、いろんな記憶がカタールの人たちに残ると思う。

 自国の宗教や長い伝統を、外国から批判されるのはどんな国だっていい気持ちはしない。外国労働者の人権問題、日本は技能実習生制度があんなひどい人権侵害を起こしているのだから、カタールのことを批判する前に自国のことからなんとかしないとダメに決まっている。この大会を機会に、自国の問題を考える機会にするのには賛成なのだ。

 「人権問題がある国で商業主義にまみれたワールドカップをやるなんていうのは意味がない。むしろ有害だ」みたいな意見には、僕ははっきり反対なのだ。ビッグイベントをやるには金もかかるし、世界にはいろんな価値観の国がある。そういう世界のありかたまるごとを呑み込みつつ、世界の人が集まり。それをテレビで何十億人が見る。

 政治的には激しく対立しているイランとアメリカだって、最終節には同組だから対戦するのだ。サポーターは観客席でお互いの姿を見たり。もしかすると、隣あって言葉を交わしたりもするだろう。ワールドカップでなければそういうことは起きないのだ。

 スポーツがあれば平和になるとか戦争はなくなるとか差別はなくなるなんて能天気なことを言っているのではない。世界にはそいうすぐには解決できない問題が山のようにある。その、もとになっている歴史や伝統や宗教の違いは乗り越えがたい。それでもワールドカップの期間、スタジアムの内外では、生身の人間の集団として、そういう違いを抱えた同士が、交流できる、少なくとも互いを観察できるのだ。そのことの意味は、長い目で見て、何かを変えていく力になると思うのである。

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