映画『竜とそばかすの姫』をAmazonプライム配信で見ながら、匿名と実名の混在する、SNS、ネットの世界が生活の半分を占める現代、そして近未来に生きることの困難を考える。

映画『竜とそばかすの姫』

 映画館で見ると、音響が凄いから、音楽と映像のオープニングだけで、そのすごさで涙が出るから、と聞いていたのだけれど、新型コロナで自主的完全引きこもりをしていたので、映画館では見ていない。今日、Amazonプライムビデオの配信で、自宅でやっと見た。

 映画中の歌は、今までさんざんYouTubeで聞いていたので、歌単体としてはどれももうすっかり耳になじんだものだったのだが、「なるほど、ストーリーの中でこういう役割だから、こういう歌詞なんだ」と納得しながら見たのでした。歌のシーンで何回か泣いてしまった。感動的でした。

 細田監督の『おおかみこどもの雨と雪』はものすごく大好きだし、主人公、すずとベル二役の声の中村佳穂さんのことも大好きだし、本当に見たかったのだよね。

「映画の筋としてはちょいと無理がある、最後の方」という評価もなんとなく聞いていたのだけれど、たしかにその通りだったのだけれど、それでも、とてもいい映画でした。

 この映画、少女の成長の物語だし、自己犠牲、「見知らぬ他者のために命を捨てる親」のことを、残された子供がそういう親の生き方死に方をどう受け入れるか、という重たいテーマを扱っているし、児童虐待の問題も扱っているし、いろいろあるのだけれど、中で、ここで考えていきたいのは、ネットの世界の匿名と実名の問題について。

 仮想世界「U」でのアバターは、現実世界のその人物の特性を様々スキャンしたり読み込んだりすることで自動生成される匿名の存在。仮想世界「U」の中では、正体が誰かはわからない状態。50億ものアカウントが存在して、五感の体験をする、まさにもうひとつの世界になっている。音楽も、格闘技も、現実世界では「隠れた才能や願望」にとどまっている人が、その才能を発揮できる場になっているのだな。細田監督の名作、テレビ再放送が夏の風物詩になっている「サマーウォーズ」の仮想世界の発展形のようだ。その仮想世界と現実の間を行ったり来たりして、映画は進む。

 「U」での振る舞いや発言は、わりとツイッターの匿名アカウントのような、乱暴で人を傷つける発言をする人も多い。

 現実世界で出来ない潜在能力、可能性を、「U」で発揮することもできる代わりに、ひどい誹謗中傷を受けることもある。

 主人公すずは、現実世界では音楽をDTMで作曲することをひそかにしているのだが、母親を亡くしたショックから引っ込み思案の性格がすごく強くなっていて、人前で歌を歌うことは出来ない。「音楽が大好きなのに歌えない少女」なのである。そのすずが、仮想世界「U」に参加して、アバター、「ベル」となったら、歌姫として世界中の注目を浴びる存在になる。大ファンになる人が半分いると同時に、アンチも半分くらいいる。

 ドラマの鍵となるのは。この世界に「Uにも秩序が必要」と考え、正義の名のもとに、「実名を晒す能力」をもって自警団のようにふるまう集団が現れる。Uの中で実名や素顔、正体を晒されるのは、せっかくUの中で築いた人格、名声を台無しにしてしまうことなので、正体を晒されることは誰もが恐れている。この正義の名のもとの「実名晒し」の暴力性と、「ネット内での匿名の暴力」の関係。「ネット内での匿名の存在」としての行為、発言と、「実名の、現実世界のつながりのある存在としてネットで発言したりなんらか行為をすること」の関係、問題というのが、この映画の扱う、とても重たいひとつのテーマなのだな。

 ツイッターでは実名アカウントと匿名アカウントが混在している。粗暴な発言をするために匿名別アカウントを作る人もいるらしい。実名アカウントでの失言や他者への誹謗中傷で、社会的地位を失った著名人も少なくない。匿名だと思ってした発言や、単にリツイートをしただけでも、告発され、開示請求をされ、裁判で有罪になった人も多い。

 僕がTwitterゃFacebookやプログを始めたのは原発事故後の、反原発の意見を表明するためで、どこでも実名を晒して発言してきた。当初からネットリテラシーゼロな感じで、身元をたどろうとすれば誰にでもわかっちゃう形で政治的な意見を表明してきた。ツイッターではずいぶん怖い思い、いろんな人に絡まれたりしたので、今はそれぞれのSNSやブログサービスを使い分けるようにしている。今は特に恐ろしいツイッターは、書いたnoteの告知以外にはほとんど使っていない。音楽についての「好きな人を褒める」発言しかしない。

 それでも、好きな人を、誉めているだけでも、トラブルは起きる。ツイッターでもYouTubeのコメント欄でも、好きな人を褒めているだけなのに、喧嘩腰になる人がいる。日本だけではない。欧米でもそう。たとえばプリンスファンが盛り上がっているところにマイケルジャクソンファンが割り込んできて、どっちが偉大か、どっちが天才か、みたいな本気の罵り合いが始まったりする。あるいはアコギの天才、西村ケントくんの演奏を褒め合っているところに、「多重録音しているんじゃないか」疑惑を差しはさんでくる人が必ずいて「していないって言ってるのに」というのに「あそこのあの音が」みたいなことでいい合いになる。玉置浩二さんの歌唱力を褒めたたえていると、つい「誰よりすごい」みたいな話になって、いつのまにやら大喧嘩になる。音楽でさえ、基本、好きなもの、素晴らしいものをほめあっているだけなのに、いつのまにやら、そんなことになる。(このあたりの機微も、この、映画はとてもうまく取り込んで描いている。)

 ことが政治的な問題になると、もう実名の有名高名な学者さん同士でさえ、激しい言葉のやりとりにすぐなる。「有名人対無名の絡む人」の場合、絡まれなれている有名人は、ある程度相手をした後でブロックしてしまう。

 この最近の戦争のことでも、有名な人同士も、有名人対無名人も、無名の人同士も、ツイッター上はずっとひどい罵り合いが続いている。テレビで戦闘、戦場、荒れ果てたウクライナの街、国土を見ても落ち込むが、ツイッターのタイムライン見ても、ますます落ち込むのである。僕のnote読者ならお分かりの通り、僕はこの戦争に関しては「白黒」論ではなく、様々な国が様々な立場で関わっていることを理解しよう論、のnoteやFacebook投稿を続けているので、「ロシア・プーチンが悪魔100%悪い」論の人からは、ときどき絡まれるというほどではないが、一言、強い言葉をぶつけられることもある。

 現実世界の暴力の応酬と、ツイッター上での言葉の暴力の応酬。つまり、人間と言うのはそれくらい非寛容で、自分と意見や立場が違うものと共存することはできない、どうしようもない生き物なのだなあと思ってしまう。

 この映画の中では、こうした「現実世界の諍い」と「ネット世界での諍い」が、それは高校生の恋愛を巡る炎上とネットイジメ、みたいなことから、現実世界の家庭内での親の子供への虐待と、ネット世界での暴力の関連、みたいなことまで、いくつもの異なる深さ、切り口の「匿名と実名、仮想と現実」の複雑な関係が出て来る。主人公の親友が、それらを切り回す天才的スキルを持つ理系女子なので、彼女の協力で、なんとかいろいろ切り抜けていくわけだが、それこそ現実では、あんな心強い親友などいないわけで、多くの人がこのややこしい現代的環境の中で、失敗して傷ついたり、逆に思いもかけぬ形で加害者となり告発され社会的地位を失ったりするのである。

 主人公の成長の物語としては感動的なのだが、この匿名と実名が混在し、仮想空間での失敗が現実世界を侵食する現代、そして近未来に生きることの難しさ。そこにおける様々な暴力の形について、ここまできちんと描いた映画も、なかなかないと思うのでありました。

 と言うわけで、アマゾンプライムビデオだけでなく、いろんな配信サービスで見られるので、もし時間があれば。おすすめです。

 なにはともあれ、中村佳穂さんの歌、ベルとしての歌と、すずとしての歌、すずとしての声優、ドラマを演じる素晴らしさ。

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