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2024パリ五輪 柔道競技・観戦しながら感想分析などFacebookに投稿した長文転載。その2 男子66キロ級女子52キロ級の日

二日目、男子66/女子52を見終わって

 柔道について、今日は二人、素晴らしい海外の柔道家が活躍したので、彼らのことを書きます。

 なんでかというと、昨日のような(審判、判定などの)トラブルがあると、すぐに「柔道とJudoは違う」とか言って、海外の、世界のいろんな国の柔道、柔道家、彼らの柔道を(よく知りもしないのに)批判する薄っぺらい意見がメディアにもSNSにも溢れるので。そんなこたあないよ、ということを書きます。

 昨日の主審のように、柔道が世界スポーツ化するなかでの問題は確かにあるけれど、今大会を見ていても、海外いろんな国の選手もコーチもみんな「柔道が大好きなんだな」ということが、まず一番に画面を通して伝わってくる。

 その大好きの表現の仕方が、日本人の考え、基準からするといろいろ「ちょっと違う」と感じることもあるけれど、そんなことより、日本発の柔道がこれだけ世界の人に愛されて広がっていることをまず喜びたい。

 世界の柔道のそれぞれの素晴らしさを、解説で出てくる度に熱心に力説してくれるのが、今回も男子の試合の解説をしている大野将平氏である。「日本の柔道だけが本物で素晴らしい」みたいな偏狭な意見を常に厳しく批判し、具体的に素晴らしい技術や態度をする外国選手の素晴らしさを、具体的な試合、選手の技術、態度を挙げて紹介解説する。思い返せば、東京五輪団体戦で破れた後、フランス初め各国の柔道の素晴らしさに学ばなければいけない、とインタビューに答えていた。

 今日であれば、準決勝で阿部一二三に惜しくも破れたが、3位決定戦で銅メダルを取ったモルドバのヴィエル選手。大野将平氏は放送解説で、コーチもなく1人で戦い抜くヴィエル選手の姿勢と、素晴らしい足技の技術を、何度も言葉を尽くして讃えていた。

 柔道の、試合の中身でも、大野将平氏は阿部一二三戦の後、ヴィエルのかけた、阿部一二三を大きく横倒しにした小外刈りを「技あり」とはじめにいい、「あわや技あり」と言い直した。そう、僕も試合を見ていて、あれは技ありあったと思った。今大会の判定基準だと90度よりすこし腹這い側60度くらいの角度で腹這い気味に肩と体側から落ちても技ありを取ることが多い。その基準では技ありでもおかしくない。
つまり、本戦4分間でヴィエルが勝ちであってもおかしくない内容だった。

 それだけではなく、ヴィエル選手は3位決定戦でも足払い、小外、大内と、多彩かつ。力任せではなくタイミングと正確な技術でポイントに近い技を連発していた。

 ヴィエル選手で、大野将平氏は言葉にしなかったが、僕はいちばん印象に残ったのは礼法である。試合の初めと終わりの礼。あれが、あそこまできれいな外国人柔道家は初めて見た。

 日本人は①試合場階段の上を「道場」と考え、そこに上がるとき降りるとき、②「試合場(コート)に入るとき、出るとき」③試合場内、開始線は今のルールではないが、開始位置に立ったとき、試合開始前と終了後、各3回、礼をする。
①は別にルールに定められてはいないが、②③は定められている。
なので、外国選手もみんな「一応」②③の礼はするが、しかし正しくはしない。
正しくというのは形のことではない。
 礼は本来、「相手と目を合わせ」「タイミングを合わせて」することになっているのである。
 これを、それぞれ自分勝手なタイミングで、まるでタイミングを合わせることも目を合わせることもなくする選手が、外国人の場合、90%以上で、片方にその気がないと、もう「目を合わせる」も「タイミングを合わせる」も不可能なので、国際試合でちゃんとした礼法になる可能性は0%に近くなる。

 ところが、今日の準決勝、阿部一二三とヴィエルの試合、試合場に入るときと開始線での②③の2回とも、ふたりはしっかり目を合わせ、タイミングを合わせて素晴らしい礼をした。

 もう、あの礼を見た瞬間、僕は心のそこからヴィエル選手のファンになってしまったのだ。柔道の技術も、礼法も素晴らしい。コーチ無しで一人で落ち着いた表情で戦い抜く精神も素晴らしい。

 もう一人、女子選手では、阿部詩を破った、ウズベキスタンのケルディヨルバ選手。

 阿部詩選手に勝ってもにこりともせず、飛んだり跳ねたりもしない。そのことは解説の佐藤愛子氏も指摘していた。

 今回、決勝に残ったもう一人、コソボのカルスニキ選手や3位決定戦に残った選手たち、みなそういう「武道家」としての、殺気と静かさ、という佇まいの選手が多く、技のタイプは様々だったけれど、緊迫感があり素晴らしかった。

 前回東京五輪から寝技の継続時間が長くなるルール改正でまずは日本人女子の寝技の恐ろしさが柔道界を席捲したのだが、その後の三年間で、世界の女子柔道家は寝技の研究、研鑽に励み、どこの国の選手も寝技、絞め技も間接技も使いこなすようになった。絞め技間接技を身に付けると、柔道という武道の「もともと殺し合いの技術だった」恐ろしさへの理解が進む。今回上位に進んだ選手たちの「殺気と静謐さ」を併せ持つ感じと無関係ではないと思ったのである。

 決勝のケルディヨルバとカルスニキ、実力的には東京48キロ級金メダリストのカルスニキの方がやや上だと思って見ていたのだが、体幹も腕力握力も異常に強いカルスニキに対しては、担ぎ技、背負いや袖釣りを「脱力、柔かくなって重心下に入る」しか勝機はないのだが(解説、佐藤愛子氏はそういう背負いの名手であった)、ケルディヨルバは試合でたった一回のワンチャンス、脱力柔体化しての袖釣りを決めて技ありを取り、勝利をつかんだ。

 阿部詩戦も、たったひとつのチャンスであった、阿部詩が組み手不十分で大内に入る瞬間を捉えての、完璧な谷落としだった。谷落としも体格や筋力に劣る場合の、タイミングと脱力落下による捨て身技であり達人度が高い技である。力任せの裏投げなどとは違う、柔道としての芸術度の高い技である。ケルディヨルバ選手が阿部詩選手に勝ったのはまぐれでもなんでもなく、ごく希な柔道家だけが到達する脱力柔体化して技をかける達人の領域に達していたからであることが、決勝の勝ちかたを見て分かった。技も精神も態度も、素晴らしい柔道家であった。

 男子の大野将平氏の話に戻れば、銀メダリストブラジルのリマと、もう一人の銅メダル、カザフスタンのキルギズバイエフ選手の準決勝で、リマが美しく鮮やかな体落とし一本で勝利したとき、「オリンピックで素晴らしい投げ技を見られることが嬉しいですね。」「投げ技での決着が嬉しいですね」と繰り返した。

 世界各国のトップ柔道家の伎倆は、柔道の極意真髄を体得し、それをオリンピックという最高の場で表現できるほどのものなのになっているのだ。
「日本人の柔道だけが本当の柔道で、外国人は力任せのJUDO」みたいな薄っぺらで嘘っぱちで独りよがりな常識認識を、なんとかして是正したい。大野将平氏の解説には、そういう強い思いを感じる。

 「妹を思う気持ちが」みたいな薄っぺらなポエムを垂れ流して恥じないアナウンサーには、そういうことは分からないのである。

※話は別のほうにいくが、兄弟姉妹で幼いときから同じスポーツをしたときの、親も巻き込んだ複雑な感情の歴史というのは、当事者にしか分からないだろう。そういうことを「国民的ヒーローヒロイン」として消費され背負わされた阿部兄妹のことというのは、今日、何度もご両親やそのすぐ上の客席におさまった阿部詩選手がテレビに映るたびに思った。なんかなあ、やめてほしい。つらいし。

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