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映画『セデック・バレ』のことをこの時期、思い出したのは。

Amazon内容紹介

内容(「キネマ旬報社」データベースより)
日本統治下の台湾で起こった壮絶な抗日暴動「霧社事件」を映画化。山岳地帯に暮らす狩猟民族・セデック族。住民たちが日本の統治に不満を募らせる中、日本人警察官とセデック族の若者が衝突し…。特典ディスク付き。
内容(「Oricon」データベースより)
1930年10月27日。台湾の山深き村で起きた事件――その真実を、いま世界が知る。日本、そしてアジア各地で大ヒットを記録した、世紀の問題作!価値観が揺さぶられる、かつて誰も味わったことのない獰猛な映画体験!


ここから本題

 何で今、この映画のことを思い出したかと言うのは、分かる人には分かるだろうと思う。

 ひどく抑圧された弱者側が、圧倒的な強者に抵抗する暴力行為に及ぶとき、その暴力の行使おいて、弱者の抵抗が、ある種、過剰な暴力性を帯びることがある。例えば支配抑圧者側の一般市民、女性や子供らまで殺害してしまうこととか。その暴力行為の凄惨さ残酷さの印象は当然強い印象を与えるために、そもそもの構造としての強者と弱者、抑圧する支配者加害者側と抑圧されている被害者側の関係性、そのどちらにより正義があるのかないのかの判断が混乱する人がでてくる。

 あんなに残酷な方法で一般市民の子供や女性を殺すのであれば、被支配者弱者は理屈の通じない野蛮人であり、支配者側の自衛のためには、弱者側を殲滅してもやむを得ない、と思ってしまう人が一定数出てくる。

 この映画は、戦前の日本の台湾植民地統治時代の1930年に起きた「霧社事件」という実際の事件を、事件を起こした台湾の少数民族側の視点から描いた映画である。

 台湾には中国系の漢民族より前から住んでいた、ルーツとしては太平洋の島の人たちと同系統の少数民族が山岳地帯に今も住んでいる。少数民族というが、細かな部族に分かれているが総数ではかなりの人口がいる。

 こうした少数高地民族は、事件当時は基本的に狩猟採集民の生活を維持していたものも多かった。この映画の主人公であるセデック族は、当時いまだ首狩りの風習を維持していた。男子が大人になると認められるためには、隣の部族に行って、敵部族の首を刈ってこないといけないのである。そして、この通過儀礼や隣村部族との戦いにおいて勇敢に首を狩って戦う勇士のみが、死後、虹のたもとにある名誉ある死後の世界に行ける、という信仰、そういう宗教死生観をもって生きていたのである。

 日本統治のもとでは、山間に日本人集落が出来ており、そこの警察などにセデック族の男たちも就いているなど、セデック族は日本人統治に服していた。この日本人集落での日本人とセデック族との生活も映画では描かれていくのだが、ひどく差別抑圧をする日本人もいれば、親切で差別的でない日本人もいた。日本人集落で警察官として働くセデックの青年の、微妙な心の揺れも丁寧に描かれる。

 しかし、日本人村総出の運動会の日に、事件が起きる。さまざまな不幸不運も重なり、セデック族の人達が反乱を起こし、日本人住民、女性や子供も含め132人が殺害された。そのほとんどが首をはねられて殺害されている。

 日本人とセデック族の間に立って苦悩したセデック族の警察官は事件後に自殺した。

 映画ではとにかくものすごい数の日本人が首をはねられる凄惨な描写を、びっくりするほどたくさん見ることになる。日本人として複雑な心境になる。

 日本軍はセデック族の掃討を決め、航空機での爆撃からついには、毒ガスまで使ってセデック族700人ほどを殺した。

 セデック族が日本人を首をはねて民間人130人を殺したことの凄惨さはある。殺しかたの方法としての残酷さが印象に残るのだが、それは彼らの伝統的な方法でもある。

 しかし一方の、日本軍の行った、まるで部族全体を殲滅しようとするかのような行動はどうだろう。

 航空機による空爆から、毒ガスまで使って(史実としては異論もあるようだが、映画では毒ガスも使われた)。圧倒的な近代兵器兵力で、叛乱戦士を鎮圧するという名目で、セデック700人を殺したことは正当化されるのか。

 また、セデック族の仲間割れをさせたり、他の部族にセデック族を狩らせることを賞金を、出して行い、その中で多数のセデック族の女性や子供も殺された。その後の弾圧でさらに200人以上を殺害した。その卑劣な手段は正当化されるのか。

 首切り(首狩り)と毒ガス空爆。これはそれぞれが持っている暴力手段の違いであって、弱者はそういう手段しかないからそうするのである。もしくは彼らの文化的宗教的意味づけからは当然の名誉ある、相手にも敬意を持った殺害手段であったりするわけで、「あんなひどい野蛮な方法で」というのは近代人の価値観でしかなかったりする。

 というようなことを、映画公開直後に映画館で見たときに、ブログに感想を書いた記憶があるのだが。

 どっちがどの程度どう悪いと現在の視点から裁こうとするとして、僕にはこの件について明確な結論、正解はわからない。

 確かなことは、この事件と同じような構造の殺し合いが、ほぼ100年たった今も、世界では起きていることだけだ。

 「何であんな、ひどいことを」と、今現在の他国他民族同士の紛争については僕も思うのだが、およそ100年前に日本人にも同じような構造の紛争の体験があったのだ。
どう同じ構造かというと
①強者(日本)が弱者他民族(セデック族)を支配し抑圧し、
②そのために弱者が叛乱を起こし、強者側の民間人が大量に殺され、
③その叛乱の鎮圧のためといって、強者は圧倒的近代的な兵力兵器で、その、数倍、10倍近くの弱者側の命(一般人含め)を奪った。

さてまあ、どうしたらいいのか。どう考えたらいいのか。


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