ショパンコンクール受賞者のガラ・コンサート(First Prize Winners` Consertの方)感想。小林愛実さんが、一瞬で、一音で作り出す異質な美。右手の小指と肩甲骨の動き。
ショパンコンクールについていろいろ書いてきたので、最後、受賞者のガラ・コンサート(First Prize Winners` Consertの方)を視聴しての感想を。
優勝したブルース・リィウくんだけ、オケでコンチェルト一番を弾いたのだけれど、本選ファイナルのときより柔らかい、のびのびした演奏だった。ファイナルのは、やはり異様なテンションの名演だったのだなと改めて思う。オケも指揮者も聴衆も含めて。
ピアノがFAZIOLI一台だったので、「この人がこれを弾くとどんなだろう」という興味もあって、それも面白かった。
やはり、反田さんのピアノ、好きだなあという感想は変わらないのだが、今回、いちばん良かったのは、小林愛実さんだった。というか、この人だけ、ガラ・コンサートでも、コンペティションと同レベルの緊張感を、会場に一瞬で作った。異質である。
ポーランドの正統派クスツリクさんと、スペインのガルシアガルシアくんの間の演奏順だったのもあるかなあ。
僕はクラシックは普段、聴かないから、また、ちょっと変な視点で書くけれど、ご容赦を。
小林さんはすごく身体が小さい。その上、手も小さい。演奏映像を見ていると、思わず僕の眼は、小林さんの右手の小指を追いかけている。小さな手の中でも、小指、短いよなあ。ピアノという楽器では、小指が大活躍する。和音の最低音は左手の小指が、和音の最高音、旋律の最高音は、小指がたいてい担当する。目立つところで働きづめである。その小指、男性の奏者や外国の大柄な女性奏者と比べると、あまりに短い。いつもピンと伸びざるを得ない。
あれだけいつもピンと伸ばさないと弾くべき音に「届かない」という条件で、小林さんは演奏する。あの。いつもピンと、伸びた小指で、美しく繊細なタッチで、力強い音までも生み出す。
他の人たちが、「最も美しい、紅茶を美味しく飲ませる陶磁器ティーカップ」選手権をやっている中に、一人だけ、もっと壊れやすい、ガラス細工のティーカップがあるような、それくらいの異質感がある。熱い紅茶をガラス細工に注ぐのはそもそも無理なのでは。その手の大きさで、ショパンの、難曲は無理なのでは。そういうドキドキする、心配するとさえ言っていい空気が会場に、聴衆に満ちていく。
紅茶は陶磁器で飲むもの、という正統からすれば、小林さんが優勝ということはないのだろう。しかし、ガラスの器で飲む紅茶には、別の美があるのである。
少しまた視点を変えて。
今回、小林さんは、背中が大きく空いたドレスで、本選もガラコンサートも演奏した。肩甲骨、背骨、肋骨とその周囲の筋肉の、動きが、すごくよく分かる衣装(で覆われていない部分面積の広さ)だった。
時にピアニストの背中が丸いのは、肩甲骨を開く動作が必要だから。強い音を出すときは肩甲骨を立てる(立甲という動作)動きをすること。あの小さな身体で、どう考えても男性奏者と同じ動きでは、「届かない」幅の、左手の分散和音の、高速の、長時間連続する伴奏部分を、俯瞰カメラで捉えると、小林さんは、考えられないような肩と腕の連続する左右振動で補って「届かせている」、その身体操作の特異性。小さな身体から最強音を出すときの肩甲骨の立ち方。
比較をすれば、前後の男性奏者のようなゆとりある柔らかく自然に力強い音は出ない。どうしても、緊張感のある、張りつめた、透き通った音になる。柔らかい音であっても、「まるまるした大きな手の男性」の手から出る音とは、違う。それは最弱音も、最強音も、単音も、和音も。
その小さな手、短い小指を、それでも豊かな表現をするために、肩甲骨、胸郭を自在に柔軟に動かして生み出される、小林さんにしか出せない音。
そういう出す音の特性と、小林さんの音楽の解釈は、不可分のものなのであるなあ。
小林さんの演奏の時にだけ現れる、会場の、聴衆の、あの空気。そういうことを感じたガラコンサートでした。
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