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お言葉ですが、信者ですか?

言葉ってのは
誰が話したか
よりも
何を話したか
を熟考すべきではないだろうか。

至極当たり前なことだと私は思っているものの。主語、述語、話者のうち、話者を重んじすぎる傾向があるようにふと思えた。
何よりこの話で先日友人と口論したからだ(笑)。

〇〇が言ってたから買う
〇〇が言ってたから間違いない
もちろんこれらすべてが悪い事ではない。
情報の信憑性や信頼性はある。
が、例えて言うなら私には尊敬している人は誰かと問われると、誰とも言えない。
それはどんな偉人であれクズで下衆なところはあると思うし、どんなクズであれ人生の365日全てが反道徳的な行動をしていたのかというとそうではないとも思うからだ。
聖人君子は数少ないながらもいるとは思うけど、聖人君子だってやはり真っ白はあり得ないだろうとも思う。

「お金の稼ぎ方」の話があったとする。
イーロンマスク氏の金儲けの話を聞きたいか。
ホームレスの方の金儲けの話を聞きたいか。
おそらく多くの方が前者を選ぶと思う。
が、これが「100円の稼ぎ方」だとどうだろう。
話が変わってくると思う。
極論かもしれないけど、でもこれってすべてに当てはまるのではないか。

資格試験や経営ノウハウ等には参考書はある。
生き方を模索して自己啓発本に行き着くこともある。
でも、こと人生において実用参考書など無い
それは誰しもが人生のプロフェッショナルだからだ。

受け取るか捨てるかは受け手次第なんだけど、100%正しい事を言う人も100%間違った事を言う人も、絶対にいない。

物事の真偽を見極め、何が有益な情報なのか。
真に疑うべきは受け手である自分自身ではないだろうか。

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