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美術館でフル充電

インプット期間に没入してしまいました。

本をとにかく読みまくっていたここ数ヶ月。インドや思想関連だけではなく近代日本史とか美術系の書籍、しまいにはなんでか村上龍と村上春樹のダブル村上再読フェアが始まってしまい、もう悶絶していました。


そして最近とくに楽しかったのは、大先輩たちとの美術館ツアーです。以前の記事でも書かせていただきましたが、懇意にさせていただいている美術関連のご職業の、まるで「芸術の図書館」のような知識を携えた美の大先輩(お二人)と一緒にアートめぐりです。


先日は東京国立近代美術館の歴史的ラインナップを観に行って大興奮しました。これも私のインプット期をさらに深いところに誘い込み、ツアー後に各作家の生涯や時代背景の歴史などを調べたりしてこれまたもう深い感慨に浸ってしまい、もうそれって本当に幸せな体験だなあとしみじみ過ごしておりました。


先日の東京国立近代美術館の所蔵品展示で唸ったランキングを発表します。ランキングなんですが全部「一位」です(笑)。


長い輪廻で1位
横山大観「生々流転」

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流転する水の一生を描いた作品。
雨の一滴がやがて大河となり大海へ注ぎ出て、最後は龍となって昇天する壮大な物語です。クライマックスが本当にすごいです。靄の中に霞んだ龍の姿が現れ、そして元素的な宇宙と言ってもいいような「渦」になってまさしく「昇華」されます。そしてまた、一滴の雨として「はじめ」に戻るのでしょう。


40メートルにも及ぶ長い巻物で、今回は後半の20メートルほどが展示されていました。


横に長いので必然的に横に横にと歩きながら鑑賞するのですが、ゆっくりじっくり歩みながら、言葉ではない物語を心で感じながら進んで行くと、だんだん自分がその「水」になったような心持ちになります。自分の中の言語的な思考作業は完全分解され、絵の中の宇宙に吸収されていきます。最後、ため息しか出ませんでした(笑)。


そう、本当にため息しか出ないんです。言葉にできない。
語彙力や言語化なんてものがいかがわしいものに思えるくらい、圧倒的な感受!これまで私はどのくらい無駄な言葉をこの世界に垂れ流してしまったんだと自分をぶちたい気分です。


しばらくコメント不可能に陥っている私に大先輩女史が、この作品が東京で一般公開された日に関東大震災が起こり、当時のスタッフと言うべき人がでしょうか、この40メートルを巻いて脱出し損傷を免れたというエピソードを教えてくださり、もう頭の中はその場面でいっぱいに(笑)。どんだけ素早く40メートルを傷つけずに巻いたのか、国家的に重要な巻き物を守らなければと必死に巻き、震災の大惨事の中をくぐり抜ける名もなきヒーローの姿を想像して、もう涙目(T ^ T)


この大作の何がいいか。
もちろん画が素晴らしいのですが、そこに「何かを教えたり諭したりする意図」がなく、例えば中国の「十牛図」みたいな「悟り」に向かって行く展開とかでもなく、ただただ「現象」を表しているところ。日本的だなあ〜〜と思ってしまいました。道徳とか教えじゃなく、そのままを写しているだけ。

日本人の物事を見るときに基本的心理ってこういうところにあるんじゃないか、と思ってしまいました。



サーンキヤ哲学的展開論1位
加山又造「千羽鶴」

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屏風です。
屏風絵って、すごい文化だなあと思います。屏風自体の歴史も興味深いです。
そもそも用途は「仕切り」じゃないですか。でもこの豪華すぎる仕切り!!むしろ概念世界を仕切っているではないか。

この「千羽鶴」は以前にも鑑賞していたのですが、今回は、絵から発せられている非常に強いパワーに以前よりも強く共鳴してしまいました。


鳥たちの羽ばたきの音が聞こえてきます。鏡のような満月とその光を前に遠近感覚が薄れ、鳥たちのシンクロする意識と一体化します。空とも海とも言える荒ぶる波に皮膚が震わされ、波が細胞の中を通過していきます。


いやいや、すごかったです。
こっちも本気で向かわないと吹っ飛ばされるところでした。


観ていたらだんだんとサーンキヤ哲学的宇宙観になってきて、

「これってプラクリティ(現象)の“展開論”みたいですね。屏風が開かれると自性(現象)が展開し、屏風がパタンパタンパタンって閉じていって、最後まで畳んじゃうと全ての世界が閉じてプルシャ(真我)、解脱!!・・・みたいな。」

と言ったら、ヨーガ哲学つながりでもある私たちなので「ほんとだほんとだ!」と喜んで笑ってもらえて非常に嬉しかったです。


拡大してじっくり。
https://search.artmuseums.go.jp/records.php?sakuhin=160254
(独立行政法人国立美術館・所蔵作品総合目録検索システム)


この「加山又造の屏風絵」は私にとってメモリアルなものなんです。2018年2月に、同美術館において「Curator talkー美術館で朝ヨガ」という企画にヨーガ担当講師として加わらせていただき、その時にテーマとして選ばれた作品が、加山又造の「天の川」という作品でした。

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その時の写真がこれ↑です。この作品を観て感じながらヨガするって、すごくないですか?これまでいろんなヨガ企画がありましたが、これは本当に貴重な機会でした。このようなことができる許可が下りた、というだけでもすごいことです。

この時も確か、サーンキヤ哲学の宇宙観のお話を出したと思います。
加山又造とサーンキヤは相性がいいのかもしれません(笑)。



ここ一番の身だしなみ1位
安田靫彦氏『黄瀬川陣』

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これもすばらしかったですね〜〜〜〜。
じわーーーーーって感じでした。擬音でしか言えない。


日本画最高。この、何も描かれていない間が素敵。
描かれていないのではなく、空間があるんだな。
心が静まります。


先輩女史が、

「奥州にあった義経が、頼朝のもとに馳せ参じ、兄弟が再会するところですね。」

と静かに語ってくれただけで、私もう涙目に。
「馳せ参じ」という語感に完全にやられてます(笑)。

私だってこんな顔して馳せ参じたいですよ!!

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で、この絵の義経の履いている毛皮のブーツのおしゃれさ!
(と言っても、長旅に耐えたり、防寒であったり、必要性があってこういう履物なんでしょうけど、でもおしゃれ。)
そして装束の美しい細工に見入ってしまいました。糸の一本一本まで繊細な配色なのです。手袋も細かい模様の入ったストッキング素材みたいに見えました。これ今あったら人気でそうな感じ、と思ったり。


考えてもみてください。
人生に「馳せ参じる」機会などそうそう多くはありません。
私たちのようなぬるい時代に生きていたら一生に一度もないことだって普通なのです。でも私たちの中には遺伝的に「何かに馳せ参じたい」という願望があります。それは連綿と紡がれたご先祖様の馳せ参じてきた記憶です。
馳せ参じるというのは生半可は気持ちの行為じゃありません。ちょっと手伝いに行くとかじゃないのです!命を捧げに行くのですから。
一世一代の馳せ参じ、そりゃあ気合入れたドレスコードになりますって。

https://search.artmuseums.go.jp/records.php?sakuhin=2664
(独立行政法人国立美術館・所蔵作品総合目録検索システム)



まだまだありましたがこのくらいにしておきます。
ほんとにまだまだあったんです。

岸田劉生で明治天皇崩御の日本を想ったり、藤田嗣治で「戦争と画家」という運命に考えさせられしばし撃沈したり、東山魁夷で日本の自然に対する「望郷の念」がこみ上げたり、もう熱でそうな回でした。


美術館は私にとって、スピリットの母胎の中に戻って胎盤に再接続するような空間です。非常にパワーをもらいます。


あ、それで!この日、ド迫力の日本画の数々を観たことで、村上春樹の「騎士団長殺し」が読みたくなってしまい(日本画の絵が物語の軸になっている)、それで冒頭の「村上フェア」の「龍」だけでも熱くなってたところに「春樹」も参戦してしまったのです。忙しい(笑)。


そんなこんなでアウトプットが追いついていなかったんですが、こういう濃厚なインプット期間というものはやっぱり必要なのです。この刺激が、自分の分野への探求や発信に生かされて行きます。


読んでくださってありがとうございます。


ナマステ
絵美里

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