「サティヤ」 〜心というパワフルなしろものについて〜
メルマガのコラムテーマのリクエストでがありました。
『ヨーガ哲学を書籍で地味に勉強しています。本を読んでなるほどと思ったり、素晴らしいなと感じたりすることは多いのですが、自分の生活の中で実践するにはほとんど至っていません。先日読んだところで、「サティヤ(正直であること)」という教えを知って、とても大事なことだなあという感想は湧くし実践してみたいとも思うのですが、完全に正直になることはとても難しく感じられて、思うばかりで先に進んでいない感じです。ただ、最近心が不安定になることが多く、特にこの先の人生をどう進んでいったらいいのかなあと考えたりするととても心細くなったりします。こういう時にヨーガ哲学で知ったことが使えればいいのになと思い、メールさせていただきました。何か実践につなげるためのアドバイスがあったらぜひお願いします。』
という内容でした。ありがとうございます。
よい教えを知ってもなかなか実践に移せない、というのはとてもよくわかります。
人生における唯一で本当の失敗とは、あなたが知っている最良のものに従わないことだ。
と言ったブッダ。
知ってもなかなか実践したり従うことが難しいのが人の心なんですね。
よい教えを知っても、最初のうちはとても崇高な境地のような気がしてしまい、現在の自分には縁遠いもののように感じたりするのもあると思います。
こういう場合まずは、たくさんやろうと思わずに、ひとつひとつ実感を伴っていくのがいいと思います。
どんなに美味しいものがたくさんあっても、一回の食事で食べれる量はその人の胃袋の大きさや消化力で限界があるように、教えも「その時の自分が受け取れて、実践できる範囲」をまずやってみるといいと思います。
そしてそれを咀嚼・消化できると、次第に、吸収した教えが土台となって次に進んでいけると思います。
自己啓発などでもよく言われることですが、まずは「こうしてみたらとてもよかった!」というような小さな成功体験を味わってみると、次から実践への心理的なハードルが下がっていきます。
挙げてくださった「サティヤ」についてですが、とてもいいテーマを例に挙げてくださったのでサティヤで話してみたいと思います。「最近心が不安定になることが多く・・・」というところに寄り添ってみます。
■サティヤ、真理、真実、正直、誠実さ
サティヤは「ヨーガ・スートラ」の中の「八支則」にも登場する教えですが、この教えはヨーガ・スートラ(紀元後4世紀頃に成立)で初めて現れたテーマではなく、もっともっと古い時代(紀元前5世紀頃のブッダの教えなど)にも発見することができる、インドの精神論の基本的なテーマのひとつです。
サティヤは、日本語に訳される時に「正直」と訳されることが多く、教えの解釈としても「正直でいなければいけない」あるいは「嘘をついてはいけない」という風に紹介されることが多いものです。もちろんそれはそうなのですが、もう一段階前に戻ってみると捉えやすいかと思います。
「サティヤ」は「真実」とか「真理」という意味になり、単に人と人の間で交わされる言葉のうえでの嘘のなさ、ということだけではないんですね。ですので「真理と相違ないよう生きなされ」と言ってもいいんですね。あるいは「誠実」とも訳されるのですが、これも他人に対して誠実であれ、という教えにもなりますが、その前に「自分自身に誠実であれ」ということがベースになります。
これを別の言い方をしますと「一致していてください」ということなんですよね。
何と一致するのか。高い次元から行きますと、
「真理と一致していてください」、つまり真理に即して生きてください。
次に、「真実と一致していてください」、つまり現実をねじまげないで、それがどんなに自分の要望と違っていても、現実を見て、その現実を生きてください。
次に自分自身の思考の次元ですと、「思っていることと、行為していることを一致させてください」となります。
で、なんでこんな教えがあるかと言いますと、ここが非常に大きなポイントなんですが、これらの「一致」がないと人の心のエネルギーはパワーダウンしてしまう、というところなんですね。不安定になります。現に「偽りを言っている時、心は不安定になる」という感覚は、大なり小なり誰にでも経験があると思います。ですので、サティヤの実際的な解釈のひとつとして、「嘘をつかない」という教えに落とし込まれるわけですね。誠実であれ、も同じです。心の不安定は、解脱や悟りの対極にある思いです。こことっても大事ですね。
■ギャップがないのは強い!
ブッダのエピソードを見てみると「神通力」というものが出てきます。ヨーガ・スートラでも第三章まで進むと「ヴィブーティ」という、いわゆる超能力についての説明が出てきます。通常の視力では見えない遠くのものを見たり、時間軸を超えて過去や未来を知ったり、通常の耳では聞くことのできない音を聞いたり、言ったことがそのまま実現されたり、飛んだり(!)、消えたり(!!)、現れたり(!!!)、とかとか、すごいですね(笑)。
こういった非日常的な能力はどうやったら発現されるのか、というと、このサティヤの効果でもあります。これも次元が高くなればなるほど、その力が高まります。
ギャップがなくなると、パワーアップする!
と考えるといいでしょう。
(「アラレちゃん」とかは思いと行為が一致していて、心に曇りがないのでつおいですよねwww 古!!)
これも、先の「次元別」で考えると、
「真理と自己が一致している」が最強です。理論上なんでもできちゃうし、なんでもわかっちゃう。最高の悟りもここですね。
次に「真実と一致している」と、物事をありのままに見て、その現実と自己の葛藤がない状態。この段階は「生きやすさ」につながるはずです。
そして自分の思考レベルですと、「思っていることと行為していることが一致している」というレベルですと、精神的にパワフルに、元気でいられる。
まずは三段階目の「思っていることと、行為していることが一致している」という状態を作ることができれば、私たちの通常の人生における心の安定感は非常に大きくなります、なにも悟りとか神通力とかまでいかなくても。
思っていることと行為が一致していると心は安定し、肯定的に考える力も高まり、そして葛藤が減ります。
逆の言い方をすると、思っていることと行動にギャップが大きければ大きいほど、私たちの心は不安定で、弱く、葛藤や欠乏感、不満や果てしない欲求など、いわゆる「苦」を感じている状態になってきます。
ですので、まずはそこなんですね。
パワーは外からの刺激や助けで与えられるものもありますが、一番パワフルなのは「自分の中から出てくる自前のエネルギー」です。
輸入に頼っている日本は外国の情勢に影響されやすく、自国の食品流通や経済に大きな不安要素を抱えていますよね。心も、外部からの助けは非常にありがたいものですが、それに左右されてしまうことも多く、最終的には自分の中から湧き上がるエナジーで安定するのに勝るものはありません。もちろん人間も自然も、相互作用で成り立っているので、まったく助けなしに自立しているものなどないのですが、自分の心が不安定で葛藤や叶わぬ欲求への渇望が多いと、他にすがって、他のエネルギーを奪ってでも安定しようとします。こうなると個人レベルでは人間関係がうまくいかなくなるし、自分が本当にしたいことに踏み出せなくなるし、自分で自分のことを決められなくなるし、そういう人たちが集まると「奪い合い」になっていきます。不安定のネガティヴサイクルですね。
今の消費社会もそんな感じで、「どこかからパワー(それが物であれ心であれ)をもらう」ことで自己を満たそうとしてぐるぐるしている社会なので、「自分の心と行為を一致させれば心は安定する」なんていう発想は湧きにくいものですが、古代インドの人たちはそういうことを検証に検証を重ね、エビデンスとして「神通力」というものが発現することを確認して、証拠としてきたんですよね〜、すごい科学的姿勢なんですよ。
■最初の実践アドバイスとして
「思っていることと、行為していることが一致している」
この状態を作るには、最初勇気がいると思います。人は多かれ少なかれ、自分の思っていることはちょっと脇において、希望とはちょっと違っても、やらないといけない事や、そうすべき事を実行して生活を作っていますし、普段関わる人や世間の風潮に言動を合わせているところもあります。社会や人と協調して生きて行くうえでそういった「配慮」はある程度ないと、毎日が混乱しますしね。
しかし「自分にとって大事な事」で自分に嘘をついたりごまかしてしまうと、自分との関係がうまくいかなくなります。これが非常に不安定な心を生みます。
実践の手がかりとしては、全面的に「正直」や「完全一致」であろうと意気込まず、まずは安全圏で練習するといいです。
例えばですが、「本当にそんなことでいいの??」と思うかもしませんが、一人でいられる時間と場所で、好きな音楽を音量大きめでかけて、好きなように歌ったり踊ったりしてみる!とか。
工作系が好きな人なら粘土で好きな形に造形してみる、とか、絵なんて描いたことなくても紙に好きなように絵を描いたり色を塗ってみたりするとか。こういったの動きは、既存の心理的なルールや思い込みから自分を解放する助けになり、自分に正直になるいい練習になります。
また、これまでやってみたいなと思っていたことを、小さな歩みでいいのでひとつやってみるといいと思います。
とにかく自分の気持ちに正直になってみます。
そうすると、自分がパワフルになって、物事を前向きに考えている自分に気づくと思います。安全圏でそれができるようになると、自分の生活の中の別の領域でもだんだんと「思いと行動」を一致させられるようになってきます。
■一致の危険性とその回避。実践と教学はいつも共にあれ、ということ
そうすると、あることに気づくでしょう。
“何を思っているか、が大事なんだ” と。
「思っていることと行為していることが一致していることで、人はパワフルになる」
これは真実なんですが、次元が低いと本当に危険な真実でもあります。改めてよく探さなくても、身近に山ほどある問題です。
例えば「こいつを苦しめたい」という思いと行動が一致しパワフルな状態になった時にはすでに、実際に人を傷つけて害してしまう極端な行動を取っていることになるでしょう。「殺してやる」、その思いと行為が完全に一致してしまった時、人は非常にパワフルになり、実行に移るほどのパワーを持ちます。
このパワーは「悪」に働いたパワーで、「心にギャップがなくなればパワーが出る」という心とエネルギーの関係を、こういう次元で利用してはいけないんです。当たり前ですが、なんでもかんでも思いと行動が一致すればパワフルになれるからそれでいいんだ!という事ではないのですね。だから古代の人々は、心のパワーというものを本当に慎重に扱いました。仏教にしてもヨーガの教えにしても、「まず心を清めて、欲望を減らしながら、正しい教えを染み込ませなさい」という行程が先に出てくるわけです。
ヨーガ・スートラもそうです。順番だけで見ても「サティヤ」の教えのひとつ前に「アヒンサー(非暴力)」の教えがまず提示されます。これはもう理屈じゃなく、だめなもんはだめ、と言われているのです。そこをちゃんと踏まえたうえで、サティヤを知りなさい、なぜなら思いと行動の一致、言動の一致は、扱う思いが低次元ならば破壊的な力を得てしまうものだから、というところなんですね。
ですので、なんでも実践をするうえでは、経典や聖典を学ぶ教学を続けて、次元の低い感情・欲望を減らしていくことが重要になってくるのが理解されると思います。
教学によって真理が心に染み込んでくると、その真理と自分の行動を一致させよう、という努力になってきます。
もしも教学がなければ、危険な思い込みを実行に移してしまう狂人、あるいはそこまで極端ではなくとも、もっと一般レベルでいうと「不安定な思考に不安定な行動を一致させる」という苦しみの多い状態で止まってしまうのです。
実践と教学、ちょっと繋がってきましたでしょうか。
■慈悲の修行
なんであれ、人の思いには力があります。
卑劣なものでも、純粋なものでも、パワーがあるという事には変わりないのですね。
ここでいうパワーというのは「現実に影響を与えるパワー」です。
低次元の心のパワーは、物理的な世界を自分の欲望が叶う形に変えようと働きます。そうすると「誰か」や「何か」を損ない、犠牲にする結果を生みます。そのような行為がカルマとなって、いつかの別の場面でまた同じような境遇になり、また同じような欲望を持ち、それを繰り返します。悟りや精神の安寧とは逆の方向に行きますね。つまり不幸なんです。
高次元の純粋な心のパワーは、その人の精神の中での現実を変えます。それが高じて行くと悟りになります。
仏教でもヨーガでも、高次元で純粋な心の表れであり、その行為として「慈悲」を重要視します。
自分だけじゃなく、生きとし生けるもの全てが幸福であってほしい、苦しみが減ってほしい、その思いをと行為を一致させる努力に励めば、最終的には自分を救済することになるという真理に基づいています。
この努力が自分を救う時、私たちはサティヤというものの至上の価値を知るのでしょう。途上にある私たちは、まだ自分は経験したことがない境地であっても、慈悲の心を自分自身の歩く杖として、あるいは羅針盤として、自分自身を救う支えなんだと信じて歩むのが、修行ってやつなんですね。
■一緒に考えよう♪それも助け合い
ご質問のテーマからサティヤを掘り下げてみましたが、これを読んで自分なりにできることから実践に移してみてほしいです。なにかひとつでも良い実感が伴ってくれば、それが次に進むための渡し舟になります。
また、一人で考えていてもなかなか進まないところはこうやってお話できたらと思います。今回はサティヤを取り上げましたが、他の教えも根本のところに戻って考えてみると、実践の意義を発見できるので、また質問やリクエストがあったらお気軽にどうぞ♪
今日も読んでくださってありがとうございます☆
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EMIRI
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