「人生はままならない」について
*こちらの記事は旧ブログの中からお引越し記事のひとつです。部分的に読みやすくなるように修正したりしてます。以前に書いたものを徐々にnoteに引越しさせてきます♫よろちくりん
(2020.12.22の記事)
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今年(2020)は、年明けに中国でのコロナウイルス発生による「コロナの不穏」からはじまり、それがあっという間に「自分たちのこと」になり、コロナ以外も他にもいろいろあったはずなのですが、なんにせよコロナコロナだったように思います。
話が冒頭から逸れる感じになるのですが、私「ホラー」って苦手なんです(笑)。非常に苦手で、怖い話、ホラー映画、お化け屋敷や肝試しなど、可能な限り避けます(笑)。夏の稲川淳二とか遭遇したくないです。
(ちなみに「ミステリー」は大丈夫です。ミステリーに「怖がらせる装置」としてのホラーが加わると・・・難しいwww。心理的な描写として人間の怖いところが語られている分にはおもしろく読める(観れる)のですが、「確実に怖がらせるための装置(ホラー要素)」が苦手なのです。)
そんな私なんですが、昔、流行った当時の頃ですが、鈴木光司の「リング」の小説を読んでしまったのです。映画の「貞子」ですよ。
うぐうううううう、もう思い出すだけで辛い(笑)。
映画は観てないですし、今後も観ないでしょう。あんなのビジュアルにされたらたまったもんじゃないです。CMとか短い映像だけでもういいです。
映画独自の恐怖装置もすごいとは思いますが、原作は原作でもう!!!
「文字で読む怖ろしさ」があります。
昼間からチビリそうなくらい怖くて、読み終わってもだいぶトラウマになったのですが、でも鈴木光司さんという作家の物語構成力は半端なく緻密で、「練りこんだ読み物」が好きな私はその巧みな引き込み術にまんまとハマってしまったんですねー。普段はそんなの手をつけないのに、当時(学生でした)アルバイト先の先輩だっかた上司だったかに、
「これすごいおもしろいよ」
と勧められて・・・。
怖い話は本当に嫌いなんですが、「リング」とその続編「らせん」に関しては展開がおもしろかったです。なんとか最後まで読みましたがもう二度と読みたくないです(笑)こわすぎ。
で、「リング」「らせん」以降、鈴木光司さんに一時期ハマり、他の作品も読みました。(だい〜〜〜ぶ前の話ですけどね。)ホラーでない作品もあり、それこそ私好みの「輪廻転生」的な発想が主軸のお話もあったように思います。どれもおもしろかった記憶があります。
昔すぎて、なんというタイトルの本か忘れてしまったのですが、いくつか読んだ作品の中で、物語の最後の最後にあった「主人公の言葉」が深く印象に残っているものがあります。
その言葉は
「人生はままならない。」
でした。
話の内容は、たしか二十代の若い男性の主人公が、『個性的で魅力的なのだけど非常に依存体質な女性』と親密になり、最初はなかなか良い感じなのだけど、だんだんと彼女の中に潜在していた狂気的な執着や嫉妬で起こってくるいろいろな不可思議な事象・・・・そんな感じのお話。(ざっくりだけど、なんかドロドロした感じなのは伝わるかな!笑!)
これも鈴木光司さんのテイストなので、単なる嫉妬とか男と女のサガ的なメロドラマが焦点ではなく、人間の心の中にある(とくに女性の)根源的かつ本能的にねちっこい怨念的な執着がメインディッシュで、普通ならば手の届かない深層までシャベルを差し込んで、見たくないものをわざわざ私たちに見えるかたちにして目の前に置かれるような・・・・話、
という感想が残っています。
(これも怖いじゃん!w)
お話の細部や、最後の顛末などもはっきり思い出せないくせに、なぜか最後の主人公の、
「人生はままならない。」
という言葉だけ、とにかく強く印象に残っています。
言葉自体の印象というものではなく、そこまでの物語の内容をすべて「まとめた」視点として、その言葉が物語全体の風景になっている、そんな印象なのです。
いわゆるホッとして安心するような終わり方ではなかった気がするし、かといって極端に悲劇的で後味の悪い終わりでもなかったように思うのですが、「いろいろなことがなんとか収まって、一息つけたとき」に、その上でもなお感じるものが、
「人生はままならない。」
そこにに集約されちゃった。
という感じです。
ここまで書くと「なんて本ですか?」と聞かれそうですが、思い出せません(笑)。
そう、それでやっぱり「人生はままならない」わけですよ(爆)!
そこが話したかったのですが、さかのぼりすぎて「リング」からになってしまいました。いつだって前説の長い私。
当時私はたしかハタチかそこらで、「人生のままならなさ」など本当の意味ではわかっていなかったのですが、それでもその当時なりの「若いからこその心の葛藤」はあったし、知性が及ぶ範囲なども狭かったのですが、その中でも「生きるってなんだろう」というような問いかけをもってたように思います。(持っていたと信じたい、ガキだったけど。)
やっと話が冒頭の冒頭に戻るのですが、今年(2020)はコロナコロナで、コロナウイルスがどうというよりも、「どうやって生きていくべきなのだろう、今後」というテーマが、多くの人たちの心にのしかかっているのではないかと思います。「のしかかっている」と言うと重いのですが、実際そうだと思うのですね。
前回、映画「嫌われ松子の一生」という映画の感想や考察で(*この記事は旧ブログにありますのでまた改めてnoteに引っ越しさせます)、孤独についていろいろ思うところをつらつらと書かせていただきましたが、「社会」とか「世界」というものに対する「拠り所のなさ」というような気配が、個人的な孤独感や孤立感を高めているようにも思います。
もちろん、新しい生き方を前向きに模索するムーブメントも確かに起こっていますし、ライフスタイルを変える良いきっかけになった、という人もたくさんいると思います。
しかし社会全体で見ると、前向きな発想を持てる人ばかりではなく、本当に心が辛くなってしまっている人も大勢いると思います。
前向きな人であっても、「楽観」しているから前向きという感じではなく、「人生のままならなさ」を抱えたそのうえで、目線をあげようと努力している人が多いのだと思います。
たしかに、人生はままならないのですよね。
なんの保証もない、と言っても言い過ぎではないと思います。
そうなると、物理的な生活手段とか経済に関することだけではなく、心をどうやって明るい方へ、そして健康なほうへと導きながら進んでいくか、というのをじっくり考える必要がありますね。
今までもそういったテーマについて考えて来た人は多いと思うのですが、コロナショックとでも言いますか、今回の件で「もうちょっと土台から考えないと、太刀打ちできないものを見てしまった」感があると思います。
つまり、
「私たちの社会は脆い」
という大前提のうえに生きてるんだ・・・という、一種「喪失感」にも似たような不安定要素。
これまでもいろいろとブーム的にもあった「ハッピーに生きるコツ」とか、自己啓発的なもの、それらが無駄とは言いませんし、自分が頑張れば成功や幸福を手にできるという発想、ポジティヴシンキングや心の持ちようによって幸福度はあがるという発想も、無効になったわけではないですが(ないよりもあったほうがずっといいですが)、でも、自分だけがんばっても立ち行かないものであったり、日々の心持ちで気分を明るい方に向けることで短期的には乗り越えられても、払拭しきれない「全体の雰囲気」や社会構造、時代の波というものがあると思います。
かなり悲観的な言い方になりますが、脆い基盤の上に窮屈に立っているのが今の私たちのように思います。
このような世界で生きていく上で、心の健康を失わずにいるには・・・
とりあえずですが、無理をしないことかな、と思います。
とりあえずな事しか言えなくてすいません(笑)。
あまり無理をしないほうがいいと思います。
そして苦しい、悲しい、不安、そういった思いがもしあるなら、助けを求めることも重要だと思います。恥ずかしいことじゃないし、そうしたほうがいいと思います。
つらい、不安だよ、ちょっと助けてほしい。
そう言っていいと思います。
いきなり社会を変えることは難しいので、「とりあえず」まず自分を少し楽にしてあげるのがいいと思います。
楽になるうえで、それを阻むのは「これまでの固定観念」だと思います。
止まっちゃいけない、休んじゃいけないとか、役割への固執とか、完璧にやらないといけないとか、みんな出来ているのだから私もできないと・・・、とか。
またはそれを他者(主に家族や近しい人かなと思いますが)に対しても適用させようとするのを、いったん辞めてみるという策はありだと思います。
そんなこと言ったらずっと仕事行かないわ・・・w
とか、
子供は学校行かなくなるよね・・・
とか、いろいろ出てくると思うのですが、
自分が思っている以上に、みんなけっこう葛藤し、社会の不安定さを無意識に吸い込んで、明るく振舞っているように見える人や健康に問題のなさそうな人でも、世間の神経質な空気を吸い込んでちょっと弱っている人が多い、ということを認めてみるといいのではないかなと思います。
自分に、そして他人に、優しくなる、ということかなと。
無理しないで、無理させないで。
「みんながみんなに優しくなれば社会はよくなるよね」なんて楽観的に言うつもりはなく、むしろみんなが優しくなったところにつけ込んでくるような悪意があるこの社会の闇は深いのですが(笑えない)、でもまずは自分を少し解放させて、これまでの観念から自由にして、もう一度エネルギーをチャージして歩み出すのがいいのではないかなって。
そんな事を考えて、伝えたいなと思いながら過ごしている日々、私はよく自分自身の祖父や祖母のこと、祖父祖母の世代を思ってしまいます。
戦争体験のある彼らを救ったものはなんだろう、とか、今の社会現象どころじゃない、もっともっと壮絶で地獄とも言える悲惨な世界を体験して生き延びた彼らは、この人生のままならなさをどう生き抜いたのだろう、と。それについてはまた思うところを書こうと思います。
とりあえず、無理せずに。
具体的な「無理」をひとつ手放して。
ナマステ
EMIRI
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