節目あっての人間、かもね。
あけましておめでとうございます。
みなさま年末年始いかがお過ごしだったでしょうか。
2022年ですね〜〜。
なんだか昔映画のタイトルになっていた年号や時代設定だった未来がどんどん過去になっていく最近です(笑)。2001年宇宙の旅なんてとっくに過ぎちゃいましたもんね。
さてさて、今年の初投稿、徒然に新年っぽい内容で。
■節目感必要
お正月を過ごすといつも思いますのは、人というのは「節目」を必要とする生き物なんだな〜と感じます。
今日と明日、今月と来月、今年と来年、誕生日や記念日、季節ごとのお祭りや行事、入学式や卒業式、節分や春分などなど、挙げればキリがないのですが、多くの人が節目を感じたい気持ちを持ち、それは「希望・期待」の表れなんだと思います。
きっと変われる、何かが変わる、という希望や期待。
もちろん何も行動が変わらなければ、日付が変わっても自分に起こることには変わりばえなかったりもするのですが、変えたい・変わりたいという思いと実際の行動をうまく接着してくれる役割を果たしてくれるのが「特別な日付」やそれを具体化する式やイベントだったりしますよね。
そういう意味で、節目ごとの集まりとか式って大事だと感じます。思いと行為を接着するために。ここまでの振り返りをしたり、思いを確認して次の行動につなげたり、物事への認識を高めるためのイベントがあることで気持ちをリセットして先に進むことができると。
習慣として形だけになってしまっている場合もありますが、しかし長い年月かけて形式化したものにはそれ自体に「目的意識」が詰まっているものもたくさんありますね。参加することで気持ちが変わったりします。
淡々と続いてゆく日常をちょっと鮮やかに、あるいはなかなかビビッドにしてくれる節目。大掛かりなイベントや行事ではなくても、家族や友人で集まったり、メッセージを送りあったりして一緒に節目を感じることで「さあ新しいドアを開けていいタイミングですよ!」という気持ちに背中が押されます。
■書き初めにおける邪道中の邪道
余談ですが、私は小さいころ「お正月」があまり好きではありませんでした(笑)。
外は激寒いし、学校の冬休みは短いし、そのわりには書き初め(習字)とか手のかかる宿題があって面倒すぎたり、昭和の時代、テレビを囲んでみんなで集まったりするのも苦手、人が集まるとある程度は「いないといけない」微妙な拘束感もなんだかモヤモヤしている子でした(笑)。つまりはマイペースで寝正月していたかったんですねw
そうそう、それで私、「日本の義務教育の冬休み」の代名詞でもある「書き初めの宿題」がもう本当に好きじゃなかったんですよ。お手本を見て書くという行為が苦手だったし、習字自体にもまったくシンパシーを感じていませんでした。(今の方が好きですね、鑑賞だけですが。)
お習字の世界の美意識があるのはわかります。でも普段から習字をやってるわけではないので、書いたって下手なだけで、それこそ小中学生の自己肯定感を下げるだけなんですよ(笑)。貼り出された時に隣にすごいうまい人のと並んじゃったりとか想像して、もうやだ、みたいな。
で、毎年いやいややっていたんですが、ある年、そんな私に母が言いました。確か小学校高学年だったか。
「字だと思うからうまくいかないんじゃない。絵だと思って、お手本をまず目に焼き付けて、よく見たらあとはもう見なくていいから絵を描くんだと思って書いてみなよ。」
と。そして、
「お母さんだったらね〜、輪郭だけきっちり真似するかな。最悪、輪郭描いて中を塗ったらいいのよw」
と(笑)!!
塗りですか!!そっちの方が難しくないか?と思いますよ〜(笑)。
こんなアドバイス、書道をちゃんとやってる方からしたら「何をぬかしておる!」という感じでしょう。
でもね、母の名誉のために補足しますとw、うちの母はものすごーーーい手先の器用なアーティストで、何かを「手で描く・作る」のが非常に得意な人なんです。商業デザインを生業にしており、今はグラフィックデザインはコンピューターで行いますが、母はその前時代の選手なのでデザインのすべてを手で作りあげていた人なんですね。それなりに経験と感性に裏打ちされたグラフィック的なアドバイスだったんです(笑)。実際に絵心で書道的に書けちゃったりする人でした。
で、輪郭描いて塗ったらいい、という学校では絶対に言われない驚愕のアドバイスをもらったことで、なんでもありなんだな、と思えました。
結局、さすがに輪郭だけ描いて塗るという必殺技は使いませんでしたが、常識をくつがえすアドバイスのおかげで気楽になったせいか、さらさらっと書いて「これでいいや」と思えました。心理的抵抗がなくなったんですね。そして「絵」であると捉えれば、新学期に教室の後ろの壁にずらーーっと飾られた時に「みんなの書と同じ雰囲気」とか「上手」じゃなくてもいいんだ、という他人の目への緊張も楽になったのを覚えています。
今思うと、芸術家気質の家族にはずいぶんと「同じじゃなくていい」とか「視点を変えれば別のやり方が見える」という感性をインプットしてもらえたように思います。こうやって歳をとってくるとそれがどれだけ人生を気楽にしてくれるかがわかります。
昨年末、うちの中学生も家で習字の提出課題をやっていて、やっぱり超めんどうがっていたし、飾られるのがいやだなあとか、他の人がうまいということも気にしていたんですが、
「うまく書けてるかどうかは気にしなくていいよ、うまい子は小さいころから習ったりしてるからうまいんだし、その差は今どうにもなんないじゃん。そしてそれは「学校にやらされている事」であって、君にとっては自発的にやりたい事じゃないよね。だからその課題に心のエネルギーと時間をそんなに使わなくていいと思う。」と話しました。
そのうえで私が母からもらった反文化的とも言える「輪郭描いて塗ってしまえばいい」の話をし、ひとしきり笑って「さすがにそりゃねーだろ」とか盛り上がり、したらばやはり気が楽になったようで、その後わりと楽しんで書いて、「けっこうよくできた気がする」となっていました。めでたし。
(後日談、年末に書いて提出していたのは「練習」だったそうで、冬休み中に再度書かないといけないらしく、また“習字めんどくさい”が起っているお正月ですw 日本の学校って変なことだらけだと思います。書道は確かに日本の大事な文化でしょうが、文化的な活動をやらせたいのなら授業の範囲でやってほしいなあと思います。現役の義務教育の先生に「すでに二学期の授業内で取り組んで、家でも書いて提出もしたのに、また冬休み中に家での時間を割いて同じ課題を出すことの納得のいく理由を説明してほしい」とお願いしたらば、どのくらいの先生が自分の考えや自分の言葉で本当に納得のいく返答をしてくれるだろうか。「昔からやってるから・・・」とかではなくね。日本の学校、再考察されていない意味不明な要求が本当に多い。)
■節目という装置
話をもといします。節目について。
時間の流れ自体には特に「継ぎ目」はないのですが、そこに儀式や習慣という装置が置かれることでリセットするポイントを人工的に区切っているのが、ある意味で人間らしい文化だなあと。
もっと壮大な、地球とか星の動きで言うと、グレゴリオ暦の年末年始って特にそれほど重要な節目ではなく、春分とか冬至などの方が意味のあるものなんですが、それでもあえて年末年始にけっこうな精神的比重で節目感を置いているのは、現代人の生活に「必要」があって設置されたリセット儀式のように思います。
何はともあれ、みんなでリセット感を共有できるのっていいなと私は感じます。
サービス業とか世の中の休日があまり関係ないく仕事をされている方なんかは共感していただけるかと思いますが、祝日とか年末年始とかに自分は仕事をしていても、世の中全体が休日で人々がリラックスしている「気配」は感じるんですよね。物理的に人の往来が少なくなってすいている事でも感じられますが、それだけではなく、なんと言うか「空気」で。
“あ〜今日は世の中がとろ〜んとしてる・・・”みたいな(笑)
私なんかも、世の中のお休み日はクラスをやっていることが多いので、そうするとなんだか、自分は仕事しているんだけど、来る人たちの「お休みモード」の気配で自分もちょっと休んでる感でやれたりしていいものです(笑)。(緊張感の高いお仕事の方はそうじゃないですよね!!!すいません。)
昨年も年末31日までオンラインでレッスンをし、新年も2日から始動していましたが、クラスに参加してくださる方の「モード」を感じてなんだかとても気持ちが休まりました。
今年もがんばります。
■新年にこんなスートラを
さて、新年の抱負なども考えやすいこの時期、一年のスタートにこんな聖句はいかがでしょうか。
यथाभिमतध्यानात्
自分の関心のあるものに対して瞑想をすることによって、これもまた心を安定させる。
(ヨーガ・スートラ1-39)
厳格な教えもあるヨーガ・スートラの中で、これは非常に寛容な聖句とも言えるもので、心の動きを制御していくうえでの初歩段階で、呼吸に集中したり、師を思い浮かべて集中したり、蓮の花とか光とかの清らかなイメージに集中したり、といくつかの提案がある中で、「あるいはなんでもいいから、あなたが集中がしやすいもので、それでいて心が純粋になるものを選んでそれに一心を集める、そうやって心の制御を練習していくのだってありだよ」という教えになります。
一年の始まりに、何か希望的なイメージや2022年に成し遂げたいこと、ありたい自分の姿などを思い描いて瞑想するのもありだと思います。
まず最初にイメージを言語化して書き出してみるといいと思います。言語化すると認知があがってイメージももっと膨らみます。
想像するのは自由ですよね!
どんなに理想的で叶わなそうなものでも、イメージできるのであれば行動することで近づくことはできます。
この「近づく」というのがとっても大事なんじゃないかと私は思っています。一歩でも、数センチでもいいのでmイメージしてそこに行動を起こすことで一歩踏み出せば、踏み出した先にまた展望が開けるというものです。
人生は「思ってたんと違う」の連続です(笑)。
世の中もぜんぜん甘くはないです。
だからこそ「想像力」を持ち続けるのが超重要で、「そう来たか、じゃあまた考えるよ」とイメージのエンジンはかけっぱなしで進んでいくのがいいと思います。たまに休憩しつつね。
今日はそんな感じです。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
2022年、みなさまのご多幸をお祈り申し上げます。
ナマステ
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?