シヴァと魚人間のお話
台風が過ぎ去ったらとたんに秋めいてきましたね。
それにしても・・・夏、暑かったですね。
こうやって涼しくなってくると、今年の夏の暑さにはけっこうやられていたんだなというのがわかります。涼しくなってきたら活動的に、そして頭が働いてきました。夏の暑さの中、圧倒的に室内にいる方が多かったのですが、ちょっとした外出でもへこたれそうな猛烈な日差しや、それに抗う冷房の中で長く過ごすことでも体がへばっていたのがわかります。
その証拠に涼しくなってきたら文章が楽に書けるようになってきました。夏の間、資料を作るにしても、思いついたことを書くにしても、何にしても書くのにいちいち時間がかかっていたように思います。休憩は長め、午後3時くらいには「続きは明日だ」と決めるの早すぎの日々、生産性低め人間でした(笑)。
そんなわけで、ぐでぐでの夏に比べて、シャキッとしてきた体と頭。じっくり伸ばしたり、適度に刺激を与えてくれるヨーガが最高に気持ちがいい秋なので、今日は「ハタヨーガ」にまつわる物語を紹介します。
■ヨーガって言ってもいろいろ
一言に「ヨーガ」と言っても、インドにおける時代、宗派や学派、経典や物語の中の文脈において、それぞれ指し示しているものに違いがあります。
「瞑想」を指す場合もあれば、人生における「行為」を指す場合もあれば、「信仰」のあり方であったり、はたまた「身体的な技法」を指す場合もあります。
ですが、どれをとっても共通するのは「精神統一をしている」というところです。
遡れる最古のところまでいきますと、シンプルに「精神を統一した状態」を指してヨーガと言いました。これがイコール「瞑想」です。
「精神統一」をスタートに、宗教的な祈りとしての精神統一であったり、信仰対象と自分の一体化を図る精神統一であったり、日常的な行為をしながらの精神統一であったり、そして身体行法を通じて精神を統一することなど、色々な精神統一を全てヨーガと呼ぶようになります。
ハタヨーガとは「身体行法を通じて精神を究極的に統一」する行のことを指します。
現代において一般的にも知られている運動としての「ヨガ」は、古典的な「ハタヨーガ」で行われていたアーサナ(体で取る姿勢)をもとに、身体的な健康や心の安定につながる動作としてアレンジしたものになります。
前置きはこの程度で大丈夫かと思いますので、今日のお話に♪
■ナータ派の物語
ハタヨーガは11世紀から12世紀頃にかけて、「ナータ派」と呼ばれる宗派の組織者であるマツェーンドラ・ナータやゴーラクシャ・ナータによって集大成されたヨーガです。
はい。
よくわからないカタカナの単語や名称が出てくると途端にギブしたくなると思いますので補足します。
「ナータ派」っていうのは、簡単に「シヴァ神派」と思ってください。ナータというのは指導者とか主という意味で、ここではシヴァ神を指します。ですのでナータ派のリーダー的存在の人物には名前に「ナータ」がついていることが多いです。マツェーンドラ・ナータ、ゴーラクシャ・ナータなど。
みなさんも、もし身近に「ナータ」とつく方がいらっしゃったら、
「失礼ですが、ナータ川さんはもしやシヴァ派でありますか?」
と、尋ねてみてください。
ビンゴでしたら敬礼してください。きっとご加護があります。
仏教を知りたければブッダのおいたちの物語を、キリスト教を知りたければイエスの物語を読まないことには始まらないというように、ハタヨーガを語るにはまずナータ派開祖の伝説を当たらないといけません。今日はハタヨーガの伝説的な起源説であるナータ派開祖の物語を紹介します。
インド神話にもよくあるように、この物語もとってもツッコミどころ満載かと思いますが、それもまたインドの世界観として楽しんでください。
■海の中のドラマ
マツェーンドラは、ベンガルの漁師でした。
ある時漁をしていると、巨大な魚に飲み込まれてしまいました。
しかし彼は、巨大魚の胃の中で生き続けたのです。
巨大魚の中に住いながら海遊していると、
なんと海の中でかのシヴァ神が、奥様のウマ(パールパティ)に、「生死に関する知」を授けていました!
はい。ここまで展開早すぎますね(笑)
どんどんいきましょう。
「生死に関する知」。これを聞けば死者をも救うことができるという知識です。
あまりに重要な教えのため、邪な人間たちや、知識の価値がわからない人間たちに聴かれないように、シヴァはわざわざ海の中にお堂を建て、人間たちから距離をとってウマに教えていたのです。
シヴァは海中のお堂の中でこの世界の真相をとうとうと語り、秘技を奥方に教授していたのですが、ななななんと不覚にも、ウマは説法の最中に居眠りをしてしまったのです。
はい。いい奥さんですねw
夫婦やカップルというのはこのくらいのゆるさがあった方がいい、という寓話的教訓なのかもしれません。
シヴァは奥方が居眠りしているとも知らず、渾身の説法を語り終えるとウマに尋ねました。
「理解しましたか?」
と。
すると「理解しました」と返ってきました。
そこでウマが目を覚まし、
「ごめんなさい!あたしったら、眠ってしまいました!!」
シヴァびっくり!
「なぬぅ!!では今 『理解しました』 と答えた者は、何者だ!」
と。
はい。
説法の最中に奥様が居眠りしていたことには特段のお咎めはなかったようです(笑)いい旦那さんですね。
夫婦やカップルというのは、このくらいゆるい方が・・・
「誰が私の話を盗み聞きしたのだ!」
シヴァは、問いかけます。
すると巨大魚の中にいたマツェーンドラは応えます。
「神よ、わたくしめでございます。」
するとシヴァ、
怒りの鉄拳かと思いきや。
「そうか・・・・。」
と。そして、
「私の教えを聞いたのなら・・・
私の弟子だ!!」
話はや!(笑)
そしてシヴァはマツェーンドラに灌頂を授けたのでした。
*「灌頂(かんじょう)」とは、頭に水や香をかけて、悟りの位に進んだことを証する儀式のことです。秘技を理解した弟子として認めたってことですね。会った瞬間ベストフレンド、くらいのスピード感ですね!!
それから12年間、マツェーンドラは魚の腹の中で、シヴァ神から授かった秘技を修行したのです。インド神話お得意の「12年の修行で悟る」パターンです。
そしてある時、別の漁師がその巨大魚を捕まえました。
その胃を割くと、なんと胃の中から男が!!!
(ホラーですねwww)
それを見た人々は驚き、
彼に向かって「マツェーンドラ!」と叫びました。
マツェーンドラというのは「魚王」という意味です。
そうなんです、ここで命名されたのですwww
(本名がなんだったかなど、もう聞かないでください。)
マツェーンドラは、魚の胃の中で修行したシヴァ神のヨーガを、砂浜の上で踊ってみせました。
すると・・・砂浜に足がうもれない。
また岩の上でも踊りました。
すると・・・岩が柔らかくなり、苦もなく踊った。
それを見た人々はたいへん驚き、マツェーンドラを崇拝し、「ヨーガの師」として人々に崇められました。
とさ。
~~~~~~~~~~~~~~~~
これがマツェーンドラにまつわる物語で、インドにおける伝統的なハタヨーガ修行者にとっての「ホーム」とも言える物語です。
ですので伝統的なハタヨーガの世界では
「ハタヨーガはシヴァ神によって人間にもたらされた奥義」
というのが大前提です。
そこに異論はないのです。
これはハタヨーガに対する「リスペクト」として非常に重要です。
捉え方としては、例えばディズニーランドがとっても好きな人に「ミッキーマウスの中の人って、踊りすごいうまいよね!」とか言っちゃだめじゃないですか!(笑)
ふなっしーでもくまもんでも同じなんですが、その物語を愛する人にとって「中の人」なんていないわけです。
物語というのは信仰を支える最重要ファクターで、ハタヨーガにしても同じなんですね。「物語がある」というのは「ルーツを持っている」という強さなのです。
ですので異文化の人の目から見るとツッコミどころ満載の物語ではありますが、インドのヨーガ行者にとってはこの物語はとても大事な精神的土台なのです。
ハタヨーガをするならハタヨーガの物語に(信じるまでいかなくても)敬意を示すのが筋なわけですね。
■いろいろなバージョンがある
例によってお話には別バージョンもたくさんあります。
「魚」がシヴァの教えを聴き、聴いた通りに修行に励んだのちにシヴァにシッダ(修行完成者・成就者)として人間の姿に変えてもらった、などのバージョンもあります。
また、漁師が「盗み聞き」したわけではなく、説法の最中にウトウトした神妃ウマが、シヴァの語るヨーガの実践を夢うつつで見た。
その夢のヴィジョンを魚(あるいはその中の人)が見て、それを修行したら悟った、というバージョンも。
私はこのバージョンもけっこう好きです。ウマもただの奥さんじゃない、神妃ですので彼女の夢は海の中の生き物に共有されるほどの広がりを持つって考えると、なんかいいなあ、と思ってしまいます。
また「魚」というのが占星術の魚座のイメージとも重なります。
魚座さんはいろいろな境界線や、物理的な制約を超える独自の目と心を持っていて、神秘的な領域も息をするように自然に感受する力を持っていると。
そうならば魚(あるいは魚の中で生きる人)が、「ウマの夢」をごく自然に「見る」のもわかるなあと。
■物語はハタヨーガのアーサナに
マツェーンドラが「魚王」という意味だということはわかりましたね。これが由来となっているヨーガのアーサナ(ポーズ)が「アルダマツェーンドラーサナ」です。(半分の魚のポーズという意味でサイドに捻ってるポーズ。)
ヨーガのレッスンでもよく行われます。腰痛にいい。
B.K.S. アイアンガー師
マツヤーサナの「マツヤ」も魚という意味です。魚っぽい形状ですね。魚気分でとってみてくださいね。
そして陸に戻ったマツェーンドラは、「踊った」とありましたね。ここがシヴァ由来たるところで、シヴァ神といったらダンスなのです。
「ナータ」は踊りという意味も持ちます。ナタラージャアーサナというのがあります。「ダンシングシヴァ」とも言われ、ヨガスタジオにも置物が飾ってあったりするので見かけたことがある方もいるかも。
これ。マツェーンドラはシヴァ神に教わったこの手のダンス的な動作をいろいろやったのでしょうね、これぞヨーガ!と。
B.K.S. アイアンガー師ふたたび
シヴァは踊る神様。シヴァのハタヨーガは舞踏的な精神性を内包していたのだと感じます。
踊るほど心が開かれ
躍動感に溢れ
生命を賛美し
どんなすごい体位でも踊るようにリラックス
そして基本は、古来から続く「精神統一」です。精神統一するからこそ踊る優雅さが生まれるのですね。
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いかがでしょう。
ちょっと見方を変えて、シヴァ神が人間に授けてくれた秘技としてヨーガをしてみるのはどうでしょうか。
さまざまな事に思考を動かして散漫になりがちな現代人のマインドを、ハタヨーガでビシッと集中へ。
そして「今、生きている」という事そのものに全身全霊を捧げるようにヨーガをしてみると、心の目がクリアになって新たな活力が湧いてきます。
過ごしやすくなった秋、運動としてのヨーガも楽しんで行いたいですね!
読んでくださりありがとうございます。
ナマステ
EMIRI
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