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真田家の別れの地「犬伏の薬師堂」を訪ねる


栃木県佐野市の唐沢山城跡に車で向かう途中、ふと六文銭ののぼりがはためいているのが目に入り、こんなところになぜ「六文銭」が?と、来た道を引き返した。


そうか、この薬師堂があの「犬伏の別れ」の地だったのか。
真田昌幸と幸村、信幸が関ヶ原の合戦前に、家族を西軍と東軍とに分かれて戦うことを決めた場所だ。真田家のゆかりの地は九度山を除けば、たいてい長野県か群馬県の北部なので、この佐野市に真田家のゆかりの場所があるとは思いもしなかった。


西軍と東軍、どちらが勝っても家が存続するために、家族が敵味方に分かれることを話し合った、と伝えられている。今でいう「リスク分散」「保険をかけた」ということか。
当時の「家族」というのは、今我々が考える「家族」という概念とは異なっていたであろう。戦国時代は、兄弟で命を取り合ったりすることも普通にあったと思う。ただ、お互いに憎しみあっているわけではないのに、家族で話し合って訣別することを「合理的に」決めた、ということがこの犬伏の別れの特別なところだ。

敗れて英雄になった幸村と同じくらい、勝ち残った信幸も興味深い。この犬伏の地で、父、弟と袂を分つことになった信幸はどのような気持ちで関ヶ原と大阪の陣を戦ったのだろうか。その後の徳川体制で父と弟を敵に持った家臣として、生き抜いていくのは簡単ではなかったはずだ。聡明で知略に富み、徳川にとっても手放しがたい有能な人物であったに違いない。そして、人間的にもとても魅力に満ちていたのではないだろうか。そうでなければ、家は存続しなかったと思う。


でもこの「のぼり」。六文銭とともに「真田幸村」の文字があるが、いくら人気があるとはいえ、長男なのに、弟を手元に残した父親と訣別しなければならなかった信幸の気持ち、少しは考えあげてよ。

犬伏の地に想いを馳せて一句

  桜散り 枝わかれし先 花ひとつ

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