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モディリアーニ的人生を考える

先日、エゴン・シーレ展に行って、ふとそういえば少し似てるなと思い出したのがモディリアーニだ。
二人ともデフォルメされた独特の人物画で評価が高く、また若くして亡くなったことも共通している。

35歳で亡くなったんですね。モディリアーニは。
いわゆるモディリアーニ風の、長い首、卵形の顔、白目の無い黒い目という哀しげな人物画は、31歳から死ぬまでのわずか5年間で制作されている。
その年齢であれほどまでに人間の奥深さを感じさせる絵を描いていたのが驚きだ。
それに比べ、私ときたら。。。

20歳代のモディリアーニは、ローットレック風だったり、ピカソの「アビニヨンの娘たち」みたいなアフリカ彫刻風だったり、試行錯誤の連続で、なかなか自分のスタイルが確立できていない。
あの独特のスタイルが出来上がってからも、評価を得られず、苦労続き、貧乏続きで報われていない。
ようやく個展が成功し、幸せになれたのは、死の半年前のこと。
ほんの半年間しか、画家としての幸せを生きられなかった。

こういう人生を前にすると、つい考えてしまう。

例えば、人生のほとんどの時間、好き放題に何不自由なく自分が望む人生を満喫してきたが、冤罪か何かで逮捕され、半年間独房に放り込まれて、あっけなくそこで死んでしまう人。

一方、モディリアーニのように、人生のほとんどが苦労の連続で、何一つ報われない悲惨な日々を送ってきたが、最後の最後に幸せが訪れて死ぬ人。
どちらが幸せだろうか?

一見後者の方がいわゆる「ハッピーエンド」なので幸せのような気もする。
しかし、前者の人生の方が、ハッピーな時間が長いので満足度が高そうだ。
長い人生のうち、最後の半年だけ我慢すれば、あとは最高の日々だ。
なかなか難しい問題だ。
でも、私はどちらかを選べるとしたら、
「モディリアーニ的人生」の方を選ぶかもしれないな。

そういえば、モデイリアーニのことで一つ思い出した。
中学校の美術の授業で「自画像」の課題があり、
私はモディリアーニをまねて、首長の自画像を描いたのだ。
ああ、今思い返すと恥ずかしくてしかたない。。。

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