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詩と暮らすこと、そして歌うこと

詩と暮らすこと、そして歌うことは、ノンバイナリー&解離性障害持ちらしい自分にとって、自分の中にいるパーツたちの生命を感じることでもある。

バイナリーの支配する世界では、彼ら(性別不定の複数形としての彼ら)はそのままの形で表に出ることが難しい。日本だと殺害されることはないだろうが、例えばTwitter(X)に溢れる投稿をみるとわかるように、陰湿かつ悪意ある攻撃を匿名で受けることになるだろう。

しかし、詩や歌として表に出てくることは、おそらくはバイナリーの「伝統」からさほど逸脱していないと思われるのか、まだ許容される。それでも、パーツたちの想い描いている世界をそのまま表現すると、いろいろと問題になるだろうということは容易に想像できる。なので、本当はしたくないのだけれど、社会に対する自分の位置を確認して、その位置において当たり障りのないであろう言葉に書き換えたりする。


書き換えても詩は死なない。
パーツが決して死なないように。


しかし、何かは確実に損なわれる。

お腹のなかにいる彼らたちの温く湿った言葉は、どこか乾いたところの見える綺麗なおさまりの良い文章になってしまう。常に流れている、でもいつも変化し続けている南洋のうねりのような生命たちが残したただの痕跡のような見た目はよい何かに。


見た目のよい何かではなく、生命そのものの言葉をいつかありのままに伝えることができる日がやってくることを望んでやまない。

私たちは、存在しないものや、存在してはいけないものではない。
「普通の」人々と同じように、内包している生命を言葉にできる力を持っているのだから。


#シロクマ文芸部