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ベッセル・ヴァン・デア・コーク「身体はトラウマを記録する」④p300~400

・効果のある談話療法
症状を誘発した出来事の記憶をはっきりと明るみに出し、それに伴う感情を喚起することに成功し、患者がその出来事をできうる限り詳しく説明して感情を言葉で表した時、個々のヒステリー症状が即座に、そして永久に消失する。感情を伴わない回想は、ほぼ例外なく成果が無い。トラウマを引き起こした出来事に対する「強力な反応」が無い限り、感情は「記憶に付随したままとなり」、患者は感情を吐き出すことができない。
→これ、原宿カウンセリングセンターのカウンセラーさんとのブレインスポッティングがうまくいっている一因。彼女は解像度が高いから、安心して話せるし身をゆだねられる。

・トラウマを負った参加者全員が、その出来事の直後には何が起こったかを誰にも正確に伝えられなかった。
・トラウマ記憶は私たちが過去について語る話とは根本的に違う。トラウマ記憶が乖離しているトラウマを負ったときに脳に入った異なる感覚は適切にまとめられた一つの話や事前の一コマにはなってない。
・深層の記憶と通常の記憶とはそれほどまでに別個のものなのです。この分裂がなければ、私は生き返ることができなかったでしょう。
・トラウマの本質はトラウマが圧倒的で信じがたく耐えられないことだ。どの患者も私達に何が正常化という感覚を保留することを要求し。彼らが20の現実、比較的安全で予想可能な現在が破壊的で常につきまとってくる過去と隣り合わせに存在しているという事実に対処していることを受け入れるように求める。

・ナンシーがもっぱら自分が打ったトラウマの全部を自覚し、それによってトラウマが日常生活に侵入してくる状態を脱することを望んでいた。
→これが、目標

・毎週一時間のセラピーで、自分がどうしてこれほど損なわれたのかという謎を解き明かし、それからバラバラではなく、ひとまとまりの苦悩しているのではなく、平穏な自己の感覚を再建する安全な避難場所にセラピーがなりました。私はピラティスを通して、これまでよりも強い身体的な核を見出し。合わせてあのトラウマ以来、私の人生からは疎遠になっていた受容と社会的支援を進んで提供してくれる女性たちのコミュニティとも出会いました。この組み合わせによる核の強化、精神的、社会的、身体的な強化から、自分は安全で主導権を握っているという感覚が生まれ、トラウマの記憶は過去に追いやられ、現在と未来が現れ出てこられたのです。
→セラピーで断片的になっていた記憶を統合し、ヨガや宅トレを通して身体的な核を見出し、私の価値観に合う人達との新たな人間関係を築きつつある。この方向でよい。

トラウマ体と心と魂に残した痕跡は対処できるものもある。その痕跡とは、不安や抑うつ間とも呼べる。胸が押し潰されるような感覚や、自分を制御できなくなるのではないかという恐れ。危険や拒絶に対して常に身構えてしまうこと自己嫌悪悪夢とフラッシュバック。目の前の課題に取り組み続けることも今してる作業に打ち込むこともできないほどの混乱。他者にすっかり心を開けないことと言ったものだ。

回復のための課題は体と心、すなわち自己の所有権を取り戻すことだ。それは圧倒されたり、激怒したり弾いてたり、虚脱状態に陥ったりせずに、遠慮なく自分が知っていることを知り感じているものを感じるということだ。大抵の人にとって、それには次のことが必要になる。
1,落ち着いて意識を集中した状態になる方法を見つける→済
2、過去を思い出させる光景や思考と声、身体的感覚に反応するときに、その落ち着きを保ち続けることを学ぶ→
3,今思う存分生き周囲の人々と充分に変わる方法を見つける。→途中
4.どうにか生き延びてきた手段についての秘密も含めて、自分に隠し事をしないで済むようになる。→済
→順調

・トラウマはずっと昔に起こったことについての話という程度のものでは断じてない。トラウマを負ったときに刻みつけられた醸造と身体的感覚が記憶としてではなく、現在における破壊的な身体的反応として経験されるのだ。
→トラウマについて知る前は、「過去の傷でしょ」程度の理解だった。triggerによって身体的な苦痛が引き起こされ、それが耐え難くパニックを引き起こすほどの破壊性があるとはしらんかった。

・なぜ私たちはただ理性に従うわけにはいかないのか?理性は手助けになるのだろうか?理性的で実行機能のある脳が上手に手助けしてくれるので、私たちは自分のいだいている感情の由来を理解できる。例えば、男性に近寄ると覚えてしまうのは、父に性的虐待をされた体息子への愛情表現が下手なのは下落で、子供を殺した事に罪の意識を持っているからだというように。とは言えり、性能は情動や感覚や思考をなくすことができない。例えばレイプされたのは自分のせいではないと理性で分かっていても、漠然とした脅威を覚えながら生きていたり、自分は根本的に酷い人間なのだと感じていたりする。なぜそう感じるのかを理解しても、どのように感じるのかは変わらない。だから理解をすれば、思わず強烈な反応。例えば加害者思い出せる常襲思い出させる上司を非難する。一度意見が衝突しただけで恋人と別れる見知らぬ人の腕に飛び込むといった反応を見せてしまうのを防ぐことができる。それでも私たちが疲弊すればするほど、理性のは情動に主導権を奪われていく。
→ここなんだよな。私は理性脳ではめちゃくちゃ把握していて、それで十分だと思っていたんだけど、情動に支配され続けてきた。やっぱり、ブレインスポッティングは、徹底的にやった方がいい。

・辺縁系セラピー
トラウマ性ストレスを解消するうえでの根本的な課題は理性脳と情動脳との適切な均衡を取り戻して、自分がどう指導人生を送るかを自分で取り仕切っていると感じられるようにすることだ。私たちは何かのきっかけで過覚醒や低覚醒の状態になるときは、「耐性領域」(最適な形で機能できる範囲)の外に押しやられている。過覚醒の場合には私たちは反応しやすく、混乱に陥る。フィルターが働かなくなるので、音や光に悩まされ、希望もしない過去の光景が心に侵入し、パニックになったり逆上したりする。低覚醒の状態で機能停止に陥ると、心も体も麻痺しているように感じ、頭の働きが鈍り、椅子から立ち上がることも難しくなる。過覚醒になったり、機能停止に陥ったりしている限り、人は経験から学ぶことができない。どうにか主導権を握り続けていたとしても、極度の緊張状態になっているので。柔軟性を欠き、頑なになり、気分が落ち込んでいる。トラウマからの回復には実行機能を回復し、それと共に自身と遊び戯れたり、想像したりするための能力を取り戻すことが必要になる。心的外傷後の反応を変えたいのなら、情動脳にアクセスして辺縁系セラピーをしなければならない。壊れた警報システムを修理し、情動脳を通常業務(体の維持期管理をする静かで目立たない存在)に戻して食べ、眠り、親密なパートと結びつき、子どもたちを保護し、危険から身を守ることがきちんとできるようにするのだ。
→情動脳へのアクセスが大事

私たちの感じ方を変えられる唯一の方法は、内部の経験を自覚して、自分の内部で起こっている出来事と仲良くなれるようにすることだ。

ヨーガを10週間実習すると、PTSDの症状が著しく軽減する。たとえ不快な記憶やぞっとするような記憶を呼び起こしている最中にも穏やかに呼吸し続けることを学び、身体を比較的リラックスした状態に保つことが回復のために欠かせない。意図的にゆっくりとした深い呼吸を数回すると。覚醒状態に副交感神経のブレーキがかかる効果に気づくだろう。呼吸に意識を集中していればいるほど得るもの大きい注意を向けながら、最後まで吐ききり、少しの間を置いてから再びすると特に効果がある。呼吸を続けて空気が肺を出入りするのに意識を向けながら、酸素は体を育み、生き生きと物事に携わっていると感じるのに必要なエネルギーを組織にいきわたらせる役割を果たしているのだと思ってもいい。
→KIZUKIのヨガに惹かれる理由は、先生からこういう知識をベースにしてる感じが醸し出されてるからかな。呼吸ってことなら、瞑想でもいいわけだよね。

西洋における精神医学的心理学的治療の主流は、昔から自己管理にほとんど注意を払ってこなかった西洋画薬か言葉によるセラピーに頼るのとは対照的に、世界のほかの国々は伝統的にマインドフルネスや体の動き、リズム行動に頼っている。インドのヨーガ中国の太極拳と気孔、アフリカ各地のリズミカルなドラム演奏など。例を挙げればキリがない。日本と朝鮮半島の文化からは数多くの武道が生まれた。武道は目的のある動きの修練と現在に意識を集中する事に的を絞るのだが、これはトラウマを負った人が支障をきたす能力。合気道、柔道、テコンドー、剣道、ブラジルのカポエイラなどは、そのような武道の例だ。こうした技術にはすべて身体的な動き、呼吸、瞑想が伴うヨーガを別にして、こうした民間に普及している非西洋の治療の伝統がPTSD治療のために体系的に研究されたことはほとんどない。
→とりあえずヨガ続けよう。空手はなんか男性がメイン感がでてたからやめた。合気道は来週見学に行く。あと、多分キックボクシングとかもいいんだろうな。護身術でも検索かけてみるか。カポエイラのオンラインもおもしろそうかも。

・回復の核となるの自己認識だ。トラウマのセラピーで最も重要な言葉は、それに意識を向けてくださいと次にどうなりますか?だ、トラウマ人々は我慢できそうにない感覚と共に生きている胸が張り裂けるように感じみぞおちの耐え難い感覚や胸が締め付けられる思いに苦しんでいる。だが、体内のこうした感覚を感じるのを避けると、その感覚に益々圧倒されやすくなる。体を意識すれば、私たちの内部の感覚、すなわち整体の状況に接するようになる。自分の苛立ちや心配、不安に気づきさえすれば、物の見方を変えやすくなり、無意識の習慣的な反応ではない。新しい選択肢が得られるマインドフルネスによって、私たちは感情も近くも一時的なものであることを悟る。全体的感覚に意識を集中して注意を払うと、ちょうどうが満ち足り引いたりするのを認識でき、それとともに情動を制御しやすくなる。

・トラウマ負った人は感じるのを恐れていることが多い。今や彼らの敵は加害者ではなく自分の身体的感覚だ。不快な感覚に乗っ取られるのではないかという不安から体が効率き心は閉ざされたままになるトラウマ過去のものなのにちょうどのサバイバー覚えたり無力だと感じたりするような感覚を見続ける実に多くのトラウマサバイバーが強迫観念に駆られて飲み食いし合う。フォークの社会的な活動を避けるのも驚くにはあたらない。彼らの感覚。世界の大部分が立ち入り禁止になっているのだ。
→ここなんだよな。立ち入り禁止にしていることが多い。立ち入り禁止のままでも成り立つ仕事にシフトしようとしている。

・変わるためには、人は内部経験に心を開く必要がある。その第一は心が感覚に注意を集中するのを許し、永遠に続くように思える。トラウマ体験とは対照的に、身体感覚を一時的なもので、自然の僅かな変化、呼吸や思考の変化に反応するのに気づくことだ。身体的感覚に注意を払ったら、次にそれを言葉で説明する。不安に感じるときは、胸がつぶれるような感覚があるというように、その後は私は神社にその感覚に意識を集中し、息を深く入ったり、鎖骨のすぐ下を軽く叩いたり、泣きたければ泣いたりすると、その感覚がどう変化するかを注意してくださいということもあるまい。ビジネスを実践すると、交感神経系が落ち着くので、闘争闘争本能を起こしにくくなる。自分の身体的反応を観察して、それに耐えるのを学んで初めて過去に安全に立ち返れるようになる。今現在感じていることに耐えられなければ、過去に心を開いても苦悩が深まり、なおさら深いトラウマを負うだけだ。体の混乱状態は絶えず変化するという事実を意識し続ければ、非常に多くの不快感にも耐えることができる。ある瞬間に胸が締め付けられても、息を深く吸い込んで吐き出せば、その感覚はやわらぎ肩の筋肉の緊張といった何か別のものに気づくかもしれない。

・情動調節に関与する脳領域を活性化し、体の認識とそれに関連する領域に変化をもたらすことも立証されている。私の研究仲間であるハーバード大学の研究では、マインドフルネスを練習すると、脳の煙探知機である扁桃体の活性化が抑えられ、トリガーになりそうなものに対して反応しにくくなることが認証された。
→呼吸、ヨガを日常に取り入れていると、トラウマのトリガーに対する反応が鈍くなる。生きやすくなる!

・良い支援ネットワークを持つというのがトラウマを負うのを防ぐための最も効果的な要因であることは幾度となく研究によって立証されている。安全と恐怖とは両立しない。恐れおののいているときは、信頼している人の心強い声や硬い抱擁ほど心を落ち着かせてくれるものはない。怯えている大人は恐れおののいた子どもに与えられるものと同じ慰めに反応する。優しく抱きしめられて体をゆりを動かされ、誰か強くて大きい人に万事任せなさいと請け負ってもらえると安心して眠りにつくことが出来るのだ。回復するためには、心と体と脳に、身構える必要がないことを納得させなければならない。それが実現するのは体の芯から安全だと感じて、その安心感を過去の無力感の記憶と結び付けられるようになった時だ。
→体が安心を感じる…

・トラウマ負った人は家族や親類、専門のセラピストとの繋がり、アルコホーリクス、アノニマスの集まり、退役軍人の組織、宗教的コミュニティといった人間関係の中で回復する。そうした人間関係の役割は、侮辱されたり、戒められたり。批判されたりしたと感じないで済むという安心感も含め、身体的情動的な安心感を与えて起こった出来事の実情に耐え直面し、対処するように勇気づけることだ。
→ここが弱かったから、回復に時間がかかったのかな

・脳回路の配線の多くは他者と同調することに向けられている。トラウマから回復するには、同じ人間である他者と再び結びつかなければならない。人間関係の中で生じたトラウマが、交通事故や自然災害によるトラウマよりも一般的に治療が難しいのはそのためだ。私たちの社会では、女性や子供で一番多く見られるトラウマは、両親や近しいパートナーがもたらす。児童虐待や性的虐待、家庭内暴力はすべて本来ならば愛してくれるはずの人によって引き起こされる。この為愛する人に守られているというトラウマから守ってくれる最も重要な盾が取り払われてしまう。養育や保護を求めて当然の相手に怯えさせられたり、拒絶されたりしたら機能停止に陥り、自分が感じるものを無視するようになる。自分だけで恐怖を処理しようとすると別の問題が出てくる。それは解離、絶望、依存症、慢性的なパニックの感覚、そして疎外感や断絶や感情の爆発だらけの人間関係などだ。何が起こったかを認め、自分が格闘している目に見えない悪魔たちを認識できるようになって初めて救いがやってくる。
→6/29追記:多分、私が育った環境は、疎外感しかなかった。母の感情の爆発に支配されていた。ここの解像度が上がるといい。

・他者とのふれあいや同調は、生理的な自己調節の源泉であるものの、人と親密になりそうになると傷つけられ、裏切られ、見捨てられるのではないかという恐れが引き起こされることがよくある。これには羞恥心が重要な役目を果たしている。本当の私を知ったとたんどれほど堕落したおぞましい人間かわかって私を見捨てるだろうというように、未解決のトラウマがあると人間関係を大きく損なうる。愛する人から暴行されたために悲嘆にくれたままならば、二度と傷つけられないという思いでいっぱいになって、あなたに他人に心を開くのを恐れるだろう。それどころか、相手に傷つけられる前に、無意識のうちにその人を傷つけようとするかもしれない。これは回復への大きな障害となる。心的外傷後の反応は、自分の命を救おうとする取り組みとして始まったことが理解されれば、内なる音楽、あるいは不協和音に勇気を振り絞って立ち向かうこともできるが、それには助けが必要だ。寄り添ってもらえるほど信頼できる人トラウマ患者の感情が安全に受け止め、情動脳からの不快なメッセージに患者が耳を傾けるのを手助けしてくれる人を見つけなければならない。患者の恐怖を怖がらずに患者の心の奥底に秘められた憤激を受け容れる受け入れることができる導き手が必要だ。長年にわたって自分にも秘密にしてこざるを得なかった。断片化した体験を探る間、患者の心身の健康を守ることができる人がいなければならない。この作業をするためには、トラウマを負った人のほとんどはしっかりとした拠り所と多くの指導を必要とする。
→原宿カウンセリングセンターにつながれて本当によかった。
→6/29追記:問題は、母の未解決のトラウマの特定。私が聴きとりしても多分彼女は警戒して話さない。

・私の経験では、患者はセラピストに心から好意を抱くときにのみ症状が改善するからだ。また、患者は自分が治療者に何らかの影響を与える与えていると感じない限り、成長して変化することもできないだろうと思う。
→私が遠慮するセラピストとは、治療がとん挫してきた。自分の感覚、価値観を表現しても大丈夫と思えるセラピストと出会ったら、サクサク進んだ。解像度の高さはマスト。

・同調の仕方を学ぶことによって、親、そしてその子供たちは相互作用体の芯から経験できるようになる。親子相互交流療法PCITは、感覚運動による覚醒調節療法と同様、そうした経験を強化する相互作用セラピーで、トラウマセンターの同僚たちが開発したものだ。人は一緒に遊ぶ時に身体的に同調したと感じてつながりと喜びの感覚を味わう即興エクササイズも人が喜びを味わう体験をしながら結びつくのを手助けする素晴らしい方法だ。沈んだ顔の人々が一斉にクスクス笑い出すのを見ると、苦悩の呪文が解けたことがわかる。
→この即興エクササイズはPAと似ている。授業でPAを取り入れてうまくいくのが自然。

・トラウマ治療法の主流は恐れおののく人が自分の感覚と情動安全に経験するのを助けることにほとんど注意を払ってこなかった。私たち人間が苦悩を軽減する最も自然な方法は触れられてハグされて体を優しく揺り動かされることだ。これは過覚醒の鎮静に効果をもたらす。そして自分は損なわれておらず、安全で守られていて主導権を握っているという気持ちにさせてくれる。触れるというのは、私たちに備わっているうちで心を落ち着かせるための最も基本的な手段だが、ほとんどの治療的行為では禁止されている。とは言え、人は体の芯から安全だと感じなければ完全に回復することはできない。したがって、私はセラピューティックマッサージ(治療的マッサージ)、フェルデンクライスメソッド、頭蓋仙骨療法といった何らかのボディーワークを受けるように、すべての患者に勧めている。
→ここどうするかなぁ。ここがネックなんだよなぁ。フェルデンクライスメソッドは市ヶ谷でやってるらしい。カウンセラーさんに聞いてみるのと、とりあえず本を買ってみよう。高いんだよなぁ…。投資で大きくお金動かしているから、なんかためらってしまう。本末転倒なんだよなぁ。

・情動が体内に縛り付けられていると体を物理的に制約されます。肩こり顔の筋肉が怖がります。内部の状態を晒しかねないので涙をこらえたり、声や動きを抑えたりするのに途方もないエネルギーを費やします。体の緊張が解き放たれると感情も解き放つことができます。動くことによって深い呼吸ができるようになり、緊張が解けると表情豊かな声を出すことができます。体はもっと自由になり、呼吸ももっと自由に流れるようになります。触れられることによって動かされることに応じて動くことができる体になれるのです。おそれを覗いている人は、自分の体が空間の中のどこにあるのかという感覚と、自分の教会についての感覚をつかまなければなりません。しっかりとした人を安心させるタッチは、教会がどこにあるのかを教えてくれます。どこからが外側で体はどこまでなのかがわかるのです。自分は何者なのか、そしてどこに居るの?いつも当必要がないことを発見します。体は堅固であり、常に警戒している必要はないことに気付きます。触れられることによって自分は安全だとわかるのです。
→やってみないとわからんよな。スイカ見たことない人はスイカわからんし。

ソマティックエクスペリエンス
何が起こったのかという物語ではなく、身体的感覚を探って、過去のトラウマが体に残した痕跡の場所と携帯を発見すること。患者トラウマそのもの徹底した探求に入る前にセラピストの力を借りながらトラウマを負ったときに自分を圧倒した感覚と、成道会の安全なアクセスを助けてくれるような内部の資源を蓄積する。ピーターliveinはこの過程をペンディレイ。一瞬振り子運動と呼ぶ内部感覚へのアクセスとトラウマ記憶へのアクセスの間をゆっくり行ったり来たりするのだ。この方法によって、患者は体制領域を徐々に広げられるようになる。感情はトラウマが元になったし、身体的経験を自覚することに耐えられるようになると、トラウマを受けている間に湧き起こったものの、生き延びるために抑制された叩きたい押しのけたい、逃げたいと言った強烈な身体的衝動を発見しやすくなる。これらの症状は体を捩ったり向きを変えたり、後ずさりするような体のちょっとした動きとして現れ出てくる。こうした動き大げさにやってみて、それをどう修正するか、あれこれ試すことによって、トラウマに関連した不完全な行動傾向を完全なものにする過程が始まり。最終的にトラウマの解決につながる。身体両方動いても安全だという経験によって、患者が再び現在に身を置くのを助けることができる。効果的な行動をとることの喜びを感じると。主体的主体感覚と自分を積極的に防御して保護出来るのだという感覚を取り戻せる。

・人が圧倒するような力に屈服するように強いられると、しばしば忍従することによって生き延びる。これは、虐待された子供や家庭内暴力から逃れられない女性、監禁された人々のほとんどに当てはまる。深く染み込んで屈服のパターンを克服する最善の方法は、自ら積極的に行動して防御するための身体能力を回復することだ。効果的な闘争/逃走反応を構築することを目指す身体思考のうち方法のうち、私のお気に入りの一つは、私たちの地元の護身術訓練組織でのモデルマギングというプログラムだ。そこで女性が攻撃役の人と積極的に戦い、相手を撃退することを教わる。プログラムが始まったのは1971年カリフォルニア州オークランドで、空手の黒帯五段の女性がレイプされた後だ。素手で相手を殺すこともできたであろう人になぜこんなことが起こりえたのか?と不思議に思った友人たちは、恐れによって技能。使えない状態になったのだと結論した。本書の言葉を使えば、実行機能(前頭葉)が稼働停止し、彼女は凍りついたということになる。モデルマギングのプログラムでは、女性はゼロアワー作戦開始時刻を意味する軍事要綱に置かれてを、それを積極的な闘争エネルギーに変えることを何回も繰り返し、この凍結反応を解除するすべを身につける。
→この、圧倒するような力で屈服させられたのがのこってるんだよな。だからこれをやってみたいんだけど、どこでできるのかなぁ。武術を習えばいいのか?→東京でのモデルマギングは開催時期が限られていて高かった。とりあえず、空手と合気道の見学を予約してみた。あとは護身術。

トラウマ記憶を統合する。人は何が起こったのかを認め、自分が戦っている目に見えない悪魔たちを認識し始めることができなければ、それを引き起こした出来事を過去のものにはできない。だが、出来事についての話を語ってもトラウマ記憶を葬り去れる保証はない。それには理由がある人はありきたりの出来事を思い出す時にはその出来事と関係するから身体的感覚、ちょうど光景、匂い、音へも追体験するわけではない。それとは対照的に、トラウマをそっくり思い出す。思い起こす時にはその出来事を経験する過去の感覚的要素やちょうどう的要素に飲み込まれるのだ。身の毛もよだつような事故を思い出していた時、脳の重要な領域が二つ活動を停止する時間の感覚と全体像を提供し、あれはあの時のことで今は安全だと分からせてくれる。領域とトラウマの光景や音へ感覚を首尾一貫した物語に統合する領域だ。南野、そうした領域が機能停止に追い込まれる。物事を起承転結のある出来事としてではなく、感覚や光景や情動の断片として経験する。トラウマをうまく処理するには、そうした領域がすべて稼働し続けていなければならない。EMDRのおかげで事故の記憶に圧倒されることなく記憶にアクセスできるようになる。稼働していないとフラッシュバックの原因となる量の領域が起こった出来事を思い出している間も稼働していられれば、人はトラウマ記憶を過去に属するものとして統合できるのだ。しかし解離は別の意味で回復が容易ではない。現在に関与するのに必要な脳構造がすべて活動を停止するので、そもそもトラウマを処理しようがないのだ。脳が鋭敏に活動していなければ、統合も解決もありえない。その場合、まずはPTSDの症状に対処する前に耐性領域を広げる手助けが必要になる。

・エイズ啓発運動の初期の活動家たちが考え出した力強いスローガンは沈黙は死だった。トラウマの場合も沈黙は魂の死に結びつく。注目トラウマがもたらす救いようのない孤立を強める私はレイプされた夫に暴力を振るわれた親はしつけだと言ったけれど、あれは虐待だったイラクから戻って以来、なにひとつも行かないと声に出して他者に話せたなら、それはちゅが始まり得るところまできたという印だ。人は沈黙を守ることによって、悲嘆や恐怖や羞恥心を制御できると思うかもしれないが、名前を付けることはまた別の形で制御する可能性を与えてくれる。人を傷つけられたことがあったなら、自分に起こった出来事を認めて、それに名前をつけなければならない。私は自分の経験からそれがわかる。三才の時に悪さばかりして、その度に父に家の地下室に閉じ込められた時、その苦しみがどのようなものなのかを言葉で表し、状況を理解できるまでは家族から締め出されて棄てられたのだとずっと思い込んでいた。おさなかった自分がどんな思いでいたのかを話すことができてはじめて、そして幼い自分があれほど怯えていて、人の言いなりだったのを許すことができて、初めて一人で居ることを楽しむようになった。人は耳を傾けてもらえている。理解してもらえていると感じると、生理的作用が変わる複雑な感情を明確に表現できて、気持ちを認めてもらうと。大脳辺縁系が活性化し、腑に落ちる瞬間が訪れる。それとは対照的に沈黙と無理解に突き当たると心がくじける。
→小さい頃の記憶はあんまりブレインスポッティングしていないから、癒しが進んでいったらぽこんと浮かんでくるのかなぁ。
→6/29追記:これ、やってみたら、すごい身体反応が出た。目が揺れ、セラピー後24h内臓不快感に襲われた。あと半年かな。

・人は幼い頃に叔父に性的虐待を受けたという事実を自分に隠していたとしたら、嵐の中の動物のようにトリガーに反応しやすくなる。危険を知らせるホルモンに対して体全体で反応してしまうのだ。言葉と文脈がなければ私は覚えているという自覚しかないかもしれない。それでも断固として主導権を握り続けようとしていると、トラウマをぼんやりとでも思い出させる人や物をすべて避けることになる可能性が高い。また、感情を露わにできずにいるかと思えば、怒りっぽくなったり、受け身でいるかと思えば、激情に駆られたりしかねない。すべて理由がわからない。人は秘密を守って情報を伏せておく限り、基本的に自分自身と戦っている状態にある。自分の核心にある感情を書くには、膨大なエネルギーが必要なので、やりがいのある目標を求めるためのモチベーションが奪われ、辟易として機能停止に陥ったままになる。その間もストレスホルモンは体に溢れ続け、頭痛や筋肉痛になったり、便通や性機能に問題を生じたりする。さらに不合理な行動をとるようになり、それによって自分もばつの悪い思いをし、周囲の人を傷つけかねない。こうした反応の源泉を明らかにして初めて自分の感情研究の注意を要する問題の合図として使い始めることができる。心の中の現実を無視すると、自己感覚で自己同一性感覚や目的意識も侵食される。

ヘレンがアンサリバンの助けによって言語を発見するというこの話を治療的関係の本質をとらえている。なかった場所でことばを見つけ、その結果、最も深い痛みと感情を他者と共有できるということだ。これは私たちが用いるうちで特に奥深い経験であり、そうした共鳴、つまり今まではなされなかった言葉が発見され、口にされ、受け入れるられうるという体験は、トラウマに伴う孤立感を癒す土台となる。これまでの人生で他者から無視されたり、騙されたりしてきた場合にはなおさらだ。充分に心を通わせることは、トラウマを負うことと正反対なのだ。

・自分の人生の最も私的な瞬間や不快な瞬間、頭が混乱するような瞬間を思い出すと、はからずも選択を迫られることがよくあった。記憶の中の昔の場面を追体験することに的を絞りその場面で感じたことを自分に感じさせるか、あるいは起こった出来事を論理的に筋道立てて精神分析に話すかという選択だ。後者を選ぶといつもたちまち自分自身とのつながりを失い、分析医にしている話についての彼の意見に意識を集中し始めた。疑われたり判断を下されたりしている気配を少しでも感じると、私は押さえ込まれて彼の承認を取り戻すことに注意を向けてしまうのだった。
・その後、精神科学的神経科学的な研究によって、人には二つの異なる形の自己認識があることが明らかになっている。時間に沿って自己をたどっていくものと、今この瞬間における自己を捉えるものだ。一つ目の自伝的な自己は、経験同士を関連付けて首尾一貫した物語にまとめる。このシステムは言語に根ざしている。私たちの物語は語ることによって変化する。 2つ目のその瞬間における自己認識システムは、主に身体身体的感覚に基づいているが、私たちは安全で急き立てられていないと感じていれば、その身体的体験を伝えるための言葉を見つけることもできる。二つの認識システムは、脳の別々の領域に局在しており、それらの領域同士の接続はほとんどない。そして、内側前頭前皮質に基盤を置く、その瞬間における自己認識システムだけが、情動脳を変えることができる。
→私は自伝的な自己のシステムを機能させてきたけど、ここのシステムはトラウマの解決には結びついていないってなかなかの現実だよなぁ。ここの把握だけでも当時の自分は結構大変だったから。内側前頭前皮質に基盤を置く、その瞬間における自己認識システムが動いている時、情動脳にアクセスできて、凍り付いた記憶へのアプローチが可能になる。多分、ブレインスポッティングをやっている時に私の口から出てくる言葉が、普段の言葉と全く違うことと関係あるんだろうな。

・もっとも私的な経験を説明するという課題は、厚い革のミトンをはめた手を深い色の底に伸ばして壊れやすい小さなクリスタルフィギュアをひろうようなものだ。言葉が上滑りするのを逃れるには、自分を観察する体に基づいた自己システムを稼働させるといい、このシステムは感覚や声の調子や体の緊張をとおして語る。内臓で経験する感覚を知覚できるのが情動的自覚のまさに基本だ。八歳の時、父親が家族を捨てて出て行きましたと患者に言われたら、私は一旦彼を静止して自分自身と対話するように促すだろう。父親と二度と会うことのなかったその少年については、私に語っているとき、彼の内部で何が起こっているだろうか。それは体のどこで認識されているだろうか?腹の底でものを感じる胸が張り裂けるほどの苦しみに耳を傾けたとき、内受容の経路をたどって心の奥底にまで行きついた時、変化が始まる。
→6歳以前に自殺しようとした記憶をブレインスポッティングで扱ってもらった方がいい気がしてきた。

フリーライティングという手法
・彼はまず、学生に大きなストレスやトラウマの原因になったと思う。非常に私的な経験を一つ特定するように求めた。その出来事に関する事実と、それに対していだいている感情や情動とその出来事が自分の人生に与えてきたと思う影響について詳しく書いていった。どのグループの学生も心理学かの建物にある狭い仕切りの中に一人で座って、4日間連続して一日15分休まずに書いた。書きながら泣くこともあったし。多くの学生がこの経験で頭がいっぱいになったと打ち明けた。 200人の参加者のうち65人が児童期のトラウマについて書いた。家族の死が最も多いとピックだったが、女性の22%と男性の10%は17歳未満で負った性的なトラウマを報告した。トラウマに関する。事実と醸造について書いたグループが。明らかに最も大きな恩恵を受けた。トラウマについての最も深い考えや痛切な気持を書くことによって気分が改善し、楽観的な態度と身体的な健康に繋がったのだった。この実験を評価するように求めると。学生たちは実験によって自己理解が深まったことに焦点を当てた。その時に何を感じていたかを考えられるようになりました。どんな影響を受けていたか、今まで気づきませんでした。過去の経験について考えて、それを解決せざるを得ませんでした。実験の結果、一つには心の平静を得ることができました。共同と感情について書かなければならなかったので、自分がどう感じていたのかなぜ、そう感じたのかを理解しやすくなりました。
→やってみるか→一回目やってみたら、カウンセリング受けている時と同じ身体感覚になった。これはいい。後3日やってみよう。







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