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武田友紀さん「繊細さんが自分のままで生きる本」・生き方を変える時期

環境に適応しようとして無理が続き、本来の自分からあまりに離れると、人間関係のトラブルや仕事のつらさ、体調の悪化などが起こってきます。行き詰まりは、「どこかで無理をしているよ」「生き方を変える時期だよ」というサインなんです。

1環境(相手や組織)に問題がある場合
忙しすぎる、パワハラがある、ママ友の中でいじめがあるなど、問題のある相手や組織に適応しようとすると、つらくなります。…中略…
繊細さんは刺激を受けやすいため、ストレスフルな環境にいると、どうしても他の人たちよりつらくなりがちです。ですが、それは、つらくなる繊細さんが悪いという話ではなく、そもそもの環境がおかしいという話です。

忙しすぎる、パワハラがある、日本の依存で成り立っているシステム、依存心が強い人が多い日本…
問題のある相手、組織、国に適応しようとすると、つらくなる。

私に合っていない環境ということ。

3「生き抜くための対処法」によって無理をしている場合
「ありのままの自分で大丈夫」という安心感が少ないと、他者から評価されたい気持ちが大きくなり、無理をしがちです。自分が大変な状況でも仕事を引き受けてしまったり、成果を求めて忙しい職場に飛び込んでしまったりすることもあります。「ありのままの自分で大丈夫」と思えるかどうかは、育った環境が影響している場合が多いです。たとえば、家で「愛されるには、しっかり者でいる必要がある」と学ぶと、社会に出てもその認識が続き、「まわりの人に認められるには、しっかり者でいる必要がある」となるんどえす。もともと本人にしっかりした面があることも確かなのですが、しっかり者でいることによって愛されよう・認められようとした時も、それは生来の自然な資質というよりも、「生き抜くための対処法」という側面が強くなります。

家で「今の環境を持続させるには、ケンカをしている母と父の仲裁役にならなければ」、「母から愛されるためには、母の垂れ流しの愚痴を聴き切らなければ」、「母は父を全否定する。私は父に似ている。母は私も否定している。母から愛されるためにはありのままではだめなんだ。」

人の話を聴く才能は元々あったんだと思う。
自分がトイレに行きたいとか、自分がもうおなか一杯とかを優先せずに、自分を後回しにして他者の話を聴いてきた。
「話を聴き切る私でないと愛されない」という思い込みがあったからか。

生き抜くための対処法なのか、純粋に好きでやっているのか、見分ける方法をご紹介します。
1 もしも誰かに「それ、やめていいよ」「そんなことしなくていいよ」と言われたらどう思いますか
ムッとしつつもほっとするなら、対処法です。「これまでがんばってやってきたのに!」という気持ちと「でも本当は辛い)という気持ちがあるので「ムッ&ほっ」なのです。純粋に好きでやっている場合は、やめていいよと言われても怒ったりせず「やりたいからやるよ~」となります。
2 できない人を見たときに、どう思いますか
それができない人を見かけた時、イライラしたり「そんなことじゃダメだよ!」と心の中でダメ出ししたりするのなら、対処法です。「こうしなければ」と強く思ってきたからこそ、できない人を見て怒りが湧くのですね。

元々好きで純粋に好きでやっている面もある。

相手の節度があれば、1時間とかで終わるから、疲れも少ないしいいんだけど、相手がきいてもらえるからと数時間話し続けたり、私の状況も確認せずに感情に飲み込まれている状況だと無理をしているから対処法だな。

これまで、いろんなカウンセラーさんたちと会ってきて、
この聴く力が無い人が一定数いるというか、少なくないなと思っている。
聴く力が弱いカウンセラーさんと話している時は、私ならここをもう少し掘り下げるけど、とか色々考えながら聴いているから、

聴くって、一定の条件下なら純粋に楽しめる部分と、
生きる術としてがんばってきた対処法の部分と、どちらもあるんだなって思った。

ここを仕事にするなら、楽しめる条件を整えていく感じか。


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