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不死とは幸せなのか?

注意!



今回は嶺里俊介著「地棲魚」(ちせいぎょ)を読んだ感想です。

「まだ読んでないよ!」「これから読もうと思ったのに!」

そんな方はブラウザバックお願いします。

それではどうぞ。

地元が舞台

図書館に地元が舞台の本が揃えられたコーナーがあった。骸骨の人魚と山荘という、不気味な、しかし緑が美しい表紙が気になった。

読了後の感想としては大変面白く、好みの作品であり、大満足である。

しかし、多くの人が殺されてしまうことだけが、残念であった。

本書は「伝奇ホラーサスペンス」というジャンルである。

天狗や人魚の伝承などを祖父から聞いたことから、より物語を身近に感じたのだろう。

主人公はサラリーマン

主人公の片桐真治は普通のサラリーマンだ。

しかし触れた相手の年齢がわかるという能力を持っている。

この能力は片桐の人生においてさほど重要ではなかったのだが、叔父の赤石に触れたことですべてが始まる。

なんだか本当に、日本のどこかで起きていそうなことから、少しずつ日常が侵食されていく感覚に背筋が寒くなった。

友人の妻と娘の殺人から、片桐の一族の宿命とも言えるある敵との闘いが始まる。

片桐自身はいたって普通の成人男性である。友人の貫井との子供時代の野球の経験や、自社製品のジャケットに命を救われるシーンは、胸が熱くなった。

普通の人間が、自分自身の力で異形に立ち向かうという構図が、大好物な私である。クライマックスへの異形との駆け引きは、まるで映画を観ているような臨場感があった。

ただ一つ、人死にが多すぎると感じてしまった。それもそこまで関係の無い人間が死ぬという理不尽さは、少し苦手である。

不死は本当に幸せなのか?

片桐の一族は代々不死の異形との闘いを繰り広げていた。

触れた相手の年齢がわかるという能力も、普段は一般人を装っている異形を見分けるものであった。

本書では異形は片桐の叔父を装って近づいてくる。見かけは普通の人間なのだ。だがその中身はなん百年もの間生き延びた、そして正体を知られたら残酷にも相手を殺すような化け物である。

死なない身体とはどんなものだろう。生きる意味を見出すことが難しそうだ。しかも、正体を知られてしまったら相手の命を奪うこともいとわない。
それほどに死にたくない、生への執着がなせるものが壮絶に感じた。

それは一度死にかけなければわからない領域なのだろう。

幸せだから死にたくないのだ。私はうつの不安の波が来たときは「死にたい、消えてしまいたい」ばかり考えてしまう。

だから生への執着というのは、幸せな人間が持つものなのだ。


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