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瞬きが見える

米津玄師のアルバムを買った。
よく考えるとアーティストのアルバムというもの自体、買うのは初めてだ。ライブに行ったことも、アルバムやCDを買ったこともなかったが、彼について少しだけ書き記したい。


どれだけ無様に傷つこうとも
終わらない毎日に花束を


ライブ映像の最後の曲を、一昨年の年末によく聴いていた。学業に忙殺されていた頃だった。
花束ときいて、白木蓮を抱えた自分の姿が思い浮かぶ。太宰治の斜陽を読んだときと同じような感情が蠢くのがわかって、どうしようもなく泣いた。
その曲のバックスクリーンに青が映し出された。水中から見上げた、光を纏う水面。死ぬときに見るだろうと幾度となく思い描いた視界だった。
自分は海の中で死ぬのだとずっと思っていた。20歳まで生きているつもりもなかった。それが、どういうわけかまだ生きている。脆く図々しい精神をぶら下げて生きている。
生きていると無様に傷つくことばかりだが、それでも生きていくのならば、地獄は地獄なりにやっていくしかない。あれから、彼を見ると太宰を思い出す。




死なない想いがあるとするなら
それで僕らは安心なのか


私が人生に呆然としていた頃、彼は今とは違う名義で活動していた。その界隈では有名だった。書く曲も良かった。厭世を生きる、同じ船に乗っているのだと思った。
その頃の名を知る人がどれくらいいるだろう。あの夜の似合う動画サイト。それを見ていた自分。そこにあった確かな時間。


あなたの抱える憂が その身に浸る苦痛が
雨にしな垂れては 流れ落ちますように
真午の海に浮かんだ 漁り火と似た炎に
安らかであれやと 祈りを送りながら


彼の音楽が動画サイトからCD、ライブへと少しずつ形を変えて、けれども変わらぬ温度で世界へ流れていく。



飛燕、amen、PaperFlower、Nighthawks、ほとんどカバーでしか聴いたことのない曲を本人が歌っているというのがどこか新鮮だった。
amenの始まりと最後の部分に、エフェクトのかかった唸るような音が響く。画面の中心に一人立つ姿は神聖さをさえ纏っているのに、彼の歌声はどこまでも人間だ。
悲しみがどんな重みで人の肩に落ちてくるのか、首をもたげずに前を向いて歩くことがどれほど苦しいことなのか、彼は知っている。人の隙間を縫って届く優しさの色を知っている。それらがどう瞬くかを。


夏が来る 影が立つ あなたに会いたい

彼の人生が続いていくように私の人生も続いていく。青白く燃える水面に揺られて、瞬いた星の滲んだ先に。

今でもあなたは私の光

今はとにかく星が見たい。