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東京レインボーパレード2024初参加【日記】

初めてレインボーパレード参加して歩きました!
しかもフロート後ろの横断幕を、持つグループ先頭。

これまで遠目に見た事はあれども、パレードする側になろうとは思っていませんでした。
自分の人生のステージが変わっただけでなく、社会的、時代的に変わってきたことが気持ちを変えさせてくれました。

昔ならばアクティビストに任せて、自分はクローゼット。
心の中だけで応援し、表面上は知らんぷりを決め込んでいたところです。
隠しておくべき父親も亡くなり、残る母はアウティングされて知っています。そうなると、誰にバレたくないって考えると、もはやひと握り。

それよりも恩師や友人が一気に亡くなり、次世代に何が遺せるか考える歳。それにしても歳を喰いすぎました。もう老先の中で〝やれること〟も限られてきました。
何もしないより、やりたい。

HIV感染者支援団体〝ぷれいす東京〟さん経由でパレードを歩く枠があると知り登録してみました。

ぷれいす東京HP: https://ptokyo.org/

参加したグループはもちろんHIV/健康をテーマにしたフロートです。
流行り廃りで言えば、社会的な一番の注目テーマは〝同性婚〟あたりなのだろうとは感じますが、他の問題が消えるわけではありません。自分はやっぱり、ここを考えていかないと。

変な緊張もあったのか、朝は目覚ましより早く、暗いうちから目覚めました。

ドキドキの自分

予定より早く着いたので、テントが並ぶ各団体、企業、食事のできるブースを周りました。

舌を楽しませてくれる嬉しいブース

そういえば感染告知後の経験浅い時期に、パレードを見送り戻ってくるまでテントに居る経験があった事を思い出しました。ああ、遠き日の景色。おそらく15年以上は前のことです。

ほんとうにここ数年で世の中の風向きが変わってきた事、当事者であるはずの自分の方が受け入れるのによほど時間がかかっているような。不思議な感覚です。

アライ(当事者ではないが、支援的立場を表明する人たち)を表明する企業はやはり嬉しさを感じるもの。今回の会場で覚えた企業名は今後利用したいと思ってしまっています。

心のどこかに、味方は似た境遇でないと居ないという厭世感を持っていたのに、なんでしょう。
それでも場の空気に揉まれるうちに、素直に、やっぱり、ありがたいというか、嬉しくなりました。このイベントの熱気がお祭り感覚だとしても、きっかけになりさえすれば、それで良いと言う気持ちに浄化されていきます。
どんどんプラス思考。


パレード出発までの時間は第二体育館の中の客席が使われていました。
それぞれのグループがブロックごとに分けられ、待機。時間になると中央に集まり、外の待機スペースに流れていく。その段になるとどこからともなく拍手が上がったり、見送りに手を振ったり。良いムードです。

なるほど、企業はお揃いのTシャツにメッセージがプリントされていたり、グループごとのムード、カラーがありました。多様性と言っても、グループごとのバックグラウンドが違うので、まとまりごとの空気があるのも面白いです。

我らも盛りあがろうと掛け声、活気に満ちています。

代々木第二体育館の天井

パレードの出発です。
ノリノリの音楽に合わせて、フロートからの振りに決まった2フレーズを返していくのが、我がグループのスタイル。

We are 〝Positive!〟
Update 〝HIV!〟

イメージ的にデモ行進は拳を振り上げ主張を叫ぶ……ああ、旧人類と気付いたのは出発してすぐでした。そう、アップデートが必要なのは誰よりも自分だと気付いたのです。


気づき、拳じゃない

不思議なもので、百聞は一見にしかず……いや、見るのではなく、体験してみてわかる。
何も拳を振り上げて闘うというものではない。だって、見渡す限りの渋谷の街は優しく、ありのままのそれぞれを受け入れている。

沿道から手を振るのは老若男女。何もゲイだけじゃない。アライの多さにもびっくりしたし、親子連れの姿は何よりも自分の心を励ましてくれた。
自分が自分に向けていた偏見、差別意識がそれだと気付かされた。
〝子を持つ親はゲイを見せたくない存在だと思っているに違いない〟

手を振る親子の多さに胸がいっぱいになり熱く込み上げてくるものがあった。
これは沿道で同じ景色を見ていても味わえなかったであろう。

渋谷の街はやさしかった

ゲイ自覚やHIVポジティブと分かってからもゆうに20年以上が経ちました。
そんなゲイ成人もポジ成人も越えながら味わう、初めての気持ち。

自己肯定感がどーのいう前に、周りが存在を認めてくれているという、パレードの中心にハートがオーバーヒートです。

お祭り神輿の興奮とは違う、その包み込みの姿勢にヤられました。

気づき(2)問題は並列にたくさんあって当たり前

世界の問題は一つではありません。
自分の背後に今起きている戦争、紛争に憂いを叫ぶメッセージカードがあったのも、忘れていません。

パレードがいわゆる世間の目を逸らす別の目的だという、誹謗的な意見があるのも知っていました。
決して忘れて歩いている訳ではないのです。何もかも、あって何を置き去りにしたい訳でもないのです。

考えれば考えるほど、世界は問題だらけ。何かを押しのけるたいのではないのです。

胸にこみあげるナニカ

交通誘導に合わせて何度も交差点で止まり、街を眺めながら、ただ今より良くなる事を祈って街を雑踏を、そして沿道からの手を振る参加者と一体になりながら、変わりゆく空気を噛み締めていました。

何ができるか、できなくても、ただ、居ると表明する一歩が、これまでの半世紀の人生と変わって景色が輝いて見えた体験なのでした。

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