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カイラス山と便所サンダル①〜盆地の番犬便り番外編〜

今朝起きてベランダから山を眺めていた時、ふいとある光景が脳裏に浮かびました。

二十一年前の夏、私はカイラス山におりました。

脳裏に浮かぶ言葉は唯「こんなはずじゃなかった」でした。
そして数歩先の便所サンダルを見失うまいと必死の形相(自分じゃ見えませんが多分そう)でした。

正確にはカイラス山ではなく、その周りを周回する「コルラ」と呼ばれる巡礼の真似事をしてよろぼい歩いていたのですが。

カイラス山は仏教国チベットの西の端っこにあり、チベットの人々からは「現実世界の須弥山」として、インドその他のヒンドゥー教徒からは「破壊神シヴァがお住まいになる聖山」として崇められる尊い山です。
尊すぎて、足を踏み入れることは許されません。まして頂上を極めるなどと考えただけでも来世は虫として生きること決定くらいの勢いです。
悟りを得たい、それが叶わなくても幸福な来世をと望む人々は山の周りをグルグル グルグル。
熱心な巡礼者は全ての煩悩を焼き尽くさん!と百八回周ったりするそうですが、一応仏教徒である自己認識はありつつも全く熱心でなく、ひ弱な日本人観光客の私とその仲間たちは、現地の人なら一泊二日、速ければ一日で周る行程を二泊三日掛けて、亀の速度で歩いていたのです。

だって足が進まないから。
空気が薄すぎて、一歩歩く度に杖にもたれてひと呼吸。次のステップへのヤル気をかき集めるのに必死だから!
標高4,000メートルとっくに越えちゃってるから!!

「こんなはずではなかった」と言うのは、私の中でカイラスツアーは軽いトレッキング程のイメージであり、ガチ登山する心構えゼロで臨んでしまったため発せられた心の声でした。

そんな馬鹿がいる?と思われるかもしれませんが、いますよココに。ニッポンの真ん中辺の山間部に、note上では「盆地の番犬」と名乗って生息しています。
始めたばかりでまだフォロワーさんもなく虚空に向かって呟いている、みたいな身の上ですが。
初めての街で、知り合いもなくキョロキョロしながら歩いているような心地で色んな記事を拝見していたら「一歩踏み出した先に」というテーマで記事を募集しておられるのを見つけて、参画させて頂こうと思い立ちこれを書いています。

カイラスの続きです。

その旅は私にとって二度目のチベット訪問でした。
初めての訪問はその二〜三年前で、初めてのチベットかつ人生初の海外旅行、飛行機に乗るのさえ初めてでした。
十四歳の時、NHKのドキュメンタリー番組でチベットを知り胸を鷲掴みにされ、いつか訪れようと決めていたのです。
友人達からは「いきなりそのような僻地に赴くのは危険。ていうかチベットって何処にあるの?グアムやハワイなど日本人に馴染みの観光地とか東南アジア辺りにして練習したら?」と言われましたが、飛行機を極度に恐れていた私は、特に興味の無い場所へ出掛けて、その途上で墜落したら泣くに泣けないじゃないか。私は一番好きなもんから食べる主義だ!とイキってチベットの都ラサに降り立ちました。

降り立つまでに丸二日掛かりました。
成田から北京に飛び、成都行きの飛行機に乗り換え、成都のホテルに一泊。ホテルで「入域許可証」を発行してもらい、けして無くさぬように首に掛けたパスポートケースにイン。
チベットは、「ここは我らの独立国である」とするチベット政府と「中華人民共和国の一部である」とする中国共産党、双方の主張が真っ向からぶつかり合う政治的に非常に不安定な地域であるため入域許可証無しには自治区に入れず、入った後もガイド付きツアーでしか行けない場所が沢山あります。

全ての行程を半泣きで突破して降り立ったラサは控えめに言って最高でした。
日本とは全く趣きの違う仏教寺院。その内部の極彩色の仏像や壁画。日本の着物に似た民族衣装を着た日本人によく似ているけれど、もっとおおらかで生き生きとした生命力を感じさせる人々。そして彼らはそこここで熱心に仏に祈りを捧げ、祈られている仏像も、美術品の様な扱いを受ける日本のそれとは違う「現役感」があると言いますか、とてもパワフルな印象を受けました。嗅いだことのないバター灯明やお香の香りが街中に満ちて、私はすっかり夢見心地。
成都のホテルで出会った日本人留学生と連れ立って、安宿の掲示板に貼られた「ツアー参加者募集」の貼り紙をチェックして近郊を巡るツアーに参加してトルコ石のような美しい湖も訪れて。
湖だけでなく、チベット高原では空も大地もとにかく色鮮やかで光と影のコントラストが美しい。
十日間の滞在期間はあっという間に過ぎ去り、私は思い切り後ろ髪を引かれながら帰国しました。
滞在中に何度も聞こえた「カイラス山」というキーワード。
現地の人は「死ぬまでに一度でいいから訪れたい」カイラス帰りの外国人観光客は「絶対オススメ」と口々に彼の山の素晴らしさを語ります。
日本に向かう飛行機の中で私は早くも「次はカイラスだ」と堅く心に誓ったのであります。

そして数年後、二十六歳の私は鼻息も荒く前述の行程を繰り返してラサ入り、前回は他人が募集したツアーに乗っかったが今度は自分発で!と「カイラス山に行く人募集します!」と書き殴ったノートの切れ端を外国人御用達の数軒のホテルの掲示板に貼って周りました。
カイラスまでの道のりは長く、順調に行っても片道三泊〜四泊。前述した通りコルラ(山の周りをグルグル)に二泊。せっかくだから途中で歴史ある寺院なども訪問したい。天候次第では数日余計に宿泊。と言う最低十日間の長旅ですので、なかなか人が揃わない。参加します!と言った人が「やっぱりやめます」と抜けてしまったり、旅行社との値段交渉が噛み合わず計画が白紙に戻りそうになったりと、一週間かかりましたが、ようやく出発の朝を迎えました。
メンバーは全員日本人で、大学生の男の子とフリーターで旅人の常にプリングルスを小脇に抱えた細身の二十代男子、私より少し年上の登山好きの看護師さん、と私。そして前日に顔合わせをしたチベット人のドライバーさんとガイドさんの計六名。
予算の都合上、だいぶ古いけれどもTOYOTAの青いランドクルーザーに、いざ乗り込まん!と挨拶を交わしたガイドさんの足元をふと見ると、ずいぶんラフな感じ。
黒くって。靴底の、足裏に接する面には健康に良さそうなイボイボが付いてて。足の甲が半分だけ覆われて指先と踵はフリーダム。
そう、便所サンダルです。
私は思いました。「賢いな」

私も他のメンバーも長旅に備えてトレッキングブーツやガッチリしたスニーカーを履き込んで来たけれど、長時間のドライブにはラフが一番だよね、歩く時だけ靴に履き替えるって寸法か、さすが旅慣れたガイドさん。よし、真似しよう!と、宿で履く用のビーチサンダルにいそいそと履き替えて今度こそランクルに乗車して出発進行!と相成りました。

私のテンションはマックスまで高まっております。
苦節三年、途中インド旅行を挟み、到着早々悪質な旅行社に拐かされて法外な金をふんだくられたけどお巡りさんに言い付ける事により取り返す事に成功した私。その後夜行列車の中でパスポートと現金&トラベラーズチェックを盗まれて「このままインドの土に帰るのか」と途方に暮れたけどパスポート&トラベラーズチェックの再発行により事なきを得た私。何が言いたいかというと私は俺はおいどんは旅慣れた女!いざ行かん憧れのカイラス山ヒャーッヒャッヒャ。

そんな私の「旅慣れてる」への激しい勘違いを乗せて走り出した青いランドクルーザーは、第一の立ち寄りスポットの遥か手前、出発して一時間で故障し路上に緊急停車しました。
ガイドさん曰く「部品交換が必要だが、その部品は手元に無い。運ちゃんが、ちょっと街まで戻り部品を取って来るからピクニックでもして待ちましょうか」

途中に街なんかあったっけ?ラサまで戻るって事かしら。どうやって?徒歩で!?
と青ざめる我々をヨソに、ドライバーさんは道路脇にスックと立ち右手の親指を力強く突き上げました。
そうですかヒッチハイクですか、見渡す限り自動車の影は在りませんが。
我々はなす術無し。道路脇にどこまでも拡がる草原をブラブラ散歩。オヤツのビスケットを分け分けしたりお昼寝したりしているうちにドライバーさんがヒッチハイクに成功、行って帰って自ら部品交換を済ませて「おーい出発だぞー」と手招き。
では改めて出発進行!と車は動き出したけれど、もはや午後。その日は、ちょっと立ち寄るだけの予定だったチベット第二の都市シガツエに宿泊となりました。
メンバーの中には予定が狂った事に不満を抱く人もいましたが、バイトを辞め、そのバイトで貯めたお金を全額引っ提げて「なんとしてもカイラスに行く」と気合いムンムン、時間も予算もしっかり確保しておりましたので「予定が狂うのもまた一興」と呑気に構えていました。

現在はどうか分かりませんが当時のチベットには大きな都市はラサ以外に二つ位しか無くて、シガツエを出た後は、ただただ平原をひた走って行くと時々小さな集落や寺院があったり、遊牧民のテントが点在しているばかり。
そして遂には道路も無くなりました。
見渡す限りの大平原。
標高何メートルだか正確に覚えていませんが、もはや木も生えぬ程の高原なのだとガイドさん。

不思議な気分だ。高い所イコール山の上というのが当たり前と思って生きてきたが、こんなだだっ広い所が高所と言われてもピンと来ないや。
それにしても大地って全く見飽きないなぁ。さっきは赤土のような感じだったが今はゴロゴロとした岩場だ。あ、巡礼者だ。五体投地をしながら聖地を目指す人がいるというのは本当なんだな。あの人もカイラスへ行くのかな。私達はホントにカイラスに向かっているの?道路も無いし標識も無い、目印になる建物も。

けれどドライバーさんには全く迷いは感じられません。
太陽の位置とか、土地の隆起とか私達には分からない目印が彼には見えているのでしょう。陽気に歌なんか歌って、時々噛みタバコをぺっと吐き出してデコボコの大地をものともせずに走る走る。彼が今操るのはTOYOTAの青いランドクルーザーだけど、まるで馬に跨る遊牧民のようでした。
喜びと、ほんの少しの畏れ。
早くカイラスに辿り着きたいようなこのまま走り続けていたいような。
なんだろう、このドキドキは。
ドライバーさんへの恋心でないことだけは確か。小柄で皺くちゃ、お猿さんぽいおじいちゃんでしたので。

そんなこんなで数日かけて遂にカイラス山の麓の村に到着!

しかしカイラスは雲に隠れて、ガイドさんが「あそこだよ」と指差してくれてもいまいち気分の盛り上がりに欠ける感じです。
小さな村には、どこから来たのかランドクルーザーやバスがギッシリ。
中国人や西洋人のグループに混じってインド人と思しき人々も大勢いて、その時はまだカイラス山がヒンドゥー教徒にとっても聖地であると知らなかった私は、少し驚きました。

そんじゃ早速歩きますかと、私達は車から荷物を下ろして各々担ぎ、靴紐をカッチリと締め直しました。褌を締めるお相撲さんのように勇ましい気持ちだったかどうかははなはだ疑問。
ここで異変が、初日の車の故障に次ぐ恐ろしい事態が勃発しました。
便所サンダルからスニーカーに履き替えたガイドさんが小首を傾げています。
ドライバーさんはおじいちゃんですが、ガイドさんはまだあどけなさを残す若者。しかし大柄な君が小首かしげても可愛くないよ。
そんな事よりおいコラ、ガイド!どうするつもりだ!?

異変は彼の靴に起こったのです。
合体しているべき靴本体と靴底が離れ離れ。歩く度にパッカンパッカンと踵をチラ見せするのです。
平たく言えば壊れてる。
日本人メンバー一同は唖然とし、各自で頭を抱えて座り込む、力無く笑う、見なかった事にしようと視線を彷徨わす等の反応を見せましたが当のガイドさんはエヘラと笑い、徐ろに再び便所サンダルを装着して笑顔で「ノープロブレム。レッツゴー」と言い放ちました。

マジすか?
と、問うても虚しいばかりナリ。
「まあ良いんじゃない?大丈夫だって言ってるし。それにほら、こんなに長閑な緩やかな斜面だもの。行こう行こうレッツらゴー。」
とガイドさんに続いて歩き出した私に同意する者は居なかった。
呑気な私は知らなかったのです。その後に控える恐ろしさ、聖山に近づこうと試みる人間に差し出される試練の数々を。

出発してしばらくは、ほぼ平らな草原をお散歩気分で歩き、日のあるうちにその日の寝場所の小屋に着き、カップラーメンやらエナジーバーの夕食を食べて早めに就寝。
なんだ、余裕じゃんと寝袋に入ったのですが何故か全く眠れない。なんとなく息苦しい。明日は今日より長時間歩く予定なのに困ったなと、パタパタ寝返りを打ちようやく少しウトウトしたと思ったら朝が来てしまい、スッキリしないまま歩き出しました。
後で考えるとあの寝苦しさは高山病の兆候だったのですが、その時は思い当たりませんでした。
チベットは全国的に標高が高くてラサも富士山頂と同じ位。ガイドブックには高山病の恐ろしさと注意事項がぎっしり書いてありますが、私は全く平気だったのです。むしろ日本にいる時より快適な感じでした。
そして元来下調べというものが苦手な私、ランドクルーザーや同行者を得て「カイラスに行ける!」となった時点で満足してカイラス山その物については全く無知な状態でノコノコやって来ちゃったの。何故か、地面にポコンと唐突に生えてるカイラスがあって、周囲は平野だと思い込んでた。
お馬鹿さんなの?ウイ。

前日とはうって変わって登り坂が延々と続き、恐ろしい事に麓は夏だったのに今は氷の上を歩いている。氷をやり過ごしたと思ったら雪が降って来た。どうなってるの!?

どうなってるも何もそれが山ってもんでしょがと、今の私なら言いますが、その時点では登山経験は中二の林間学校で登った御嶽山ただ一度。山に囲まれた土地で育ったけれども山に入るのはきのこを採るとか栗を拾うとか美味しい目的がある時だけ。
「登るために登る」なんて理解不能と思っていたのです。

雪はどんどん激しくなって、視界が白い。
足が重くて、ガイドさんが「あそこまでを目標にしよう」と指差す数メートル先の岩までいつまで経っても届かない。
峠だ、やっと下りだ。と思ったらまた登り坂。
私、なんでここに来たかったんだっけ?何の為にこんな事してる?
ダメだ、考えても分からない。考える余裕が無い。
ただ、今は足を前に出す事しか出来ない。

便所サンダルのガイドさんは余裕の表情で、でも私達に合わせてゆっくりゆっくり歩いては立ち止まって「もう少しだよ」と呼んでいる。
ペッタンペッタンと、便所サンダルが、私達の誰よりも力強く確かな足取りでまえを行く。
息も絶え絶えにたどり着いた二日目の山小屋は、標高ざっと五千メートルで、生まれて初めての激頭痛で一睡も出来ませんでした。

三日目の記憶はほぼありません。

ここまで書いて締め切り時刻間近になっているではありませんか!

とちゅうだけど投稿しちゃえ。

・・・・・・。

と思い、モタモタと記事を公開する設定をしていたら日付けが変わりました。
#一歩踏み出した先に の締め切りは9/7、これをかいてるのは9/9。
締め切りに間に合わずふて寝して、昨日はこの記事の事を忘れてました。

という訳でここまで読み進めて下さったあなた、ありがとうございます。
続きは、また今度。
アデュー✨


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