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32歳、溢れる母性の行く末は。

私はむかしから赤ちゃんという生き物が大好きだ。
丸くて小さな顔、ふっくらして美味しそうなほっぺ、鳥のくちばしのように尖った上唇、プクプクと溢れ出る透明で綺麗なよだれ。全部がとにかく愛おしい。

半年前、昔のシェアメイトで今も親しくしている2つ年上の友人に待望の第一子が誕生した。
そして私は今、生後半年の彼女に夢中である。


彼女にはまだ一度しか会ったことがない。それは、生まれてまだ1ヶ月ほどしか経ってない頃で、彼女の肌は白でも黄色でもなく、なんだか真っ赤だったし、髪の毛もホワホワと薄く、声にならない声で泣くというより鳴いているその生き物は、人間の赤ちゃんというよりは猿の赤ちゃんのようだった。

手足を触るとピクッと動いて、こしょこしょすると少しくすぐったそうに体を攀じる姿がいじらしいほどに可愛くて、たまらず我が家に連れ去りたい!!!と思った。

すぐにでもまた遊びに来て、人間の赤ちゃんへと変化する彼女の姿を見つめたいし、触れ合いたい!と思っていたのに、それからコロナ感染者数が急増して、とても彼女に会いに行ける状況ではなくなってしまった。

だけどどうしても彼女の様子が気になって気になって仕方ない私は、それ以来ほぼ毎日、友達にLINEで「●●ちゃんは元気?今なにしてる?!」と、友達そっちのけで赤ちゃんについての報告をこまめに要求している。

SNSが嫌いな友達は、自分の娘の写真や動画を見知らぬ人々に公開して、「いいね!」をもらおうとする、どこぞのママ友たちをいつも残念そうに見ている。
けど、本心はきっと自分の子供を誰かに「可愛い!」と言ってもらいたいし、多少はうらやましがられりもしたいのだろう。
最初の頃は、私が「●●ちゃんの顔がみたい」と頼まない限りは送ってこなかったのに、最近は私が「今日は疲れたー・・・」とつぶやくだけで、「はいどうぞ、これ見て癒されて」と娘の写真を送ってくれる。

私の「いいね!❤︎」は、見知らぬ誰かからの100いいね!よりも、きっと価値がある。
❤︎ボタンをタップするだけの、軽い気持ちでいいねと言ってるわけではないからだ。

「●●ちゃんって、だんだんパパに似てきているよね。でも目元はママ似かな」
「●●ちゃん、個性的な顔してるから絶対将来はモデルとかできる気がする!」
「たまらん!!!!なんでこんなに可愛いの!もっと他の動画も見せて!!」


と、コメントする手がとまらないほどの熱量の、あっつあつのいいね!!!だ。
彼女の小さな変化にも敏感に気づくし、未来のことにまで興味津々である。
もはや身内並みの愛情を持って彼女の成長を見守っている。笑

私の溢れる母性の受け皿が友達の娘…というのはいささか残念な感じもあるが、
私が友達の娘を可愛いと思って、その気持ちをありのまま伝えることで、彼女のママとしての承認欲求も少しばかり満たされているかもしれない・・・!
と思えば、「残念」ばかりではない気もしてくるから、よしとしよう。

と、そんなことを書いていたら、今日も彼女の写真が届いた。
シリコンでできたバナナのオモチャをシャブシャブしている…。
たーまーらーーーん!!!


今日も私の母性は溢れまくっている。

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